今回はドローンを小学校高学年に飛ばします。

当時僕らのクラスは6人1組のグループとなって勉強していました。

 

僕のグループにちょっとおませな男子がいました。

叔父さんが日本でも有名な組織の会長さんをしておられました。

当然お金持ちでした。

 

彼と僕は読書量を競っていました。

6年生の半ば頃の話です。

 

その頃僕は、

創元社のSFにハマっていました。

アシモフ、ヴォクト、ウィンダム、ブラウンなど今思うとそうそうたる面々です。

 

最初は短編から入って、

徐々に長編へ。

 

まもなくSFは読み尽くしてしまい、

創元推理文庫のミステリー、推理小説へと進んでいきました。

 

一方 悪友の方は財力にものを言わせて、

愛読書は早川のポケミスでした(こちらの方が高価でした)。

 

かれはSFというよりは、

サスペンス、ミステリーがお好みのようでした。

 

ある時、彼がぼくにすすめてくれたのは、

イアン・フレミングという作家でした。

 

創元社からも訳が出ているのは知っていましたが、

未知のジャンルでした。

 

イアン・フレミング 007の作者ですね。

呼んでみると結構面白い。

 

 ↑ ボンドなみに格好いい!

 

007シリーズ、さっそく二人で読み合わせです。

 

小学生にはいささか刺激がキツイ。

だからこそ二人でこぞって勉強そっちのけで読みました。

調べました。探りました(笑)。物語と人体の驚異(爆)。

 

「私を愛したスパイ」とか「ロシアより愛を込めて」とか。。。

 

早川書房と創元社の訳の違いをつぶさに検討し、

挙げ句の果てに神田に行ってペーパーバックの原書を買ってきたりもしました(爆)

英語読んだって分かるわけ無いのにね。

一番知りたい単語は辞書に出ていませんからね。

 

そのうちぼくは飽きたのですが、

彼はますますエスカレートし、

「マットヘルム・シリーズ」(より過激)など読みふけっておりました。

 

彼が現在英語を駆使して国際的に活躍する大学の先生になったのは、

この時培った闇の英語力が大きく関与しているに違いありません。

 

 

ぼくは僕で、

数年以内に創元推理文庫はすべて読破しました。

ポケミスはあきらめました。

(いまだに成し遂げていないのは心残りですが、今生ではむりそうですね)。

 

読書と本の蒐集が幼少時の刷り込みによることは、

すでに述べました。

 

さらにエスカレートの兆しは小学校の時からあったことは確かであります。

フィクションとの出会いが、SFであったことに僕はとても感謝しています。

 

現実世界での僕の興味は自然科学ですから、

現実と空想はいとも簡単に、

僕の脳内でインターフェースしていたわけです。

 

ぼくは手塚治虫のマンガのように、

バラ色の未来を夢見ていました。

 

 

そして多くの人は、

思春期の訪れと共に、

堕落の一途をたどるのであります……(笑)

 

 

 

 

 

 

 

タイムラインを遡る旅の2回目です。

 

過去から未来に伸びる自分の時間線の上に浮かんで、

今日も、過去へ旅してみます。

 

僕の家は借家でしたが、

庭がありました。

 

角地でしたが道路からは3mくらい高くなっていました。

僕が1歳くらいの時に道路側に2本の桜が植えられました。

ソメイヨシノと八重桜でした。

 

桜の成長は早い。

年々成長しあっという間に5m位に育ちました。

木登りも出来ました。

 

最近はあまり見かけませんが、

花が咲いて若葉が茂る頃に毛虫が大量に発生しました。

アメリカシロヒトリの幼虫です。

 

父は竹竿の先に布を巻いて、

シンナーをしみ込ませ、火を付けて毛虫をいぶり落としていました。

 

あぶられた毛虫はボロボロと落ちてきました。

ぼくはキャーキャー言って逃げ回りました。

あとで僕は落下した毛虫を穴を掘って埋めました。

 

毎年繰り返される年中行事でした。

毛虫退治が終わってしばらくすると

暑い夏がやってきて、蝉がかまびすしく鳴きました。

 

ある時あまりにうるさい蝉に腹を立てた父は、

ゴムでパチンコをつくってセミを撃ちました。

 

父は軍隊上がりでしたから、

こうしたことは非常に器用だったし上手でした。

 

父の放ったタマは見事に蝉に当たり、

勢いよく跳ね返ってきて部屋のガラスに当たりました。

ガチャン!!

