相手の話すことを
まず丸まんまも受け取れないで
自分の望む反応だけしか受け取らないなら
聞いてはダメだよ。
「自分の望む反応だけしか受け取ろうとしていない自分」
を感知は出来ないだろうけれど
相手が何を話しても
「本当のことを言って!」
と思ってしまうのは
自分の望む答えでは無いから、だけだと思うんだよ。
「全てを知りたい」
そして
「全てを知る」
ことが「愛なのか」と問われたら
私は何度問われても
「違う」
と答えると思う。
正解を的確には答えられないけれど
この不正解だけは感じるから。
「無償の愛を注いだのに」
と思うなら
きっと
「のに」がつく時点で
無償ではない証拠かもね。
色々なケースがあるだろうし
私が私の中で導き出した
私に通用する法則だから
共通するとも思っていない。
だけど
シュチュエーションや関係など
もろもろの材料を考慮して照らし合わせるような
ややこしいやり方をせずに
大まかにざっくりと
私は
愛というものに対する
人の在り方には
共通すると感じる。
愛か否かの話じゃなく
やはり
「のに」
がつくときは
大抵が愚痴だからね。
自分が好きでやったことに
値打ちをこいて、
自分の働きに対する報酬が少ないと
不満を漏らしているに過ぎなかったりするじゃない?
○○したのに
と不満に思うくらいなら
それを相手にぶつけてしまうぐらいなら
しないことも選択できたはずなのに
自ら選択しておいて
それと同等の気持ちを待つという行為からは
自己愛しか感じないんだよ。
物事はこんなにすっぱりとなっていないと
思われることもあるけど
この部分において
私は
私にそう課しているだけだから
自分にすっぱりすることに納得している。
と思いながらも
私は
こういう目で
自分のことでなくとも
物事を判断するところがある。
そういう風に見てしまうから
ただ貝のように
口を閉ざすことがあるよ。
私はずるいからね。
そして
やっぱり好きだからね。