愛車3台目 BJのお話し 2回目だよ

キャメル・トロフィー

当時はバブル時代の幕開けで、

アウトドアスポーツも広がりを見せていたし、
キャンプ、マリンスポーツなどとともに、

モータースポーツもそれなりに盛んだった。
海外のラリーや冒険ものが取り上げられていた。

サファリラリーやパリ・ダカール、・ラリーには、
日本からも多くの強者が参加した。

ラリーとは別物のイベントもあった。
その1つが
キャメル・トロフィーであった。

予選は富士山麓で行われるとの告示があった。


何しろ、
毎週富士山に通っていたので、
庭先という印象が強かった。

 

面白がって応募したら、

参加を認められた。


北富士の一部に会場が設けられ、
自分でテントを張っての
一泊2日であった。

 

内容は、


マラソンとオリエンテーリング、
著名人による面接質疑、
夜間無灯火走行(距離を推定申告)、
オフロード走行と
ウインチワークやドライビング・テクニック

などが総合的に評価された。

もちろん、
実走行があるわけで、
これは キャメル・トロフィー本番で使用される
ランドローバー90が提供された。

これに乗れるだけで嬉しかったね。
おまけに壊しても良いので、
水たまりなんか、盛大に水しぶきを上げて突っ込んだ。

(本当はクルマをいたわってゆっくり這い進む方がいいんだろうな)

 

狭間の走行もみんなは慎重に切り返したりしていたが、

かまうことはない、

バンパーで土壁を削っていったよ。

 

バックの方向転換はドリフトターンだよ。

観客受けするからね(^^ )


楽しかった。

本戦使用車は、でっかいこっち。

 

予選使用車は、ちょっと小さめ。

 

ディフェンダーは、

後に僕の義理の弟が買ったのだが、
リッター 4km という大食いさんだった。

あまりジャングル向きじゃ無いと思うけどな。
ガソリンスタンドが多いとは思えない……

そこ行くと僕のBJは,
満タン60リットルで 800kmは走ったよ(#^.^#)


結局

キャメル・トロフィーは、
予選落ち。


でも、
こんな人と知り合いになった。


なぜか、申し合わせたように同じ格好!!

かっこいい青年実業家で俳優の
今は亡き 夏木陽介氏。
当時彼は、パリ・ダカール・ラリーに出たり、
監督をやったりしていたんだ。

 

その後池袋サンシャインでエベントがあって、

パリダカ関係のことで再会するのだが……

一泊2日の楽しい日でした。

 

 

 

3台目の車:最強の四駆 友達もいっぱい出来た!

ランクル=L/C と表記するんだけど、BJと呼ぶよ。

第3期
1979~
日本国内のみ排出ガス対策のため、ディーゼルエンジンをB型から3168ccの2B型に変更、型式もBJ41とBJ44となる。数字のうえではパワーアップであったが、進角特性の変更でマイルドな味付けとなり、燃費も若干悪化することになる。フロントベンチレーテッドディスクブレーキとリアLSDがオプション設定される。 室内のトリムカラーが黒からグレーに変更される。

同年9月頃、ディーゼル化以降、増加の一途をたどる日本国内の一般ユーザーへの対策として、ファブリック内装の導入が検討され、そのリサーチのため初めての限定車が発表される。ボディーカラーはダークブルー、シートトリムはグレー地にダークブルーの細い斜めストライプであった。

出典 http://ja.wikipedia.org

会社帰りに寄ったディーラーで
僕は即決で
ランクルを注文した。

もう40年近く前のお話しだ。

10年近く
僕はBJと過ごした。

友達もいっぱい出来たし、
色んなところへ行った。
世界が広がった。

地面をクルーズするクルマの名前は伊達じゃなかった。

 

トップの写真は
国道20号線の笹子峠の旧道である。

いまではすっかり舗装されてしまっているが、
いまだにバイクで走ると楽しいワインディングである。

当時はダートだった。
BJは4×2で走ると、
ホイールベースが短いので、
けっこうドリフトした。

僕とランクルは人車一体だった。

 

 

都会に雪が降った。

深夜 
僕は駐車場に出て行き、
BJのエンジンをかける。

どれくらい走れるかな、
4×2のままで大丈夫かな、
4×4にしたほうがいいかな、

色々と試したりもした。

都会の雪程度なら
BJは普通に4×2で走れた。

ちなみに4×4はフォーバイフォーと読む。
4つの車輪を4つとも駆動させて走ること。
普通のクルマは4つのうち2つを駆動するので、
4×2と表記する。

そんな僕らのバイブルは
「4X4 Magazine」だった。

毎月購読して、
投稿欄などを通じて友達やサークルが出来ていった。
いまだったら
SNSで苦も無く拡散するだろうな。

 

