しばらく前に、

人には利き手と同じように利き感覚があるという話をしました。

 

視覚(V)、聴覚(A)、体感覚(K)の3つであると述べました。

そして、

利き感覚が会わない人とはうまくコミュニケーションが取りにくいことも述べました。

少し話を進めましょう。

 

誰かを前にして、

「今日の朝ご飯、何食べた?」

と尋ねてみてください。

 

そのときに、

相手の目の動きに注目してください。

眼球が上、横、下のどちらの方向に動くか、

気をつけてみてください。

ほんの一瞬かもしれません、

あるいはじっと一方に固定されるかもしれません。

 

多くの人は、

無意識のうちに、上、横、下のいずれかに視線を向けて考えるはずです。

 

「朝ご飯に何を食べた?」 と尋ねられて、

多くの人は朝ご飯を思い出すはずです。

 

その人の利き感覚が視覚優位であれば、

写真のような視覚映像として思い出すでしょう。

 

利き感覚が聴覚優位であれば、

朝食風景にまつわる色々な音を思い出すでしょう。

 

利き感覚が体感覚優位であれば

食べた食物の口の中での感触を思い出すでしょう。

 

 

実は使用している感覚によって、

視線がどちらを向くのかと言うことはほぼ分かっています。

 

上:視覚(V)

横:聴覚(A)

下:体感覚(K)

なのです。

 

 

従って、

「今日の朝ご飯何食べた? 思い出してみて」

と尋ねたとき、

その人の利き感覚は、

相手の視線が、上ならば視覚優位。

横ならば、聴覚優位、

下ならば、体感覚優位

ということが分かります。

 

別の例として、

こんなふうに考えてみましょう。

 

例) ビートルズのイエローサブマリンを考えてみてください。

ついで、何をおもいうかべましたか?

 

答え①;「黄色い潜水艦のレコードジャケットを思いました。」

きっと目線は上を向いたと思います。

答え②:「メロディそのものを思い浮かべました」

視線は横を向いたことでしょう。

答え③:「潜水艦の狭そうな雰囲気や、こもった空気の匂いを連想しました」

視線は、下を向いたことでしょう。

 

色々な人や場面で細かく観察してみてください。

わかりやすい人、さっぱり分からない人がいると思います。

すくなくとも、

一人のヒトの中では一定した傾向があることに気づくかと思います。

 

以降、頭文字を取ってVAKと呼ぶことにします。

まとめると上の絵のようになるのですが、

細かい解説は次回のお楽しみとします。

 

 

 

 

ぼくの前後に過去から未来へとのびるタイムラインがあります。

そのタイムラインにドローンのように浮かんで過去へと遡ります。

 

自分史を探る旅。

中3の秋に時のドローンを飛ばします。

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彼女を夏休みの作品展に誘って断られた僕は、

彼女の友だちを代わりに誘ったのでした。

そして、断られ、そのことを彼女に伝えられて、

立腹した彼女は、それまでの文通の手紙を焼いてしまったのが、

ここまでの顛末。

 

先回 彼女のことを書いたのは、8/31でした。

3週間の沈黙です。

 

そう、

彼女が僕の手紙を全部焼いたと言ってきてから

ちょうどこれくらいの間、

僕らは連絡を取り合うことはありませんでした。

 

9月下旬

長くて短い3週間は504時間、30240分。

 

 

間もなく僕は16歳になろうとしていました。

16年は5840日。140160時間です。

会えなかった時間はそれまでの人生の0.3%になります。

 

物理的にはね。

でも、

心理的には、これまでの人生よりもずっと長くかんじたものです。

 

どうして仲直りできたのか、

覚えていません。

でも、なんとしても仲直りしたかった。

 

多感な僕の揺れ動く心を支えている唯一の存在が彼女だったからです。

 

おそらく僕が謝ったのでしょう。

 

彼女は気性の激しい子でした。

あちらから歩み寄ることは考えられませんから……

 

たぶんそれまでに貸した本でも、返して欲しいという口実だったと思います。

 

 

或日、学校の帰りに、

自由が丘で会うことになりました。

 

僕の学校は校則でカバンが決まっていました。

3年間も使うとボロボロでひどくみっともない代物でした。

 

デートの日、仕方なくぼろいカバンを持って家を出ようとしたところ、

なんと、取っ手が取れてしまいました。

やむなく小洒落たボストンバッグに荷物を入れて家を出ました。

内心、ラッキーと思っていたのですが、

通学途中で、ばったり校長先生に会ってしまいました。

先生はわりと近所にお住まいだったです。

 

僕は色々な意味で問題児だったので、

校長先生は僕を知っていました。

 

