教授はいつものように、ゆっくりと話し始めた。。。

宝くじに当たる話


先日 学生と、
宝くじが当たったらどうする、
という話題になった。

「例えば、6億円当たったらどうする、
嬉しいかな、何に使うかな、誰かに言うかな、
そもそも当たりたいかな。」

6億円は欲しいよね。
もし当たったら、もう働くのを辞めるかな。
好きなだけ欲しいものを買ったとして、
果たして6億円を使い切れるかな。貯金しておくか。

でも、貯金してどうする、
いつまで貯めておくの、
貯めておいてどうするの。

 

自分一人の秘密にしておくか。
たぶん3年くらいは黙っていられると思うけど、
5年くらいしたら誰かに言わずにいられなくなると思う。

誰に……

6億円は、
ちょっと多すぎるかもな。
じゃいくらくらいならいいかな。
果たして当たったことが幸せに結びつくかな。

色んな話を聞くと、
宝くじに当たった多くの人はみんな不幸になったらしいよ。
妬まれたり、
いつも泥棒の心配をしなくてはならなくなる。
安心できないね。
おそらく人生観や価値観が変わってしまうんだろうね。

 

 

宝くじを買うことって単にお金が目的じゃないんですよ。
みんな夢を買うんですよ。

夢って買うもんじゃないだろ。そもそも売ってないと思うよ。


いろいろ話して、結論が出た。

学生は最後にこう言ったよ。
宝くじが当たるのは嬉しいけど、引き替えないことにします。

成る程、賢明かもしれないね。
僕もそうしよう(ん!?)。

学生さんのピュアな心に感心し、
己を偽る自分の心にあきれつつも、
何かとてもさわやかな感じを覚えたのは何故なのだろう。

学生さんがみんなこのように考えるとは思えない。
6億円と引き替えて一生遊んで暮らす人もいるだろうし、
ひたすら貯蓄しておく人もいるだろう。
人それぞれ多様である。
まさに個性である。

それでいい。
色んな生き物がいる生態系は、
質の異なる多くの生物たちが相互に複雑な関係を結んで出来ている。
均質である必要も無いので多様である。
同様に我々の暮らす社会も多様でなければならない。

色んな個性、考え方があって、
それらが相互に認め合って暮らしていける社会が望ましい。

近頃、
何か多様性を阻むような考え方がはびこっているような気がしてならない。
目立ち過ぎ、
出る釘を避けようとする傾向。

でも釘は出ないと打たれないし、
打たれない釘は意味がないと思うけどな。
みんなハンマーになりたがっているのかな。

どこの何がいけないんだろうね。

 

 

  

宝くじに当たる確率は、

道を歩いていて雷に打たれて死ぬ確率よりもさらに低い。

くじを買いに行く途中で交通事故に遭う確率の方が高い。

 

 

ちなみに僕はくじを引き替えるか悩むことは金輪際無い。

∵ 宝くじを買ったこと、無い。
これからも、買わない。
Q.E.D.

 

 

 

ぼくの前後に過去から未来へとのびるタイムラインがあります。

そのタイムラインにドローンのように浮かんで過去へと遡ります。

 

自分史を探る旅。

高校時代に時のドローンを飛ばします。

 

この話は正直書くのが辛かったです。

僕の女性観を作り上げ、中学・高校と慕い続けた恋人との封印していた、過去を想起したからです。でも、辛くてもある種のカタルシスとして必要なことだとも思います。

もっと早くにしておくべきだったのでしょうが、今が唯一のタイミングのような気もするのです。

 

*******************************

 

僕らは文通していたから、

彼女からの手紙はさぞ沢山あるかと思うのですが、

意外と少ない。

 

このブログで自分史を書くようになって、

取ってある手紙をあらためて数えて見ました。

 

通算五年以上文通は続いたにもかかわらず、

たったの22通でした。

 

いまとなっては、

封筒から便箋に書かれた手紙を取り出そうとすると、

ボロボロと崩れてしまいそうです。

 

葉書も数枚ありました。

年賀状やクリスカスカード、バースデーカードもありました。

切手の料金も安かった。

 

残念ながら消印の日付がはっきりと読めるものは少ないので、

確かな年号や日付はわかりません。

 

さぞかし思い出に残る内容が綴られているものと思って、

読み返してみました。

 

全部記憶していると思ったのですが、

意外と曖昧でした。

 

驚いたことに、半分以上が、

別れや怒りの手紙でした。

 

最初の頃こそ、

学園祭に誘ったり、

学校の帰りに会ったり、

お誘いや楽しいことが書かれていました。

 

しかし、

親密度が増すにつれて、

互いに言いたいことを言ったり、

あるいは言いたいことを我慢したりすることが続くと、

神経質で独占欲の強い僕と、

天真爛漫で自由を尊ぶ彼女との間には、

わだかまることが多くなっていったのです。

 