友達と毎週のように富士山へ行った。

写真は帰りに撮ったもの。

この日、
僕のBJは満身創痍だ。
富士スバルラインの裏の林道を
友達のバイクと一緒に走っていたのだが、
思わぬところで、パンク。

直したと思ったら、
しばらく走ってもう1本もパンク。

野太いオフロードタイヤに、
バイク用のパッチを貼って
恐る恐るの帰り道。


ちょっと走っては、
タイヤを点検。

けっこう走れるもんだなと思った。

薄汚れた愛車の正面。
良い面構えしてるじゃないか!

オフロード車は、
あまり綺麗じゃ似合わない。
傷や汚れは勲章だ。

そんな矜恃で、
わざと汚いまま、
次の日も会社に乗って行っていた。

 

 

富士山での、バイク友達と愛車BJ41V/KCY


そのうちに、
あこがれの雑誌社の仕事をさせてもらえたりもして、
僕のBJも表紙やグラビアに載ったり、
色々なところへ行ったりもした。

一方 僕のライフワークの1つが、
「峠越え」だった。

それに関しては、
稿を改めて書くことにして、

ここでは、
BJと僕のまだまだ続く蜜月を書くよ。

(つづく)

 

 

 

目の話題を書いてきたので、

もうちょっと目の話題を書いてみる。

  

 

人の目の構造から、

外の世界の出来事は凸レンズである水晶体を通過して、

左右反転、上下逆転して網膜状に像を結ぶ。

 

 

なぜ、

我々は世界を逆さまに認識しないのだろうか?

 

ルネサンスの天才、

ダ・ヴィンチはこの疑問に気づいていたが、

眼球の中で反転が行われていると誤った解釈をしていた。

 

天文学者のケプラーも、

光学的見地からこの疑問を提出していたが、

解決には至らなかった。

 

哲学者のデカルトは、

網膜像が逆転していても、

大脳皮質に投影されるときにもう一度逆転がなされていると延べた。

 

 

心理学者のストラットンはこんな実験を試みた。

実験的に像を逆転させるメガネを考案し、

自ら8日間右目に装着して何が起こるかを観察した。

(左目は眼帯で塞いだ)

 

(イメージ図)

 

当初は、

物をつかんだり、歩き回ったりするという日常の動作でさえままならず、

てんてこ舞いだったようだ。

 

しかし次第に視覚と触覚が一致して感じられるようになり、

外界も正立してみえるようにり、

メガネ装着時と全く同じではないが、

正立視が起こると報告した。

 

 

わかりやすくいうと、

逆さにみえていた世界が、

ちゃんとみえるようになった

ということである。

 

さらに、

メガネを外すと、

速やかに普通の見え方になった。

 

普通に考えれば、

逆さを正常にするような見え方に慣れたのだから、

逆さメガネを外せば、

慣れのせいで逆さにみえる妥当という理屈になる。

 

しかし、

つまり逆さメガネによる逆転視の残存効果は、

すぐになくなったということである。

 

工学的に考えると、

逆転した網膜像をもう一度反転させるハード的な回路を、

視覚情報システムのどこかに組み込んでおくのが効率的である。

 

ストラットンの実験結果は、

視覚と触覚による空間の把握は、

経験的に変わりうる(学習しうる?)ことを示し、

その学習はすぐに切り替わることができる。

 

処理システムは非常に柔軟性に富んだソフト的な処理をしていることを

示唆したと言えないだろうか。

 

これ以上は、

真面目に調べていないので、

わかりません(;^_^A アセアセ・・・

 

 

ところで根本的なこととして、

鏡はなぜ上下逆転しないのか?

理由は分かっていないなどと言われるけれども、

 

上下という概念は、地球の重力方向に対する相対的な感覚である。

従って、

絶対的な正立/逆転という概念は存在しないことになる。

左右の意味はあるにしても、

上下をとやかく言う意味はあまりないのではないか?

 

仮に無重量状態の宇宙空間で進化した生物がいるとすると、

彼らの視覚システムはどのような物になるのか、

上下左右前後の概念はどうなるのか、

思考実験してみるのも面白いと思う。

 

 

参考文献

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