どーせするなら、楽しい妄想のほうがイイよね♪
と常々思う私。
ピンホーン♪
「は~い」
ガチャ
「!!!
つ、つ、妻夫木くん!!」
とか(笑)
自分自身が被害妄想をしているってことに気付いている人は一体どのくらいいるんだろうと思った。
私も含め、なんだけど。
被害妄想だと気付いていたら出ないであろう言葉選びをして
せっせこ自分の苦痛をわからせようとして
必死になっている人を見ると切なくなる。
自分に起きた出来事を、自分の主観が絡みすぎていることに無自覚の人は、とかく不満が多い。
自分を被害者の位置において全ての話を構築させていくからだと私は思っている。
出来事を主観ばかりで伝えるとロクなことがない。
言ったことあったかな。
だーいぶ前にね。
「いかにも動物が嫌いそうな店員が勤めるペットショップを見かけました!動物達が可哀相です!!」
という書き込みを見たことがある。
その言葉に多くの方(特に女性)が賛同し、
「それは可哀相です!」
「それはどこのペットショップですか?」
「すぐに動物愛護団体に連絡したほうがいいのではないですか?」
などと話し合っている。
この会話に違和感を感じる人と私は繋がっていくのだと思う。
この会話に違和感を感じない人は、多分私とは仲良くなれません(笑)
この書き込みの最大の特徴は
「ほとんどが主観」ということ。
哀れなほどに、主観で構成されている文章が
あたかも事実のようになってしまっている。
「ペットショップに店員がいた。」
それだけの話である。
「いかにも動物が嫌いそうに見えた」のは、見た人だけの印象。
そういうことを「あなただけの主観だ」と言ったって
「実際に見たらわかります」などと言う。
人を見かけで判断しちゃいけないんだぞ!(笑)
「可哀相!!」
これも主観である。
そう思うなら、その光景に本当に問題を感じるなら
ネットに書き込んだり、動物愛護団体に丸投げする前に
本人に動物好きかどうか聞けっちゅうの(笑)
そもそも、私は長くペットショップに勤めていたが
動物が嫌いな店員には一度も会ったことも無いし
聞いたこともない。
そんな人が自分から勤めるわけないやろ(笑)
兵役じゃあるまいし。
悲しいのは、この書き込みを皮切りに
誰もその違和感を感じないまま会話がヒートアップしていったこと。
もちろん気付いている人もいただろうし
それなりに会話に参戦して
「それはあなた個人の主観にすぎないのでは?」
などと声を掛ける方もいた。
でもすぐに一斉攻撃を受けてしまう。
「もし動物が虐待死したら、あなたは責任が取れるのですか?!」
「その動物達の気持ちを考えたことがありますか!?」
なんのこっちゃ。
動物虐待が起きているペットショップという設定にまでなってしまっている。
責任、責任と連呼する人に限って
その責任の意味を取り違えているとしか思えない。
本当にそんなに責任意識やらがあって、
ご立派に責任取れるのかと人に詰め寄るなら
事件性とかを予見していたのなら
本気で動物の気持ち考えるなら
「見てしまった」のが自分という責任から目を反らさんと
まず自分が行動せえよと私は思うタチなので
アホちゃうと思ってしまいました。
つづく。