鞍馬天狗なスピリチュアル。Ⅰの続きです。
電車内では、名刺が飛び交う中、もう一人の先生と呼ばれる方(男性)が気になって仕方ない。
先生の隣に座っていた、さきちちゃんに無理を言って席を変わってもらった。
(さきちゃんありがとう!)
なんか凄い人だというのは漠然とわかるの。
おでこに三番目の目があるような。
その先生に鞍馬寺の思想(宇宙・神羅万象こそが神であるみたいな)を知って、自分が幼い頃から信じてきた思想と同じで感動したという話を熱く語っているときに、先生が少し笑いながらポツリ。
「あなたは前世、お坊さんだからね」
「…」
「これがまた変わったというか、あまりいないタイプのお坊さんでね。
権力や競争や見栄のために修行するお坊さんたちはたくさんいたけれど、あなたはそういうのが嫌いでね。
嫌いというか全く興味が無くてね。
誰にどう思われてもいいというか、気にしない。
生涯、民家のあるような土地で独自の人の在り方みたいな仏の教えをあみだして説いたり書いたりした人。
いくら誘われても上(地位や名誉のある)には行かないで拒否し続けたらしい。
宇宙こそが神だ!って同じこと言ってる。
よほど前世のキャラが強いのだろうね。」と。
……。
気のせいか、ちょっぽり今の私のしてることと同じな気がするんですけど…。
小学5年生の頃から思っていた、草の一枚も人も宇宙の一部であるという考えを、自分でも不思議に思っていた。
強く確信しながらも、明確な根拠があったわけでは無いから。
先生に何が見えていたのかはわからない。
それが正解なのかどうかも実際はわからない。確認しようがない。
ただ、自分の気持ちの中で凄く納得がいったの。
気のせいだと言われても。
スピ的なことが大嫌いな人からしたら、何言ってんだてなもんだろうけど。
私の旦那は大槻教授も真っ青なぐらいにスピリチュアル関係が嫌いな人だから、その感覚もよくわかるのね。
だけど、なんとなく
なんとなく府に落ちる(笑)
そしてね、ここからがアメンバー記事にしようか迷った部分なんだけど、素直だと言われた。
光が降りてきている、と。
まぢかー!(笑)
人間的な解釈で行けば、「光が降りる」という表現になるけど
実際は、内から光りを放っているのだそうで。
赤ちゃんや子供は皆、その光を放っていて、そういう類の光だそうで。
だから素直ですねって。
大抵の人は大人になるにつれ、自らで自分を曇らせては真っ暗になって、あげくブラックホールみたいになって悪いモノを本人の意図とは別に吸い込んでしまうんだって。
(よって、簡単に憑かれたりするらしい)
でもどんな人もその中には必ず皆光を持っている。
放てるかどうかの違いなんだって。
「あなたはあなたのままでいなさい。
そのままで。
あなたがあなたのままでいることが、全ての悪い流れを断つことになる。」と。
実は全く同じことを、ある霊能力があるというおばちゃんに言われたばかりでした。
狐につままれたような感覚で鞍馬駅に降り立つと…。
私、びっこひいてない…。
っていうか、足が痛くない!
な、なんで!?
痛いはずの右足だけで立ってみる。
体重を乗せても痛くない!!
内心かなりびっくりしていた。
あの先生たちは一体…。
つづく。