ぼくの前後に過去から未来へとのびるタイムラインがあります。

そのタイムラインにドローンのように浮かんで過去へと遡ります。

 

自分史を探る旅。

中2年の春休みから中3の初夏にかけて、時のドローンを飛ばします。

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正月以来僕は文通を続けていました。

 

多いときは毎週。

心ときめかせて郵便の配達を待ちます。

春休み中などは午前と午後に来る郵便屋さんを待ち構えていました。

 

相手から手紙が来るとすぐ返事したり、

時にわざと遅く返事をしようと思うのですが、

矢も楯もたまらずすぐ返事を書いてしまうのを情けないと思いながらも、

書いてしまう自分がいました。

 

内容はたあいもないものでした。

何通かやりとりが続きました。

 

4月になって僕も彼女も3年生になりました。

そして5月になったある日、1通の手紙が来ました。

 

「うちの学校が学園祭をやります。

よかったら見に来ませんか? 

もっとも私と歩くのがいやだったらしょうがないですけど」

 

ドキッとして、

もし僕が犬だったら、尻尾をちぎれんばかりに振っていたでしょう。

すぐ返事を書き、

何度かやりとりがありました。

 

学園祭の日にそれぞれ友だちを連れて3人対3人で会おうかということで、

ぼくは仲の良い友人二人に声をかけて、

某女子大附属中学の学園祭に行くことになりました。

 

足の長い友だちの一人は、

下町育ちのボンボンでしたが、

ディッキーズのホワイトジーンズを新調していました。

 

二子玉川の電車乗り場で待ち合わせました。

 

3人組の女子学生を探しました。

セーラー服にブルーのリボン。

それとおぼしき3人組を見つけたのですが、

驚いたことにぼくは彼女の顔が分からなかったのです。

 

(実はいまでも人の顔の認識が苦手です。とくに好きな人であるほど、

別れた直後に忘れてしまうほどすぐ忘れてしまいます。

相貌失認の気があるのかも知れません。一種の認知障害ですね)

 

3人組で一番小柄な子が近づいてきました。

「こんにちは」

相手はぼくを認識したようです。

 

こんな子だったんだ。

ぼくは改めて思いました。

 

1年生の時にいっしょに海に行った。

2年の11月に七五三の挨拶に来た。

今年になって、4ヶ月心ときめかせて文通した……

「来てくれて有り難う」

「こんにちは、SくんとMくんです」

ぼくはぎごちなく言って友だちを紹介しました。

 

「OさんとSさんです。今日は一日よろしくお願いいたします。」

彼女は屈託のない様子で言いました。

 

なんかガラスを1枚隔てているような非現実感。

 

男女は磁石のようなものです。

くっつきたいけど、反発し合う感じで、

ぼくらは男女3人離ればなれで、電車に乗りました。

 

お互いにちらりちらりと窺います。

目線が合うと慌ててソラしたり。

 

ぼくには人を見つめ続けるわるい癖がありました。

自分でも気づかないうちに、

ぼくは彼女を見つめていました。

 

様々な思いが去来します。

やっと会えたんだ。

こんなこと、あんなこと、尋ねよう、伝えよう。

思いはすれど、なす能わず(笑)

 

彼女もぼくの視線に気づいたのか、

こちらを見ました。

視線が合いました。

そのまましばらく僕らは見つめ合っていました。

 

やがて、

彼女はニコリと笑いました。

ぼくには到底出来ない、

無邪気な彼女の屈託の無い笑いでした。

 

1年生の時に海に行った車の中を思い出しました。

うた、うたったなぁ、1週間という歌だったなぁ。

あれから、2年も経った。

 

1年生のときのショートカットの彼女と、

いま数メートル先にいる長い髪の彼女が、

1つに溶け合っていきます。

 

微笑んでいる少女……

 

ぼくの頭の中で何かがはじけました。

今でもその瞬間だけは思い出すことが出来ます。

ビッグバンはこうして宇宙を生み出したんだろうな、と思います。

 

ゼロがイチになり、人生が輝き初め、理性が感情に屈した瞬間です。

 

それはまた、

愚かな恋のはじまりでもあった。

 

 

その後のことは全然覚えていません。

学園祭がどうだったのか、

S君、M君、Oさん、Sさんがどうなったのか、

全く記憶がありません。

 

学園祭を見終わって、

みんなでぼくの家に遊びに来たことだけをかすかに覚えています。

 

夕方になって、

彼女たちや友だちを駅に送りました。

 

帰宅してひとり自室で、

なにもしないで、

なにも考えないで、

これまでの文通の手紙を読むともなく、

眺めていました。

 

いつしか暗くなって、

灯りも付けずに、

そのままいました。

 

ただ優しい時間が過ぎていった日でした。

 

 

ともあれ、

学園祭以来ぼくらの交際目的は、

文通だけではなく、

会って一緒にいることへと変化していったのです。

 

 

先回のラストシーンで、

彼女の住所が覚えているものと違っていたと書きました。

ぼくが半世紀も大事に覚えていたのは、

彼女の友だちのSさんの住所だったのです。

 