「おはようございます」

「うむ、おはよう。 ん、カバンはどうしたんだね」

「朝、出がけにこわれてしまって」

いかにもウソくさい返答に自分で嫌になりましたが、

この日ばかりは、本当にそうだったんです。

 

校長先生は、じろりと僕をにらんで、

「速やかに直すように。校則は守らないとだめだよ」と厳かにおっしゃいました。

事を荒立てずに済むように、僕は小さくなって先生と一緒に歩いています。

長~い長い学校までの道のりでした。

 

 

午後、

僕は自由が丘で彼女と会いました。

学校帰りに二人きりで会ったのは、

初めてでした。

 

今だったら、

スタバにでも入ったりしたのでしょうが、

当時の僕らは、ひたすら歩くだけでした。

 

駅前から、ブルーバール街をへて目黒通りの方まで、

何を語ると言うこともなく、所在なげに、照れくさそうに、

わざとお互いを見ることもなく、といって一定の距離をたもって、

ただ歩いているうちに、秋の日は落ちていきました。

 

いつの間にか、

気まずい雰囲気は解消されていました。

「そのバッグ、いいね」

彼女が別れ際に言いました。

 

「ありがとう」

久しぶりに、本当に久しぶりにお互い笑顔を交わし合ったひとときでした。

 

改札に入って彼女は、

田園都市線、僕は東横線のホームに別れます。

「ばいばい、またね」

 

「あっ、待って」

呼び止める彼女。

「なに?」

「これ、受け取って」

「ん?」

「本だよ、お家に帰ってから、開けてね」

「わかった、ありがと」

 

手を振って階段を上がっていく。

僕も急いで自分の乗る電車のホームに向かいます。

ある位置に立つと、

彼女が田園都市線のホームに降りて来て、

電車を待っているのが見えるんです。

彼女は僕が見ていることに気づかない。

でも、ぼくは見守っているという、

倒錯的な優越感に僕は浸っていました。

 

僕は彼女よりもずっと大人なんだという、

妙な幻想も抱いていたのです。 

 

 

家に帰って、

どうしようかと迷いつつ、

ぼくは、通学カバンの取っ手を直しました。

校長先生に怒られるのは願い下げでしたからね。

 

 

ずっと我慢して、寝る直前に、

彼女がくれた本の包みを取りました。

 

 

ヴェルレーヌの詩集でした。

 

輝くような韻を踏んだ、そして破滅的な人生を送った詩人。

僕はランボーの方が好きだったけど。

 

ヴェルレーヌは天才ランボーの愛人だったはず。

 

彼女は何を象徴してヴェルレーヌを選んだのでしょう。

 

 

ぼくには分からなかった……

 

 

 

 

 

 

質問です。

 

1+1

はと尋ねられて、

と答えますよね。

 

では、わざと間違えてください、といわれたらどうでしょう?

そんなの簡単だと思うでしょう。

 

意外なことにこれが難しいのです。

 

 

私たちは、

非常に簡単なことはほぼ自動的に答えを出すことを経験的に学びます。

 

 

 

意識するしないにかかわらず、

そうなるのです。

 

 

英語を学んだ人に

How ara you?  

と挨拶すると、

 

ほぼ自動的に

I'm fine、thank you

と意味も考えずに応答するでしょ。

 

1+1 は?

2 なんですね。

 

わざと間違えろといわれると、

2と答えるよりも、

かえって考え込んでしまうものなのです。

 

 

多くの人にとって、自分が簡単にできることをわざと失敗するのは難しいのです。

 

 

あなたは自動車を運転しますか?

運転は簡単ですか?

運転に自信はありますか?

 

多分 多くの方がイエスと答えると思います。

 

運転は1+1と同じ?

自動的に2という答えがでますね?

 

ミスする方が難しいですね。

 

永遠にそうでしょうか?

 

そう考えたとき、

昨今の高齢者の運転ミスによる事故は、

本来得意であったことの判断が狂っているのだと思いませんか?

つまり

1+1は?

「3!」と平気で答えている状態です。

 

無意識領域が冒されていることを意味します。

 

運転免許更新時に、

意識の関与が多い評価をしても運転能力の評価は出来ない。

無意識の行動で評価しないと検出できないということではないでしょうか?

 

1+1は?

2+2は?

13+13は?

いまのあなたはどこまで考えないで答えられますか?

どこから意識が介入しないとだめですか?

 

10年後、20年後のあなたはどうなるでしょうか?

 

意識をいつまでも、

無意識もいつまでも、

元気で若々しく保ちたいと思いませんか?

 

そんな方法があったら、

知りたいと思いませんか?

  

 

*興味ある方はニュアンスは異なりますが、

ウェグナーの皮肉過程理論(Ironic process theory)なども参考にしてみて下さい。