 

父が蝉に向かってパチンコを放つことは2度とありませんでした。

僕は放置されたパチンコをこっそり回収して、

機会があったら遊ぼうと思っていたのですが、

いつのまにか無くなってしまいました。

 

 

ある年のこと、

母の妹が結婚して旦那さんとともに遊びに来ました。

僕はいつも旦那さんになったYさんにまとわりついていました。

 

ふと庭に出たとき、たまたま桜の木の下で、

「あれれ、こんなところに毛虫がいるね」といって、

Yさんは無造作に毛虫をつかんで捨てました。

 

ぼくにとっては衝撃でした。

毛虫は触ったりするとチクチクしたり、

かゆくなったりするものと信じていたからです。

 

「大丈夫なの」

「どうってことないよ」

「僕にも出来るかな」

「もちろん」 Yさんは優しく微笑んでいいました。

僕は恐る恐る手を伸ばして、毛虫をつかみました。

「できた……」

ちょっとだけ大きくなった気がした瞬間でした。

 

「毛虫はキャタピラーっていうんだよ」

妙に納得してしばらく瓶の中でキャタピラーを飼った僕でした。

 

 

僕と一緒に育った2本の桜は、

6年生の時に車庫を作るために切られてしまいました。

 

僕のこころの一部も切られたことにずっと経ってから気づきました。

 

僕の一部がなくなったような、

そして小さい頃からあった桜を、

あらたに加わった自動車のために無造作に切ってしまった大人に対して、

思春期の僕は敏感に反応したのでしょうね。

 

桜の木の根元になにがあるかを知ったのは、

さらに時が経ってからのことでした。

 

桜はぼくにとって、

ある意味 生と死の縮図でした。

 

 

 

 

 

過去から未来へ続くタイムラインの旅をしたいと思います。

 

現在から僕の前後に延びる時間線の上に浮かんで、

ドローンを飛ばします。

 

過去へ過去へ、

あまり見たくないところは飛ばして、

幼稚園の頃へ行って見ます。

 

まだ小学校へ上がる前の僕のお気に入りは、

図鑑でした。

 

いまでこそ素晴らしい図鑑はいっぱいありますが、

当時は、小学館と講談社から子ども向きの図鑑が出ていました。

 

中でもお気に入りは、

「地球の図鑑」「さなかの図鑑」「昆虫図鑑」でした。

植物図鑑も保っていたのですが、お気に入りは地球と海の生き物でした。

 

毎日毎日図鑑を眺めては、

想像力を働かせました。

 

特に気に入っていたのが大昔の生物たち。

(ピーボディ博物館にある想像図。当時の復元図は、尻尾引きずり、ゴジラ型)

古生代、中生代の絵から学んだ古代の情景は、

自宅の庭と同じくらい馴染んでいました。

 

たまたま近所の同い年の幼稚園友だちの家に、

偕成社の”絵解き百科”という科学啓蒙本がありました。

字は読めなくても、図や絵は幼稚園生の僕にも十分理解できました。

 

借りてきて見ていました。

 

そんな僕を母が、

東宝映画「大怪獣バラン」に連れて行ってくれました。

さぞ大喜びすると思ったのでしょう。

実際は、怖くてずっと目をつぶっていました。

二子玉川園にブロントサウルスの巨大な模型があった頃です。

あれは夜になると動き出すんだと固く信じていました。

 

 

ぼくには、年上のいとこ(男子)がいました。

彼は早熟な人で、

小学生なのにロケットが好きで、

大人用のロケット工学の本や化学をたくさん手ほどきしてくれました。

 

とにかく、

虫と石と星と宇宙と恐竜とやどかりやウミウシやらを

こよなく愛する幼稚園児でありました。

 

 

家の前は畑。

冷蔵庫も氷を貯蔵して冷やすヤツ。

井戸水をポンプで汲んでお風呂に入れたり。

 

夏の夜にいっぱい飛んできた虫を捕まえると、

なかにゲンゴロウがいて泳がせてみたり。

コメツキムシは逆さまにするとピンッと跳ねておきるのを飽きずにやらせたり。

雨が降ると出来る水たまりには、

すぐにアメンボが来たりする。

 

のどかな時代でありました。

 

僕のものの考えかた、

世界の見方の基本は、

この頃の読書と、

いとこに教え刷り込まれたものだと言えるでしょう。

 

あまり長くいると、

当時の僕に細かく観察されそうです。

早々に退散することにします。