「自分を作り上げる材料。」
http://ameblo.jp/acn/entry-10103001724.html
の続きです。
そういう自分を作り上げる材料って何やろうなぁと考えていたら
自然と自分の憧れている人の要素ってものがクリアになってくる。
同時に、自分が苦手とするものも。
私が憧れてしまう大きな要素の一つに「きっぱりさ」「潔さ」がある。
細かいことにこだわらない(←自分がちまちましてるから特に)、大らかな人に憧れてしまう。
男性も女性もね。
長女ゆえに、兄とか姉に飢えてるのかもしれん(笑)
従いたいというか(ちょっと屈折してるwww)、そういう人にくっついていたくなる。
だけど多分、私の真意は違うんだろうなって最近特に思うの。
私は姉御肌の人を求めながら、それに従順になるほど素直じゃない、かもしれない。
つまりわがままってこっちゃ…。
そんな反抗心旺盛な私ですが、そんな私もすっかり参ってしまうタイプの人がいるってことにも最近気付いたの。
もうどうにでもして!っていう(笑)
それは「許容」をベースにしている人。
私が「参った」と無条件降伏するのは、許容というか懐というか
衝撃吸収剤というか、のれんに腕押し(これはちょっと違うか)というか、
そういう大きな海みたいな人。
なんでもかんでも許す人では無いです。念のため。
「許しますよ」ということをベースにしている人では決してない。
これも単に私の主観であって、私からはそう見えるだけで
他の人から見たら違うのかもしれないけど、今現時点私が憧れる人の理由というものを
真剣に考えた結果、「そういう人である」という認識ってことです。
そんな人に出会うと、私はわくわくする。
わくわくして、たくさんその心の広さを学びたいと思う、みたい。
いいところだなと思ったら、即メモメモ。
実践できそうやなと思ったら、即やってみる。
すんげーいやらしい行動にも思えるけど、多分私の好きな人が言っていたことは
こういうことなんだなって思う。
そういう風に何をチョイスするかで、自分という人間は出来上がっている。
それは逆に、苦手とするものをチョイスしないということでも出来上がっている。
ある人にとっては憧れの行動が、ある人にとっては嫌悪の行動でもあるから。
根本的な思想というか思考回路の違いがあるだけで
そこに正解も不正解も無いけれど、やはり苦手とするところを持った人という要素も
自分の中で明確になってくる。
それは心の狭い人、とかいうことではない。
自称心の狭い人はとても心が広かったりするもん。←私の視点では。
「自称心の広い人」ほど、警戒するかもしれん(笑)
「自称思いやりのある人」とか
「自称感受性の強い人」とか
「自称優しい人」とか。
多分、こういうことを自分で言ってしまうってことに凄く恥ずかしさを感じるからだと思うんだけど。
私の基準では、本当の本当に心が広く許容があり、感受性が鋭く、優しい人は
自分のことを自分で褒めるかいな!と思うから(笑)
そして私のまだまだ少ない人生経験の中で出会った、そういう人たちから
心の広さを感じることが無かったという経験則がある。
ほんの些細なことかもしれなくて、だんだんと罪悪感を感じてきた(笑)
ある姉御肌の人が言ったの。
「旦那さんが浮気をしないから愛している」
私は、すごく違和感を感じてしまったけど、言えなかった。
いつもの私なら突っ込めたりするのに、冗談にして突っ込めなかった。
ただ黙って頷いてしまった。
心の中では
「それは愛じゃなくて見返りを求めるってことちゃうん?」
と思っているのに。
結局、言えないまま離れてしまった。
私にとってとても大事にしている決定的な部分の解釈が違うと、
私は理解を深めることからも手を離してしまう傾向があるのかもしれん。
そこは今後要観察な自分の傾向。
数日前から書きたかった内容なわりに、その時に書かなかったせいか
自分でも何が言いたいのかサッパリわからない内容になってしまった。
とにかく私は、今憧れている人が近くにいるのでウホウホです。
私の目指すところは今、そこです。
そこを目指すことが今、私に必要だと思うからです。
ってことで、paserinさん これからも宜しくです!
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