その謎解きとトラブルはまたの機会に。


 

 

 

 

 

 

 

思い起こせばいつも金がなかった。

いまもないけど(^^ )

 

理由は簡単。

使うからである。

 

なぜ使うとかというと、

欲しいものあると手に入れずにいられないからである。

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僕は22歳で結婚しました。

 

新婚旅行はカナダに行きました。

ツアーでは無く、自分たちで2週間あまりの日程を組み、

飛行機を取り、ホテルを予約して行きました。

 

当時は1ドル360円の固定相場制の時代。

結構なお金がかかりました。

今回は、そのお金を貯めた方法を書きます。

 

大学2年の夏休み前に、

仲の良い友人が「こんなアルバイトがあるんだけどやらないか」

と声をかけてきました。

 

荷物の配達です。

今でこそ宅配便は僕たちの生活と切っては切れないものになって年中忙しそうですが、

当時は繁忙期がありました。

夏と冬、すなわちお中元とお歳暮の時期です。

ちょうど夏休みの前でお中元の時期に運送会社のアルバイト募集がありました。

 

車を持ち込んで、つまり自分の車で配送作業ができました。

父に交渉して1月間車を使わせてもらえることになりました。

荷物は大きさに関わりなく1つ100円くらいでした。

100個運べば1日で1万円。

200個あれば2万円になるという破格の値段でした。

 

午前と午後に集荷が2度あり、

一日2回戦の仕事です。

 

労基も緩やかで30日間休み無しで働くことも可能でした。

 

当時の車は、トヨペット コロナ。

4ドアの四角い車で、後部座席のシートを外すと結構な荷物が載りました。

 

7月初旬から始めました。

お中元の最盛期は7月中旬でしょうか?

 

当初は1日30個くらいしか荷物が無くヒマでした。

そのうちだんだんと量が増えて、最高は230個位を届けました。

今のように時間指定とか、冷凍冷蔵品も無かったので気楽でした。

 

個人消費よりも贈答品が多かった時代です。

 

トランク一杯、30個くらいの荷物を1軒のお宅に毎日の様に届けることもありました。

某有名私立小学校の先生のお宅でした。

こういうのは楽でうれしかったですね。

 

商品券も100円。

ビール1カートンも100円。

醤油や砂糖を大量に積み込むと、

車の車高が下がりました。

 

乗用車というのは柔なもんだと思っていたのですが、

意外と頑丈なことが分かりました。

 

幸いバンクもエンコもありませんでした。

 

当初は土地勘も悪く、100個配るのに3時間ほどかっていました。

なれると新聞配達と同じです。

1時間半くらいに短縮できました。

 

地域の家の配置が分かると、

荷物を順番に並べてもっとも効率よく配れるよう工夫します。

 

狭い道でゴミ収集車とすれ違ったり、

ちょっと止めておいて配達するのは結構嫌でした。

ゴミ収集日も覚えてなるべく迷惑がかからないよう、

かち合わないように考えました。

 

必要は発明の母と言うとおり、

運転も相当上手になりました。

 

 

そしてある日、やってしまうのであります。

 

普段なら絶対に通らないような狭い道がありました。

ちょうど分水嶺のように地域が別れていたのですが、

その道を通ればすごく効率よく配達ができる道でした。

 

片側が3m位の段差があり、

反対側は住宅の塀が迫っている未舗装路です。

道幅は2mくらいで、車幅に人一人すれ違えるくらいの余裕。

ところどころ電柱が出っ張っていて、難しいハンドル操作を要求されます。

100m位の行程でした。

 

ちょっと緊張して半分ほど走ったとき、

左側の路肩がズリッと崩れました。

未舗装路の路肩は思いのほか脆かったのです。

 

あっと思って停車したときには、

左後輪が落ちていました。

無理して前輪まで落ちると、

車がひっくり返って3mの段差を落ちたかも知れません。

(まあ、こんな感じです。 イメージ写真です)

 

 

何とかドアを開けて降りて状況を検討しましたが、

自力脱出が不可能なことは、見ただけで分かりました。

 

携帯電話などあと40年くらいたたないと出現しない時代。

ちょうど荷物があった近くの家に頼み込んで、

電話を借りて営業所に連絡を入れました。

 

「もしもし、なべです。助けて下さい」

「どした?」

「〇〇町〇丁目〇番地の細い道で路肩が崩れて動けません」

「〇〇町の細い道って、△△さんちの上に抜ける道か?」

さすがにベテランの上司は一発で場所が分かりました。

「お前の車であそこにはいったのか?}

「はい、そしたら左側がくずれて……」

「分かった、ちょっと待ってろ。幾人か連れて行ってやる」

 

幸い午後の荷が入るまで時間がありました。

上司と手伝いの人が2台の車で内勤の子数名を連れて来てくれました。

 

それからの作業は見事でした。

上の道から1台、下から1台がロープを張って僕の車を支え、

内勤のバイトの子たちは車の下へ潜り込んで

どこから持ってきたのか、枕木みたいな材木で、

崩れた部分を補修・補強してくれました。

(イメージ写真です ↑ こんな広くない、こんな安全じゃ無い(笑))

