今日何を選ぶかで未来は変わる。【若干偉そう気味】 | ■なんのこれしき■モラハラ専門カウンセラーacnです。モラハラ加害者との17年、脱出し離婚してからのこと、全て余すところなく。

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「今日何を選ぶかで未来は変わる」



私はいつも思うことがあります。


今日はどう生きたかということ。


けっこう盲点で、私なんかもそうですが

今、自分に起きている全てが自分の行動と繋がっていることを簡単に見失います。

中にはあえて見ないようにする人もいます。

ある人はその現実の存在すら知りません。

見ないようにしていることにすら気付いていないのだと思います。

でも確実に自分の過去の行動が、今の自分を形作っている。



つまり、自分の今の行動、何を選び何を感じどう生きたかで

未来は作られていくということです。


未来は今自分の手に。

そう考えると身が引き締まる思いがします。

今、この瞬間も未来に繋がるのです。



人を羨んでしまう人に遭遇すると、このことが頭をかすめます。

羨むと言っても、その種類にもよりますが。

あとその明るさなんかにもよります。

あ、全部私の主観ですが。


どこでもドアがあったらいいなぁ、のび太が羨ましいなぁの類は、羨むには入れません。

くどいようですが、私の主観ですけど。


私が「え!?」と思うのは、他の人の成功やなんかを羨む類の人です。


宝くじなんかは別にしても、当選すらもその瞬間に

「買う」という選択がなければ当然のことながら、有り得ないわけです。



どんな些細なことでも、何かを成し遂げた人は

そのことを成し遂げるための何かの行動をしていると思うのです。


かといって、努力をしてもどうにもならないこともあります。


そんな時、どういう風に考えるかでも未来は変わると思ってしまいます。

世間を恨んだり、自分のふがいなさに腹を立てたり、誰かのせいにしたり。


そうやって、自分のふがいなさに歯軋りをするようなこと、私だってあります。


でもそれは次への行動のガソリンにすることが多い。

決して羨むことへのガソリンにはしません。

もったいないからです。



私は愚痴があまり好きではありません。

なぜ苦手なのかの理由はハッキリしています。


大抵の愚痴は、自分のことを棚にあげての愚痴だからです。

自分の行動が引き起こした結果に文句を言っているからです。


自分の行動に「自分がそうすることを選んだ」

或いは「そうした」ということがスッポリ抜けていて、あーだこーだ言っている。


「自己選択による今である」という意識が欠落してしまっているからです。

自分で選んでおきながら、さも被害者のような態度には、辟易してしまうこともしばしばあります。



それは今の政治に文句を言う様と良く似ています。


総理大臣を私達の票によって直接選んでいるのではないにしても

その総理大臣を選ぶ権利を持つ人を、自身の選挙権によって選択したのは誰か、ということに似ています。


資格があるのに選挙に行ってないという人は、その選択すら放棄しているのだと思ってしまう。


こんなことを書くと「私一人の票が一体何になるんだ」と思うでしょうが

その一票一票が集まり、立候補した人が選ばれ、国は動き続ける。


自分が選んだという自覚をどこかに置き忘れ、

良くなるのではないかという過剰な期待ばかりを押し付け、国策や政治家をけなすのです。


環境問題もそうです。

規模が大きかったり、実感できなかったりして、自分と繋がっているという感覚にはなりにくいけれど

私たち一人一人の行動が、いや、1人1人の意識が地球の未来を作っていくのだと思っています。

これ、夢物語じゃないはずです。



どんなことにも自分の選択した行動が関係している。

そのことを自覚していれば愚痴の形は変わる。

(私がそう思うだけのことですので、お気になさらないでください)



ペットを馬鹿扱いする飼主。

あれ、自分を馬鹿だと公言しているようなもんだなーと昔から思っていました。


だって誰が育てたの?と思わずにはいられません。

育てたようにしか育たないからです。

(詳しく言えば猫は入りませんが)

※馬鹿扱いするにも色々ありますが。


超持論ですが、昨日を愚痴っている人は今日を生きていないのだと思うのです。


人を羨む人は、羨む事にばかりエネルギーを費やします。

自分の不幸を嘆きます。

その不幸を降って湧いたように言います。


「妻が~だから」

「旦那が~だから」

「○○~が無いから」

「のに」「から」「たら」「れば」

です。


いくら頭で何かをイメージして、未来の自分を想像していても

そこに行動が伴っていたかに目を向けなければ、

愚痴って羨むことからは抜けられないかもしれません。



私は「今、生きている」ということをいつも考えます。

それはつまり今、死を迎えることも在り得るからです。


そういうことを意識して考えた時期もありましたが、今ではクセのように

生と死を考えます。

それは決して暗い類のものではありません。

例えるなら…スピリチュアル的な(笑)



この考えにたどり着くまで、ひどい時間をただダラダラと歩いてきたように思います。
あのままただダラダラと過ごしていたら、今の私ではなかったと思います。

きっとそれなりの未来がここにあるのでしょう。


偉そうなことばっかり書いておきながら恐縮ですが

前だけを見てきたわけではありません。

後悔にうなされる日もあります。

愚痴を言うこともあります。


でも、自分の選択の結果であることからは目を反らしません。

その選択をしてしまった自分に腹が立つのです。

そういう視点しか持ち合わせなかった自分に。



ここまで書くとえらく片意地を張ったような生き方に聞こえるかもしれません。

でもけっこうのんびり生きてるんです。


家でも、掃除嫌だと思ったらやめてみたり、洗い物なんて明日でいーやとかって

モノグサな妻&母&女してます。


なるべく「我慢してやってんのよ!」という光線を出したくないからです。

嫌味を言いたくないからです。

私だって言われたくないから、というシンプルなものです。



何かを過剰に頑張ると、まわりの人にもその過剰な頑張りを期待したり

我慢した分、ものすごく大きな愚痴や嫌味になってしまうように思うんです。


だから私はモノグサ主婦です。

でもすべきことはこなします。

(こなせてないこともあるけどww)

過剰に頑張らないだけです。



今日何を選ぶかで、明日すらも、この数分先すらも変わるかもしれないってこと

これからも真剣に考えていこうと思っています。


万人に用意されているこのシステムを使わない手はないでしょう?



※2005年4月10日に書いたモノを少し加筆修正しました。




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