すぐ逃げるね。
自分にとって心地良く都合のいい、可哀想がってくれる言葉だけ受け取り、自己憐憫の材料にする。
例えばそれが耳に痛い言葉なら、痛い理由があるはずなんだよ。
聞きたくない、見たくない理由があるはずなんだ。
そこが「核」だ。
悩みや苦しみの核。
中心。
見ないでいることもまた選択だから、いっこうに構わないけれど
見ることからいつまでも逃げおおせるわけじゃない。
大事なことから逃げては自分を可哀想がって、そのわりに依存し執着が強い自分を自覚しない回路をフル稼動させては、誰かのせいにしようとするからつじつまが合わなくなってワケがわからなくなるんだよ。
今、苦しいのは
何かが違うと本当はどこかでわかってるからちゃうか?
今、苦しく感じるのはきっと
親を嫌いながら、実は親の価値観の中から抜けていないから。
親の価値観の中で生きているから、必要以上に親が憎くなるってことに気付かなきゃ。
自分が親と同じ価値観で生きていることに気付いたら、そうじゃない価値観を持てる。
真反対をするのもまた親の価値観に振りまわされている証拠。
ああ、親はこんな価値観を持って私を育てたのか!
だから私は、どんな出来事からもマイナスを探せるようになったのだ!
と気付くことがACの自己認知。
どんな自分かはいつも自分が選んでるのに
勝手にそうなったみたく他人事のように言っては親のせいにしたりするけど
そうじゃない生き方は出来る。
夢物語じゃなく。
出来る。
ややこしい親の元で育ったなら尚更。
難しいと感じるなら、やる前からそう考えてしまう癖を持っていると気付いて。
難しいと決めつけたら難しいに決まっている。
踊りの練習と同じ。
初めは見よう見真似。
繰り返し手本を見る。
何度も確認する。
気がついたら踊れる。
価値観ってそんなもん。
なりたい自分をイメージ。
行きたい方向に体を向けるだけ。
苦しみの垂れ流しより、私は希望を垂れ流したい。
新年から好き勝手言う日記でしたー。
今年もよろしくです。
acn