時間線を遡るドローンの、

本日のターゲットは疾走する自転車少年のぼくです。

 

いきなりですが、

父は悪魔のようにタフでした。

 

休日も寝坊することはありませんでしたし、

疲れたという言葉を聞いたこともありません。

(父の話自体はいずれ別稿ででも)

 

幼稚園の頃からの日曜日の日課は、

朝食前にぼくを乗せてのサイクリングでした。

 

ぼくは座布団をたたんで父の自転車の荷台にのせてまたがります。

たいていが家から5キロくらい離れた多摩川の散策でした。

 

春は桜を、

夏はキラキラ光る水面を、

秋は鮎釣りする人を、

冬は木々の葉が散るのを  眺め、

四季の移り変わりを感じていました。

 

自転車はぼくにとってステキな乗り物でした。

 

幼稚園の年長の頃に、

22インチの自転車をかってもらいました。

 

当初は全く乗れず転んでばかり。

それでも、4,5日すると乗りこなせるようになりました。

 

次の週末から、

父はぼくに伴走してくれました。

坂道は、

ロープで連結して走ったり。

 

車も来ないのどかな時代でした。

 

小学校高学年になって、

友だちが次々と高級な自転車に乗り始めました。

 

当時で言えば、

10段くらいのギヤがついたドロップハンドルのサイクリング車です。

 

ご多分に漏れず、ぼくもあちこち自転車屋を巡ってカタログを集めてきました。

理想の自転車を幻想の中でくみ上げます。

 

フロント2枚、リア5枚の 10段変速。フレームはクロモリ、色はライムグリーン、ハンドルはドロップで、給水ボトルのホルダを2つ、サドルはイタリア製。

 

三田の当たりにフル・オーダーの自転車屋がありました。

いまでいうサイクルショップね。

そこのカタログさえもっていました。

 

超裕福な友だちはさっそくそこでオーダーを組みました。

あり得な~い。

 

ねだって、ねばって、公私ともに頑張って、

6年生の夏にサイクリング車をかってもらいました。

 

セミドロップハンドル、4段の外装ギヤ付き。

理想のスペックからは大分妥協がありましたが、

とにかく自転車を手に入れた喜びは大きかったです。

夏休みになって炎天下あちこち走り回りました。

 

とにかく夢中になると他のことが目に入らなくなる悪い癖があります。

 

サドルの後ろに付けるバッグを買いました。

あれこれアクセサリーが欲しくなりました。

 

距離計が欲しい、

スピードメータが欲しい、

工具入れが欲しい、

ライトを明るくしたい、

 

お恥ずかしい話ですが、

ライトも前照灯だけじゃ物足りない。

装飾用のウインカーみたいなライトを前2つ、後2つ取り付けて、

自転車屋さんを数時間悩ませたあげく、

”前だけ”、”後だけ”、”両方” と、

スイッチの切り替え次第でいろいろな組み合わせで点灯できるようにしてもらいました。

 

今考えると、デコトラ風の自転車で恥ずかしいですね。

全部点灯するとダイナモ発電なので大変な負荷なのですが……

↑ こんな感じなのですが、これだと出来合い。
オリジナルはもっとシンプル、高機能のこだわりあり。

 

小さい頃から貯めていたお年玉はすべて使い切りました(^-^*)

この頃から夢中になると後先考えずにお金を使い切るという性癖が出来てきたようです。

 

うれしくて毎日乗っていました。

 

 

ある日、

「今日はどこ行こうかな」

と車庫に行くと停めておいたはずの場所に愛車が無い。

 

「あれっ」

辺りを見回しますが、

ぼくの自転車が無い。

 

いくら探してもありません。

盗まれたのです。

 

あまりに短い蜜月でした。

 

手塩にかけた自転車の盗難は、

さすがに脳天気なぼくにもかなりのショックでした。

しっかり鍵はかけていたのに、十分注意もしていたはずなのに……

 

愛車は出てきませんでした。

かなり落ち込みましたが、

ちょうど新学期が始まって忙しくなったのも幸いし、

ショックは何とか乗り切れました。

 

その後新品の自転車を買ってもらえることはありませんでした。

しばらく22インチの子供用に逆戻り。

 

 

中学生になって友だちからパナソニックの中古を譲ってもらいました。

フロント2枚、リア5枚、ドロップハンドルのスポーツ車でした。

 

12000円で譲ってもらえたので、

都内まで受け取りに行き、

飛ぶように走って帰りました。

 

そのまま自転車屋さんに直行。

すぐさまフロントを3枚に替えて15段変速としました。

電飾はやめ、今回は無駄な部品は一切外して軽量化に努めました。

 

ホント、懲りないヤツだと自分でも思います。

でも思い込むととことん、そうしないではいられないのです。

 

この自転車は、その後30年近く乗り続けることが出来ました。

友だちに感謝しています。

 

こうして、

ぼくの恐るべき乗り物偏歴が始まってしまうのですが、

それはまたお話ししますね。

 

 

 

 

 

 

【型破りの科学者の話】その1

おそらくご存じないと思いますが、、
キャリー・バンクス・マリスという人をご存じですか。

 
不良です。
ドラッグ大好きです。
サーフィン大好きです。
ふざけた仲間がいっぱいいます。

 

偉大な科学者です。
1993年ノーベル化学賞 受賞者です。
 
受賞理由はDNAのPCR法の発明によります。



PCR法?


