思い起こせばいつも金がなかった。
いまもないけど(^^ )
理由は簡単。
使うからである。
なぜ使うとかというと、
欲しいものあると手に入れずにいられないからである。
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小学生の頃からそうだった。
当時は小遣いを貯めた。
中学の時は昼飯代をもらって食わずに貯めていた。
高校に入って食わずに貯めるのは自ずと限界があり、
働いて稼ぐことにした。
初めてアルバイトしたのは、
高校2年の時だった。
その1
新聞配達をした。
毎日新聞の朝刊の配達であった。
1ヶ月で¥5000。
休まず皆勤するとプラス¥1000で合計¥6000もらえた。
当時の小遣いは月に¥1500だったから、
アルバイト代は法外な金額だった。
朝4時に販売店に行く。
自分の区域の新聞を受け取り、
折り込み広告を入れる。
小学生新聞、英字新聞、本紙、スポーツ紙などを配る順番に組む。
自転車に積み込み出発。
最初の3日くらい先輩が回り方やポストの位置などを指導したくれた。
だいたい2時間くらいで配り終えていた。
すぐに慣れた。
4時起きはキツイかと思ったが、
当時のぼくは無尽蔵の体力を有しており、
授業に6時間出て、
部活に出て、
普通に生活しつつ4時から6時まで働いてもドウと言うことは無かった。
とんでもない時間に、
通学で出会う他校の生徒に出会った。
着ぐるみを着ているかのようなぶくぶくの服で、ものすごい大荷物。
スティックを持っていた。
「こいつ、アイスホッケーやっていたのか!」
ちょっと見直したりして。
別の時は、
いきなり暗闇で誰かと鉢合わせしそうになった。
「おっと」相手はとっさにボクシングのファイティングスタイルをとった。
たまに出会う他の新聞屋さんだった。
いつもは優しそうに「おはよう」と挨拶してくれるお兄さんだった。
「この人、ボクシングやってるんだ。やっぱ、苦労してんだな」
意外な一面を見たときだった。
彼に僕はどう映ったかなぁ。
アルバイトの目的は、
ソニーのIC-11というラジオを買うことにあった。
¥12000位の製品だったので、
2ヶ月でゲット。
「1月に¥5000もお小遣いがあったらどうする?」
「すご~い」 なんて言われていい気になっておりました。
もともと早起きは平気だったので、
3時半頃に販売店へいき、
店主より先に配送トラックからその日の分を受け取っていた。
なれると簡単で5時ころには配り終えていた。
せっかちなのね(^^ )
帰宅してちょっと何か食って二度寝。
これが良くなかった。
すっかり胃の悪い人になってしまった。
そのあとも数年続けたが、
さすがにジワジワとボディブローのように効いてきた。
10点満点の成績が、毎年1点ずつさがってしまい、
やむなく 辞めることになった。
その2
高校2年の夏に、
僕はちょっと荒れていた。
ずっと付き合っていた彼女との仲がこじれてしまい、
面白くなかった。
夏休みが来ても、好転せず、勉強も何もやる気にならなかった。
そんなおり、親戚から海の家の仕事を手伝わないかと声がかかった。
日給¥1500という(時給ではない!)。
給料なんか、どうでもよかった。
暇そうだし、泳げるし、日に焼いてりゃいいやってね。
泊まり込みで7月の20日頃から8月のお盆明けまでという。
何も知らず、のんきな僕は休みになるとすぐに海の家に行った。
さらしを巻いたダボシャツのおじさんが海の家の主人だった。
口うるさいおかみさんがいた。
泳ぐなんてとんでもない。
呼び込みをしたり、
食堂の出前をしたり、
仕事は夜明けから日の入りまで。
勤務時間なんて決まっていなかった。
名前がいくつもある息子さんが数人いて、
みんな怖~い兄さんたちだった。
怖かったが、ぼくらは礼儀や客扱いを学んだ。
厳しかったが、優しかった。
オヤジさんは食堂といわゆる海の家の2軒を営業していた。
いろんな人が来た。
温水シャワーのサービスをしていたので、
正規の客は無料だが、虫のいいやつがタダで浴びていこうとする。
ぼくらはそうした人を見つけて、追っていきお金をもらった。
たまに、文句を言う人がいると、兄さんを呼んだ。
みんな素直に払ってくれた(^^ )
炎天下で両手に岡持を持ち、ラーメンなら20くらいは運んだ。
ビールのカートンを浜の端から端までとか、
かき氷を解けないうちにパラソルの下までとか。
たまにものすごく可愛い女性が海の家に入ったりもした。
「ジュース如何ですか」とかサービスすると、笑顔がメチャ可愛い。
うれしくなっていると、
集団でいらしていることが分かる。
兄さんなんか比べものにならない、
本物の怖い人の集団だった。
その一番怖い人(親分ね)の娘だったりするわけ。
「ひぇー」と言うことになるのだが、
超怖い人は、僕らには優しかった。
非合法なゲームなどをしてらっしゃるのだが、
「おーい、兄ちゃん、ビール3本持ってきてくれ」
「はーい」とお持ちすると、
「暑いだろ、飲むか?」
「いえ、仕事中ですから」
「そうか、まあ、ごくろうだな。釣りはとっておきな」
と万札をくれたりもした。
チップが日当1週間分だよ。
情けないと思いつつも、尻尾を振る犬のような自分がいた。
その足で、交番に出前を届けたり。
当たり前だけど、おまわりさんはしっかりお釣りを受け取った(笑)
海の家などというと、
いかにも泳げそうだが、そうは甘くない。
天気が良くて、海がキレイで、まさに夏という日は、お客様のためにある。
僕らのためではない(^^ )
僕らが泳げるのは、
1.営業時間終了後(夕方から夜)
2.遊泳禁止の日(台風、大波、低気温・水温)
である。
海の家の営業は18時くらいで終わる。
よしずや浮き輪などをしまって、
雨戸をしめる。
一日夜明けからたちっぱなしで働いているので、
身体もだるい、休みたい、眠い。
でも、泳ぎにいったりする。
昼間に仲良くなった女の子が待っていたりするし、
あるいは、監視員の人から、遊ぼうぜと声がかかったりもした。
遊泳禁止の日は、
船を出して、監視員の隊長と遊んだ。
3-5m位の波が来ると、
「サーファーを呼んでやろうぜ」と地元のサーファーとも遊んだ。
「お前が溺れてもオレが助けてやるよ」と真っ黒な隊長に言われると、
うれしくて台風の波でも泳ぎに行った。
たまに、プロの海部(男性の海女ね)の人とも、
獲物を捕りに連れて行ってもらったりもした。
高校生は夏にいろんなことを学んだ。
そんな夏も終わり、
それでも結構なお金を貯めることができて、
TEACのA-2050というオープンリールのテープレコーダーを買った。
うれしかった。
秋になって久しぶりで遊びに来た彼女が、
録音されたロックで長い髪を振って踊ってくれた。
辛い夏は、報われたと思った。
海の家では、3年間働いた。
もう、海は十分だった。
(続く)