彼女のお母さんは、

10代で結婚して彼女を産み、

20代後半で離婚していました。

 

気ままな生き方が好きで、

僕の自宅にふらりと立ち寄り、お昼を食べたり、

昼寝したり、自由に振る舞っていました。

 

ある1通の手紙には、

「そんな気ままな母をみんなはどう思うでしょう。

自分勝手な、気ままなひとだと思うことでしょうね。

でも、わたしはそんな母がだいすきです。」

と母親への憧憬が書かれています。

 

そして、彼女の母は30代前半で夭逝してしまいました。

 

彼女の中では、

母はますます美化され、自身の生き方の見本となり、

偶像化していたのでしょうね。

 

僕は僕で、彼女に対して、理想の恋人像を投影し、

幾多の小説に登場するヒロインを重ね合わせて、

そのような女性になることを求め続けたのです。

 

あげく、

電話をすれば、最後はどちらかかが、ガチャンと切る。

手紙を書けば、いちいち難癖をつけて、

「誠意が無い!」と人格を否定して文が終わる。

 

文通は辛く、

電話もかけにくくい、

いつの間にか僕らの関係は、

お互いが望むのと反対の関係になってしまっていました。

 

彼女のお母さんが亡くなってから、

僕らの仲は進展せず、

デートも激減しました。

 

僕にとっては、

荒れに荒れたこころのすさんだ高校時代でした。

友人は盛んにガールフレンドを紹介してくれたりもしましたが、

僕は見向きもしませんでした。

 

なんだかんだ言っても、

僕の意中の人は一人だけ。

 

 

彼女はチョコレートが好きでした。

ハイクラウン・チョコレートのミルクが好きでした。

何度か一緒に食べたこともありました。

 

高価なチョコレートでしたが、

一人でも食べたものです。

 

 

いつしか彼女に会わないで一年以上が経っていました。

 

 

高校3年の6月に修学旅行で北海道に行きました。

 

アイヌ部落に、

著名な木工作家がいました。


とてもおしゃれなペンダントトップがありました。

「これ、彼女にあげよう」

買いました。

 

許されていた小遣いは一つの買い物で無くなりました。

 

 

旅行から帰って、母に見せました。

「素敵なペンダントね」

 

一度だけ、母は出かけるときにそのペンダントをして行きました。

でも

二度と母がそれを身につけることはありませんでした(^0^)

 

 

久しぶりに、

実に久しぶりに彼女に電話をかけました。

 

「会いたい」

「いいよ」

意外とあっさり、承諾してくれました。

 

恐ろしい言葉と共に彼女は承諾してくれました。

「これで最後ね」

 

何のことがピンとこないで、認めたくなくて、問い返せなくて、

「じゃあ、いついつにどこどこでね」

「うん」

 

無邪気な僕はペンダントを持って、

約束の日に約束の時間に約束の場所に行きました。

彼女はすでに待っていました。

二人にとってはおなじみの自由が丘でした。

 

久しぶりに会う彼女は驚くほど痩せていました。

「わたし、腎臓が悪いらしいの」

 

長かった髪は肩くらいに切っていました。

 

少し歩いて、

喫茶店に入りました。

 

中学の頃は歩き回っただけの町。

 

もう大人の世界を知り始めていた僕らは、

ごく自然に喫茶店に入り、

紅茶とお菓子を注文しました。

 

「髪、切ったんだ」

「うん、半年くらい前、切ったの」

「それも似合うけど、長いのも好きだな」

「じゃあ、また、伸ばそうかな」

微笑む彼女。

 

昔ながらの、思い出の中の、大好きな彼女がいました。

なんかふたりとも穏やかな気持ちで妙に和んでいました。

 

どちらからも、

もう会わない、最後のデートだということは言いません。

 

 

それよりも、

トランプのゲームの話をしたり、

テレビや映画の話をしたり。

 

普通に仲良く、

会話しているのです。

 

「ナポレオンって知ってる?」

「ああ、知ってるよ。面白よね、あれ」

「こんど、一緒にやろうね」

とか

「あの俳優が出る映画みた?」

「見た見た、続編もあるのかな?」

「わくわくするよね、つぎは見に行こうね」

 

仲がよかった頃の会話はこんなだった。

ごく自然にお互いの気持ちが素直に表現できて、

気持ちが交差することは無かった。

 

こないだ、修学旅行に行ったんだ、これ、お土産」

ぼくは例のペンダントを差し出した。

「アイヌのひとで、とても有名なひとがいるの。その人が作ったんだよ」

「すご~い!、これ、もらっていいの」

「うん、君のために買った」

「ありがとう」

彼女は受け取ってくれた。

 

「あなたは来年から大学いくんだよね」

「うん」

「わたし、大学は行かないで、働くことにしたんだ」

「えー、付属なのに」

「うん、お母さんもいないし、お金も妹のために使って欲しいし」

「そうなんだ」

 

何の不自由も無くのうのうと暮らす僕には、

返す言葉も無かったけど、

素直に色々話が出来ました。

 

これが本来の僕らなんだと強く感じました。

 

別れる必要があるのか、

その必然性がどこにあるのか。

このまま仲直りで、いいんじゃないの?

