睡魔と無意識下の模倣の怖さ。 | ■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。

■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。

モラハラ専門カウンセラーacnです。
2025年11月1日『「くたばる喜びとっておけ」歪みと支配たちへの長いラブレター』をクエーサー出版より出版しました。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4910893512
このリンクから購入可能です。

今日(昨日)は朝から眠くて眠くて、赤ちゃんがまた中耳炎になったので、5歳の長男だけ保育所へ送ったあと、朝から家事もせず赤ちゃんと二人でゴロゴロしていた。

中耳炎といっても痛がる様子もなく、すこぶるご機嫌。
ソファに横になる私にまとわりついてくる。可愛い。
けど眠い。

ミルクを作り赤ちゃんに飲ませるとすぐに寝息をたてる赤ちゃん。
私は赤ちゃんに腕をかけて寝た。

気がつくとパパが部屋にいてびっくりした。

時計を見ると午前11時半。

パパはぐちゃぐちゃな部屋や、洗い物で溢れた台所を見ても何も言わず、無視してくれた。

仕事の合間に寄ってくれたみたい。
若干申し訳ない気持ちになった。

パパは20分ぐらいで行ってしまった。

晴れてきたから洗濯をした。
赤ちゃんとベランダに出て、干し終わってもしばらくぼーっとした。

昨夜私は、2001年からの彼女とのやりとりや彼女の書いた文章をただひたすら読んだ。

そしたら胸の底から何とも言えない気持ちが込み上げてきて、深夜にどうしたらいいかわからないぐらいに焦ってきた。

彼女との出会いも、彼女が自ら命を終わらせたことも始めから決まっていたような気がして。

メールの日付を見ては、彼女の残りの時間を数える。

何度読んでも、彼女の言葉は私の心を震わせてくれなかった。

ただ深々と、彼女の彼女らしい言葉たちに涙が出た。

きっとこのことも
彼女の言葉を借りれば「ささやかな復讐」なのだろうな、なんて。

敵でもなんでも無いのにさ。

そんなことを考えている時、急に何かが一斉に繋がり始めた。

メールをもう一度読み返した。

出会ったばかりの頃、彼女は当時の同棲相手に三行半を突きつけられていた。

彼氏のことを「パパ」と呼び、そのことの愚痴を書いていた。

「パパは私が家事を何もしないっていうけど、私はやっているのに」という内容だった。

私はまだ彼女のことを何も知らないから認めて貰えないなんて可哀想にと思っている様子だった。

そして前々回(違う彼氏)の同棲相手か三行半を突きつけられた時のメールを読み返した。

内容が全く同じだった。

「私はやるべきことをやっているのに相手がしていないと言う」といった内容。
ループしていることには気づいていたけれど、私は愕然とした。

彼女の男との関わり方は、彼女の母親の人間関係の持ち方の模倣だ。

そっくりすぎる。


そして私と彼女の関係も同じじゃないか!



私は疎遠になる直前、彼女にメールをした。


「○○は私に嫌われたいと思っているのか?

どうして私が嫌うであろう言葉を言うのかが私には理解できない。

逃げておきながら、おいかけて欲しいようなモノは私は読まないよ。

わかっていても表現したことをまず受け取るよ。

わたしにはわからないから、どうか教えて欲しい。」


このような内容だったと思う。


彼女はこう言ったのだ。


「私はおかあちゃんに嫉妬していたのかもしれない。

そういう鬱憤を全ておかあちゃんにぶつけることで消化していたかもしれない。

そして試していたのかもしれない。

離れていかないことの確認よりも、逃げていかないことの確認だったのかもしれない。

そして私は、おかあちゃんが逃げないのではなく、逃げられないのだと気付いた。」


と。(あまりに難解なため、原文のままではありません)


「私には何をしても逃げないと思った」のではなく

「何をしても逃げない」と気付いた、というのだ。


そんな相手(私)から、今突きつけられていることを理解したくなかったのかもしれない。


だって私は、彼女の返答がどのようなものであっても

離れるつもりでいたからだ。


彼女が「逃げられない」と思った相手が、逃げようとしている事実を

彼女はどのように受け取ったろう。



そして私は、彼女から離れた。


今までの彼が「疲れた」という言葉を残して彼女の元を去ったように

私は疲れてしまったのだった。


なんていうことだろう。


彼女はあれほどに嫌った母親と同じことをしていた。


今私は子供を3人育てている。


AC問題に触れると、私は子供モデルと親モデルの狭間で苦しくなる。


理論ではわかる。

自分がされて嫌なことはしなければいい。

子供に子供をさせてやる。

子供の嫌を受け止めて、太陽のような母でいること。


道行く親子を見るにつけ、子供モデルの自分は親を裁く。

が、同時に私は親モデルの自分の目で

育児がそれほど簡単ではないことを知ってしまっている。


そんなに簡単ではないのだ。

健全な関係を持つために、今自分は未知の領域にいるのだから。


健全であればあるほど、自分のキャパでは思いもよらないような

自分から見ると信じられないワガママを目の当たりにすることとなる。

自分が萎縮し表現できなかったことを、目の前に生きる子供は

いともたやすくそれらを表現する。


自分に言い聞かせる。


それは気持ちを表現できる場があるからだ、と。

安心の上に表現しているのだ、と。


それでも何と皮肉なことか。

人間はされたようにしか育てることが出来ないという一面が本当に存在する。


その恐ろしさを、彼女と彼女の母親の関係において身震いするほどに感じた。


意識の中には存在しない、自分の血と肉になった親の行動を

意識外で模倣する。

親から離れ、親のようにはならないとあれほどに決意しながら

結んだ関係の全てが親の行動の模倣によって破綻していく。


私は親として改めて気持ちを新たにする。


刷り込まれたものは、無意識に振る舞いとして噴出するから

自分の行動を、今まで以上に細心の注意を払って子供に関わっていこうと思う。


彼女は望まないだろうが、彼女の死を悼む彼女の母親に

このことを伝えられないことを私は少し悔しく思う。

それと同時に、彼女の母親がこのことを知ってしまっても

受け入れることは無いだろうし、認めることで彼女と同じ選択をするであろうことが

容易にわかるので、私はここに書くことで気持ちを昇天させようと思う。



どうか子を育む人たちが

無意識のうちに悲しいバトンを渡しませんようにと
祈るしかない。

私も同じく。




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アダルトチルドレンへ にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
良かったらクリックして頂けると嬉しいです。