1週間後の再検診まで待てない私達は、急遽産婦人科へ行きセカンドオピニオンを今すぐにでも受けたい希望を伝えた。

担当医は月に何回か市民病院の外来担当医をしているので、そこへすぐにでも行って診察してもらえるように手配してくれた。

その時既に妊娠13週2日目だったので、私の担当医の病院では日帰り処置ができるギリギリの周期だった。
できるなら市民病院で数日入院して処置の方が私の身体にも負担が少ないだろう、とのアドバイスをもらい市民病院へ急行した。

市民病院へ到着するとすぐに紹介してくれた医者が来てくれて早速内診した。

その医者と隣りに偶々居合わせた別の医者が揃って出した診断結果は、
やはり「無脳症」だった。

すぐに医者から手術の説明を受けた。

それは、

「子宮内除去(掻爬)手術」

というものだった。

これは

「子宮内の内容物を機械的に取り除く」

手術で、

「初産婦の人は頸管(子宮の入り口)が硬く、手術で傷つくことがある。
そのためラミナリア桿またはラミセルという細い棒状の器具を前日又は当日の朝から頸管の挿入し、ゆっくり頸管を拡げる」

そして

「人工陣痛剤を定期的に入れて陣痛を起こし、所謂人工的に出産させる」

というものだった。

聞いただけでも背筋の凍るような手術で、今まで大きな病気や入院・手術をしたことがない私にとってすぐには想像できないものだった。

説明後、「人工妊娠中絶の同意書」が渡され、また入院の事務的な書類が次々と私の手元に渡され、心の整理が付かないまま病院を後にした。


帰宅後、入院の準備に取り掛かろうとするも、精神面が全く麻痺していて涙しか出てこなかった。一人で2階で準備しようとすると、夫は一人1階のリビングにいられないようで

「一緒に手伝うよ」

と言って二人で入院の準備を進めた。

入院中、気晴らしになるものを、と本やらをパッキングした。

横から夫が

「じゃぁiPadで映画でも」

と言ってくれたが多分そこまでは見ないと思ったので、iPad持ち込みや止めた。


準備が一段落したところで、夕飯の支度を始めたとき、夫が、

「Mariへ最後にこれを食べさせてあげて」

と半ば声にならなくなりながら、夫の母国フィンランドのチョコレートを私に渡した。

私も溢れんばかりの涙でチョコが見えなくなっていた。

それから暫く夫と二人抱き合って泣いた。


なぜ、人工的に出産させるのか。出産とは、母と赤ちゃんの共同作業によって成り立つものではないか。そして言葉を変えればこれは人工死産となり、私達はこの赤ちゃんの命を絶ってしまうことではないか。こんなことが頭の中をぐるぐると周り始め、涙が枯れるまでこの日は泣き崩れていた。



入院前に義父にもこのことを伝えておかなければならないと思い、
フィンランドに住む義父へSkypeを試みた。

何も事情知らない義父の顔は暫くぶりに2人からのSkypeを待ち侘びていたようで、笑顔だった。しかし夫がポツリポツリと話し始めるとだんだん笑顔がなくなり、眉をひそめて聞き入り、最後には手で顔を覆い涙を溢した。これには私は義父へ顔見せることが出来無くなり、夫の肩に持たれてうずくまってしまった。

義父にとっては、初孫になる予定だった。
年末年始にフィンランド帰省した際には、一緒にベビーカーを見に行って、今夏にはその初孫を見に義父が来日する予定だった。

それが全て無くなってしまった。

そんなことを思いベッドに入ったが、当然全く眠れなかった。
夫と一緒に涙しながら、Mariと過ごす我が家での最後の夜を過ごした。