「結果だ」
と昔とても憧れた人が言った。
結果が出ないということは、プロセスすら意味が無かったことの証だと言った。
以前の私は、「プロセスだ」の派なので
当然意見は割れる。
憧れた彼の言うことにも一理ある。
確かに歌手になりたいからと言って、ソロバンを習うようなことの場合は。
子供が親を殺す事件を見ても、やはり親によりそうなると思っている。
だけど彼から見たら無駄な寄り道になった「意味がない」とされる道に意味をつけるのは自分なんじゃないか。
だから意味が無い、無駄なことなんて何一つ無いのではないか。
誰がなんと言おうと
「意味があった」とすることを、ある地点から見たら結果かもしれないけれど、それすらも長いプロセスの一部にすぎないのではないか、と言ったら
「そう思いたいなら思えばいいんじゃないの?」と言った。
今思えば、あまりに幼い会話だけど。
今私は、プロセスも結果も大切だと思うようになった。
だけどそれは思いの在り方次第だなと思うに至る。
どんなに良く見える結果だとしても、心の在り方次第によっちゃかっこよくない。
そして究極の話になってしまうが、結果もプロセスも思いの在り方も、全ては時間を切り取り区切っているだけに過ぎず
火災により子供を失ったお姉さんも、自殺をしたお義父さんも
何もかもを誰かのせいにしちゃうあの人も
全部を自分のせいにしては自己完結しちゃうあの子も
旦那の愚痴ばっか言ってるアイツも
みんな道の途中なんだなって
思うんだよね、最近。
病気みたいなもので、病気の状態が苦痛だからといってマイナスの要素ばかりじゃなくて。
落ちてこそ底を知り
底を知ったからこそ気付くことってあるやんね。
私に限ってはそうだった。
誰がなんと言おうと。
なんつって。