 

そうすればよかったのに。

そうすれば未来は変わったかもしれないのに。

僕も彼女もわからなかった……

 

 

長い夏の日も次第に傾いて、

夕方が近づいてきました。

 

僕はその日夕刻からバンドの練習がありました。

 

今思えばなぜ、

とことん彼女と向き合って一緒にいなかったのか。

彼女は何か言いたいことがありそうな様子でした。

練習なんか断ってよかったのに。

 

 

「そろそろ出ようか」

「うん」

 

喫茶店を出ました。

 

二人で駅まで向かい、

彼女は1階のホームへ、

僕は2階のホームへ別れます。

 

既視感のある状況。

 

 

「じゃあ、さようなら」

彼女は手を差し出し、

握手して僕は言った。

 

「バイバイ、またね」

彼女はさびしく笑った。

 

そして二人は別方向へ別れていくのですが、

未練がましく僕は呼んだ。

「Rちゃん}

立ち止まる彼女。

 

「これ、もらって」

 

僕は高校1年のころからホワイトゴールドのネックレスをしていました。

僕のことをクリスチャンだと思っている友だちもいました。

キザと言えばキザですが、唯一のおしゃれだったんです。

 

外して、

彼女を抱え込むようにして、

彼女の首にかけました。

 

そのまま僕らは別れた。

 

2階のホームから彼女を臨むことも出来たけど、

しなかった。

 

 

僕は友だちの家に向かい、

遅くまでバンドの練習をした。

何かに没頭しないではいられず、

ギターの中に自分を埋没させて、

逃避することだけが、

僕に出来ることでした。

 

 

遅く帰宅した僕に、

まだ起きていた母が言いました。

 

「Rちゃんから、電話があったわよ」

 

 

僕はかけ直さなかった。

彼女は何を言いたかったんだろう。

どうして僕は彼女の声を聴こうとしなかったんだろう。

 

 

そして、

二度と僕らが会うことは無かった。

 

当時はいつかまたきっと会える日が来ると信じて生きていた。

僕が彼女に会う日は、決して存在しなかった。

 

 

 

 

 

教授はゆっくりと話し始めた。。。

入学式の怪


いつのころからか
大学の入学式に保護者の方が出席する姿が、
見受けられるようになりました。

いつまでも子離れできない親、
親離れできない子という図式をそしるのは簡単ですが、
それはそれで、いいのではないかと思います。

 

 

数年前にこんな事例がありました。
入学式当時の某時刻、

保護者の方から電話です。
いわく「息子が入学式に行ったんですが、
帰ってきちゃったんです」

「えっ、まだセレモニーの最中だと思いますよ。
それに本日はいろいろと配布物もありますが」
「会場の場所が分からないというんです」

「お配りした資料に建物の場所と時間は明記してありますよ」

「でもわからないからと帰宅しているんですよ」。

絶句。

 

 

結局、
その日はそのままになりました。

必要書類は後日取りに来てもらうことにしたのですが、
こんな学生さんもいるのです。

なぜ学内で誰かに場所を聞かなかったのか?
帰宅しないで保護者に連絡を取って指示を仰がなかったのか?
かりに帰宅したとしてもなぜ保護者は場所を調べて
彼に伝えて再び送り出さなかったのか?
すべては謎です。

その後彼がどのような学生生活を送ったのかもわかりません。

こんな場合いったいどうしたらよいのでしょうか。

保護者がいらしていれば問題なかったかもしれません。


しかし、それでいいのかな。。。

 

 
ある新聞によれば、
某企業では新入社員の入社式に
保護者を招いたとのことです。

ああ、ブルータス、
おまえもか!

 

 

先の学生の例にならえば、

新入社員さんは、

式典に来られるだろうか、

 

あるいは、

すくなくとも保護者は会場に来られるんだろうな、

 

と考えるのは思い過ごしでしょうか?


そのとき、
こんな声が。

「先生、相談の予約が入りましたよ。
おじいちゃんが孫の学生さんのことで来るそうです」。

ついに親を飛び越えたようです。


めちゃくちゃ怖いおじいちゃん登場!!


この続きは、またの機会に。