アマゾンプライムの広告があって、

孫がバイクで田舎のばあちゃんのところへ行く。

ふと置いてある写真立てを見ると若き日のじいちゃんとばあちゃんが写っている。

 

若い頃のじいちゃんはバイクに乗っていて、

傍らにヘルメットを持ったばあちゃんがいる、という写真だ。

 

それを見た孫は、

ばあちゃんをバイクの後ろに乗せてやろうと思ってヘルメットを注文する。

プライムだからすぐに到着。

孫とばあちゃんは、めでたく2ケツでバイクに乗る。という微笑ましい 展開です。

 

 

以下は、

僕のバージョン。

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孫がバイクで田舎のばあちゃんのところへ行く。

ふと置いてある写真立てを見ると、若き日のじいちゃんとばあちゃんが写っている。

 

若い頃のじいちゃんはバイクに乗っていて、

傍らにヘルメットを持ったばあちゃんがいる、という写真だ。

 

「そうか、ばあちゃんも若い頃はバイクに乗せて貰ったりしていたんだな。

そうだ、おれがばあちゃんを後に乗せてあの頃の、気分を味わわせてやろう」

 

孫は、こっそりプライムでばあちゃんのヘルメットを注文する。

 

次の日、ヘルメットは届いて、

「ばあちゃん、俺のバイクの後ろに乗ってよ」

ばあちゃんは、ヘルメットをかぶって、ちょこんと孫のバイクの後に乗る。

 

孫とばあちゃんは、2ケツで風になる。

微笑ましい1ぷくのシーン。

 

ややあって家に戻ってきて、

「どうだった? ばあちゃん、昔を思い出したかい?」

「あはは、楽しかったよ、ありがとうね。まあ、小さくて可愛らしいオートバイじゃねぇ」

 

 

夕食後、ばあちゃんに呼ばれる。

「ちょっと、裏の納屋までおいで」

 

「うん?」

納屋のほの暗い電灯のもと、

奥の方の薄暗い藁束の前に連れて行かれて、

「ほれ」

藁束を取りのけて、現れたシートのかかった物体。

 

シートを取りのけながら、ばあちゃんが言った。

「じいちゃんと私の馬だよ」

か黒く巨大なバイクだった。

「乗ってみるかい、ちゃんと整備してあるよ」

「おれ、大型免許無い……」

 

「はあぁ、オートバイの免許はオマケでついてるんじゃないのかい?」

ばあちゃんは割烹着のまま巨大なバイクに跨がった。

「しゃあないのう」

 

キックアームを出してカチカチと数回軽く踏みおろしたかと思うと、

やおら割烹着の小さな身体を中に踊らせて、

渾身のキック。

 

たった一発。

グォーーン。

エンジンがかかった。

「す、凄ぇ!」

 

数回 グリップを煽って

「オラの方が、エンジンかけるのはじいちゃんよりうまかったな」

ばあちゃんは、ニカッと笑った。

 

「ちょっくら、走りに行くか?」

 

 

その日は中秋の満月だった。

孫はばあちゃんにしがみついているのが精一杯だった。

ばあちゃんは、

月の光を浴びてアルテミスのようにひたすら駈けていた。

 

 

雲の上から6本脚の巨大な馬に跨がったじいちゃんが、

苦笑いして見下ろしていた。

 

「しょうがないばあちゃんだなぁ……」

 

 

*オリジナルはこちら ↓ ↓

https://youtu.be/Y2b9U6qu5SU

 

 

 

ご存じですか?

 

2019年9月10日に時の環境省大臣であった原田義昭氏は、

福島原発事故に伴う汚染水を浄化した「処理水」について記者会見で述べた。

 

「海へ放出して希釈するしか選択枝は無いと思う」

 

 

増大する一方の処理水ではあるが、

放射性物質であるトリチウムを含む水を海に流して薄めればいいという意識の低さにあきれる次第。

 

なのであるが、

環境に対する放射性物質に関する法律をどこまでご存じだろうか。

 

以下、ご覧いただきたい。

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日本には環境汚染を防止するための立派な法律があるのに、

なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです。(2011年)

 

大気汚染防止法 第27条1項

「 この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染及びその防止については、適用しない」

 

土壌汚染対策法 第2条1項

「 この法律において、「特定有害物質」とは、鉛、砒素、

トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)略」

 

水質汚濁防止法 第23条1項

「 この法律の規定は、放射性物質の汚濁及びその防止については、適用しない」

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福島原発事故で被害を被った農家の方が、

環境省に陳情に言ったときの職員の返答はこうだった。

 

「当省としましては、この度の放射性物質の放出に違法性はないものと認識しております」

 

 