少ないDNAサンプルを画期的に増やす方法です。
おかげでDNA診断や、DNA鑑定などが出来るようになりました。
 

ドクター・マリスはとてもユニークな人でした。

変人でした。自己中でした。

でも、ひらめきの人でした。
 
PCR法を思いついたのも、
彼女とデートしている最中の車の中。

次々と思い浮かぶアイデアを、
レストランのナプキンにメモしたと言われています。
 

 
ノーベル賞受賞発表のときもサーフィンをしていました。
 
新聞記者が海岸に駆けつけ、
「ドクター・マリスって、人はいますか」
とサーファーたちに呼びかけました。
 
 
どうなったとおもいますか?
 
 
「オレがマリスだ」
「いやいや、僕がマリスだよ」
「マリスだ!」「おれだよ」「いや、私だ」

ウジャウジャとサーファーが押しかけ、
その間に、
当のドクターマリスは、
さっさと逃げ出したといいます。



どう思いますか?

多くの人は、とんでもないヤツだと思うでしょうね。

神聖なノーベル賞を茶化して。

 

ぼくは、そんな彼も大好きだし、

なんて素敵なお友達なんだろうと思いました。

 


ね、僕のお友達、
僕の友だちもきっとそんな友だちだよね。

 

昔 ぼくの車に数人の友だちが乗って飲みに行きました。

酔っ払いを乗せての帰り道、検問に会いました。

ぼくは飲まないから、問題ないのですが、乗ってるやつが問題。

 

検問の警察官に、

「おまわりさん、ぼくは、飲んでますよ」

「そう、おれも飲んでる、免許証もってるよ、見てみて」

運転者のぼくを押しのけて、うるさいことこの上なし。

 

「あなたたちは、いいんですよ」

辟易する警官に、

「見てよ、お願い」

「ほらほら、こんなに色々もってるよ~」

「お酒、いっぱい飲んでますよ」

とにかくウザい。

 

最後に年かさの警官が、

「もう、行って、行って」

とウンザリした顔でぼくに言いました。

「ぼくは飲んでないけど、調べないでいいの」

「い~から、行って」 

 

 

ドクター・マリスのお友達もきっとこんな人ばかりだったんでしょうね。

 


ぼくがノーベル賞を取ったら、
頼みますね。

静かによろこべるように。
 
ノーベル賞より逮捕の確率の方が高いかな(^-^*)


 


彼のPCA法の関連論文はこれ ↓ ↓

https://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/bi00802a010
 

マリス博士の本はこれ ↓ ↓ 型破りって最高です!
 「マリス博士の奇想天外な人生」 (ハヤカワ文庫 NF) 文庫

 

 

追記

これを書いた次の日の報道で、

ドクター・マリスが8/7カリフォルニア州の自宅で無くなったことが報じられた。

享年74歳。合掌。死因は敢えて不問とします。

 

 

 

ドローンは、

過去から未来へのびるぼくのタイムラインを過去へ向かって遡ります。

 

 

今回は小学6年の夏休み前。

 

ぼくの学校は高原学校と称していわゆる林間学校がありました。

 

 

4泊5日くらいの林間学校でしたが、

1学年は3クラスありました。

ある時お互いにサインをもらい合うという行為がはやりました。

 

実はぼくには2つ隣のクラスに想いを寄せる子がいました。

 

休憩時間にみんなわいわいとたむろってサインを書いたりもらったり。

 

あるグループにお目当ての子がいました。

ぼくは勇気を出して「サインしてください」とお願いしました。

その子は伏し目がちにぼくを見てサイン帳を受け取り、

丁寧な字でサインをしてくれました。

 

それまでぼくは誰にも意中の人がいることを打ち明けてはいませんでした。

しかし、サインをもらった嬉しさで親友の一人に伝えました。

 

彼は口が堅いと思っていたのに、

ぼくの密かな思いは、

あっという間に周知の事実となりました。

 

小学生の儚い恋は、

そのまま実ることはありません。

互いに口をきくことも、親しくすることもありませんでした。

 

でも、みんなが知っていました。

 

ぼくらは異常に意識して、

廊下ですれ違っても、

視線をあわせようともしませんでした。

 

翌年の3月になりました。

ひな祭りに信じられないほど豪華な給食が出ました。

なんとエビフライでした。

ぼくはいい気になって、

普段は食べたことも無いエビの尻尾を、

みんなからもらって食べました。

 

その夜、ぼくは食中毒になってもだえ苦しみ、

次の日、生まれて初めて体育を見学しました。

 

その日の授業は、3クラス合同のフォークダンスでした。

各クラスの男女が、とりどりに交ざってのフォークダンス。

断腸の思いで(まさに断腸の苦しみ残存でした)、

見つめていました。

 

ダンスの列がすすみ、

ぼくの前に彼女がさしかかります。

 

ぼくはわざとあらぬ方を見ていました。

 

そして、

視線をもどしたとき、

彼女がぼくを見つめていました。

 

刹那、

電撃のような衝撃が僕らの間を往復したことだけを覚えています。

 

 

数十年後、

ある集まりでお互いに妻帯者として、

ぼくは彼女と会いました。

 

「フォークダンス……したね」

彼女は優しく頷きました。

 

いまとなってはタイムラインをのぞき込んでも、

フォークダンスをしたのかしなかったのか、

ぼくの無意識は教えてくれません。

 

 

このままで、いいね。

このままが、いいよね。

 

 

サインは今でも大切にもっています。