 

とにかく車の状況をそれ以上悪くならないように確保して、

すこしずつロープを加減しつつ車を動かし、

20分ほどで僕の車は無事に脱出できたのです。

 

機材などを撤収、回りを整えて、

「有り難うございます。」

 

Mさんという上司はしばらくして言いました。

 

「残りをしっかり配ってこい。お前は運転がうまいかも知れない。ただしこれは、運転のうまい下手、以前の問題。判断が悪い。」

サザエさんのお父さんだったら、

「ばかも~ん」とゲンコツの1つを食らうところでしょうか。

 

ぼくは、頭を垂れてMさんと内勤のバイトの子たちを見送りました。

みんな笑って手を振って去って行きました。

 

泣きそうになりました。

 

『みんなあのとき、車の下へ潜り込んでいた。

もしさらに路肩が崩れたら下敷きになるかもしれないのに。

僕は足がすくんで出来なかった。見ているだけだった。』

 

みんながいなかったら、僕はどうなっていたんだろう。

荷物配りといえども、一人では出来ないことを思い知った気がしました。

ちょっと暗い気持ちでした。

残りの荷物は30個くらいでした。

いくつか、走って配りました。

息を切らすと、嫌な気持ちは薄れていきました。

 

 

営業所へはタバコをいくつか買って戻りました。

「セブンスターはMさん、バイトの×くんはショートホープ、あとハイライトかな」

みんなタバコを吸っていたので、快く受け取ってくれました。

 

誰一人、僕を叱責したりとがめたりする人はいませんでした。

 

僕もみんなも笑顔を交わしあったその日の終わりでした。

 

 

 

蛇足

1.新婚旅行費は足かけ2年かかった貯めたお金でまかないました。

2.何故か脱輪場所から200mくらいのところが現住所であります。

3.最後のころは彼女も手伝ってくれました。今の奥さんであります(多謝)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生を教えていたり、カウンセリングをしていたりすると様々な価値観に出会う。

 

そして、人は価値観の相違で悩み、傷つき、苦しんでいる。

 

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この頃、さまざな生き方と価値の提示を試みている。
 
何が君を君らしくしている?

お金の儲け方、使い方、生き様、在り方、多様な人がいる。
一括りにしてみるのがいいのか、
人となりごとに特性を抽出すればいいのか、
環境との相互作用を重視するのか、
まさにパーソナリティの分類をするがごとしである。

悩みは人を大きくする。

 

でも立ち止まってしまって、

動きが取れなくなるのは時間がもったいないと思う。


話を聴いていると、
何をやるべきなのかで迷っている人が多い。


何かに悩むとき、答えは簡単だ。


ノーと言えばいい。
多いことより少ないことの方が楽なことに気づけばいい。

人生における成功や失敗は、
その時点におけるいくつかの意思決定によって決まる。

迷う場面は選択場面だが、
多くは断ることが出来ずに悩む。
断るためには勇気が必要だ。
切り捨てる勇気がなければ、「より少なく」という言葉は空疎なお題目になってしまう。
「重要なことだけに集中しろ」というのはたやすいが、
それを本当に実践している人は多くない。

ビジネス書を何冊か読むと、

経営の極意は非常にメンタルで、
シンプルなところにあることが書かれている。


いわく、

「肝心なのは、肝心なことを肝心なままにしておくことだ」

とか

「急な決断を迫られたとき、その場で正しく本質を選ぶのは難しい。自分にとって本当に重要なことを明確にしない限り、私たちは葛藤に対して無力なままだ。次々とやってくるタフな選択から私たちを守ってくれるのは、「自分にとって本当に重要なのはこれだ」
という確信である。」
(シェフレン)

われわれはしばしば急ぎ過ぎる。結論に飛びつこうと焦りすぎる。
「本当に必要なのは、もっとゆっくりイエスを言い、もっと素早くノーをいう事だ。」
(トム・フリール)

ノーと言えない日本人と言われて久しいが、

多くの人を見ていてもノーが言えずに悩む人が多い。
確信がないのだ。

無いときは迷わずノーと言えばいい。

「この世のトラブルの半分はイエスを言うのを焦りすぎ、
ノーをいうのを渋りすぎることからくる」

(ジョシュ・ビリングス)

ノーは決して不満の表出ではない。

「不満は事実を解釈したものであって、事実そのものではない。」
(スティーブ・ザフロン、デイブ・ローガン)

利便性の追究が、数々の不幸を生んだのかもしれない。

現在を良くする事は、
何かを削ること、
不要な細部は冷徹に切り捨てる、
決断の本質は選択肢を減らすことなのである。


人生を凝縮するという事は結果に対する行動の比率を減らすという事だ。
そのためにはいくつもの無意味な行動を止めて、
重要な行動1つに置き換えればいい。
削除と凝縮と修正を、日々の習慣にすること。


自然に生き方を修正しよう。
その一番の早道は、「ノー」という事だ。
何かが変わるよ。