前回の日記で人生のドン底だ…と思うことの勘違いってあると書いた。
私は虐待を受けて育ったわけだけども、でもじゃあその時に
「ドン底だ」と認識していたかというと、違う。
子供の高い順応性の能力を駆使してのことなのかわからないけど、嫌やな痛いなと思いつつも、みんな同じだと思っていたんだよね。
自分がスタンダードだから。
いや、自分がスタンダードだと認識した上では無いのがもの悲しいけども。
誰の家でもこんな感じだと疑ったことも無かったから、友達んちに行って両親が仲良さそうだったりしても
私が家に来てるからだって思ってた。
私の家も、誰か客が来てたらよそいきの雰囲気だったし。
かといって、他の情報が入らないかといえば、テレビもあるし
ドラマも見るわけ。
でもそこにリアルさを感じない。
ACを知ったばかりの私はある文献の中の言葉に釘づけになったことがある。
「テレビドラマなどで見聞きする仲の良い両親のシーンを見たことがあるはずなのに、それは作りモノであり、実際は皆こうだという家族像が自分の育った家庭という思い込みがある。」と。
そして
「ある程度の年齢になった時、友人の家族たちの仲の良い様子を見た時、とても驚くことがある。」と。
私は18歳の頃、当時付き合っていた彼氏の実家に行ったとき
ほんとに心から驚いたことがあったから。
その体験がここに書いてあるのは何故?と思った。
言葉にしにくいのだけど、お父さんがお母さんに話し掛けても、お母さんの顔が歪まずに穏やかな声で返事したり、彼氏の妹さんがお母さんに甘えていたり、お母さんが愚痴を言っていなかったりと
目の前に繰り広げられる光景がまるでドラマのように感じた。
そして居心地が悪かった。
皆が歓迎してくれているのに。
皆、甘ったれやがって!という怒りに似た感情。
今思えばアレは嫉妬かもしれないな。
そんな風に自分の家庭を比較することなく、極々一般的な普通の家庭だと思い込んでいたことをまざまざと知り、心から驚いたことを思い出す。
お父さんが酔って暴れて、家中のガラス割ったり私を殴ったり
殴られる私の横をお母さんが素通りして
「外に聞こえるから静かにやって!」と雨戸を閉めたり。
そんなことってスタンダードでは無いんだなぁと頭ではわかっても、それでもそんなに逸脱はしていないと思いたいみたい。
ま、そんな時期もあったけど、それでも親はちゃんと育ててくれたんだしってね。
実際、大人になれたわけだから。
大事な記憶を無くしたまま。
つづく。