新任の小泉進次郎環境大臣は、

さっそく冒頭の処理水問題について陳謝したと言うけれども、

言葉だけではなく、

行動でも示していただけることを期待しております。

 

望むと望まざるとに関わらず、

ぼくらは様々な汚染物質を身体に入れざるを得ない時代に生きている。

 

 

究極のデトックスはあるのかしら……

 

参考

矢部宏治 「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」 講談社現代新書 2017

p.156~

 

 

 

 

 

 

思い起こせばいつも金がなかった。

いまもないけど(^^ )

 

理由は簡単。

使うからである。

 

なぜ使うとかというと、

欲しいものあると手に入れずにいられないからである。

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これまで色々なアルバイトをしましたが、

肉体系が多かったですね。

 

大学せになって学生ならではのバイトをしました。

知的作業のバイトです。

小学校の先生の紹介で家庭教師をしました。

それまで人にモノを教えた経験はほとんどありませんでしが、

教えること自体は好きでした。

 

最初は、

小学4年生の女子でした。

算数と国語を教えました。

 

いったいどうやったらいいのか見当がつきませんでした。

適当に教科書、問題集を見せて貰ってその場で、

「やってごらん」と問題を出し、一緒に解いていきました。

 

速度の計算とかけっこう焦ることもありましたが、

ノウハウよりは知恵の問題だなと思いました。

さすがに大学生は小学生よりズルイのであります。

 

別に受験勉強を教えたわけでもなく、

中学受験のノウハウも知りませんでしたが、

素材が良かったのでしょう。

某有名女子中学校へ目出度く入学してくれました。

 

その子は中学3年生までお付き合いいただきました。

 

ある時、依頼が来て

兄弟二人を見ることになりました。

 

連絡先を頂き電車に乗って出かけました。

住居が”タマリバサイドハウス”と書かれていました。

 

配達のアルバイトをしたりしていた頃、

お届け先が”華の川崎レジデンス”という表示がありました。

豪華なマンションを想像していたのですが、

すてきな名称の実態は、

平屋でベニヤ板の扉の「えっ」というようなアパートでした。

 

その伝からいって、

”タマリバサイドハウス”というと、

駐車場脇の雑草の生えた昭和30年代のアパートを連想しました。

「溜まり場サイドはうす」のイメージです。

 

いくら探しても見つかりません。

約束の時間は過ぎています。

やむなく駅まで戻って交番で尋ねました。

「ああ、タマリバサイドハウスね」

お巡りさんは親切に場所と目印を教えてくれました。

 

その当たりは先ほどさんざん歩き回った地域でした。

教えられたとおりに行っても、今ひとつ。

「参ったなぁ、めっからないぞ!」

 

高層マンションの影が差しています。

ふと目を上げると、入り口の柱に豪華な浮き彫りの銘版がついていました。

「Tama Riber Side House」 !!

 

昔家庭教師には、伝説がありました。

大金持ちの子息を教えていた地方出身の苦学生。

新学期から教え始めて7月頃になって、お母さんから言われたとか。

「先生、いつもお世話になっております。お中元といっては何ですが、お望みのものなどおありでしょうか」

ドギマギして、「いいえ、とんでもないことです、ご心配なさらずに」

「いえいえ、ご遠慮なさらず、では、適当に見繕って、お送りいたしますわね。」

『わあげんなど、いかがかしらねぇ……』

奥様の部屋から出て行きながらのつぶやきが聞こえるともなく耳に届いたと言うけど、

田舎育ちの朴訥な彼には、わあげんの何たるかも知らずに聞き流したのでした。

 

ややあって、

彼の下宿先のアパートに新車のフィルクス・ワーゲンがお中元で届いたとか。

 

 

タマリバサイドハウスは「多摩リバーサイドハウス」という高級マンションでありました。

兄弟3人のために3DKのマンションを購入された富裕な方だったのです。

いったい何をお教えすれば良いのか。

『帝王学』か。。

 

結局、僕の役目はお目付役でした。

彼らがちゃんと暮らしているか、週に2回視察に来て一緒に90分位を過ごせば良いのでした。

 

お手伝いさんもいて夕食もでました。

二人見るだけで、破格の料金をいただけました。

おまけに学業優秀な方たちで、

僕よりよほど出来るのではないかと思いました。

 

 

家庭教師数件に加えて奨学金を貰っていた時代は、

会社員の初任給与よりよほど収入の多い時代でもありました。

 

もっとも僕の悪友は、

パチンコ、麻雀のセミプロでサラリーマンの初任給の数倍を得ていました。

あとになって、サラリーマンになった彼は貰った給料を机に並べ、

1週間の小遣い以下だと嘆いていました。

 

自身を含めて、

入ったお金はあるだけ使ってしまい、

刹那的に稼げばいいやという思考法はこの頃から

培われてしまったのでしょうね。