冒頭から、引用で申し訳ないのですが、

自動運転車とは、

 

日本政府や米国運輸省道路交通安全局 では自動化のレベルを以下のように定義している。

2019/10/19 現在のウィキペディアによると(抜粋)

レベル0
ドライバーが常にすべての主制御系統(加速・操舵・制動)の操作を行う。
レベル1(運転支援)
加速・操舵・制動のいずれか単一をシステムが支援的に行う状態。
レベル2(部分自動運転)
システムがドライビング環境を観測しながら、加速・操舵・制動のうち同時に複数の操作をシステムが行う状態。
レベル3(条件付自動運転)
限定的な環境下若しくは交通状況のみ、システムが加速・操舵・制動を行い、システムが要請したときはドライバーが対応しなければならない状態。
レベル4(高度自動運転)
特定の状況下のみ(例えば高速道路上のみ、又は極限環境以外)、加速・操舵・制動といった操作を全てシステムが行い、その条件が続く限りドライバーが全く関与しない状態。日本政府は2020年までにレベル4自動運転車の実用化を目標としている
レベル5(完全自動運転)
無人運転。考え得る全ての状況下及び、極限環境での運転をシステムに任せる状態。ドライバーの乗車も、ドライバーの操作のオーバーライドも必要ない。安全に関わる運転操作と周辺監視をすべてシステムに委ねる。
日本政府はレベル5の完全自動運転を2025年を目途に目指すとしている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%8B%95%E9%81%8B%E8%BB%A2%E8%BB%8A
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202X年
横浜在住の僕たち一家は、
秋晴れの休日に、
静岡 掛川の妹夫婦の家に遊びに行くことにした。
 
「たまには、自分で運転しないで楽するか」
「それも、いいんじゃない」
 
ということで、
今日はロールスロイス ドーン ロードスターはお休みさせて、
最近入手した、
ス〇キ 「OUCHI SV-302 Hyper Delux」でお出かけとあいなった。
 
こいつは、
2020年の東京オリンピックの前年に開かれた東京モーターショーで
コンセプトモデルとして展示された「HANARE」の発展形市販車である。
 
全自動運転レベル5を達成しており、
自宅の居間をそのまま外に持ち出した感じで、
車内はほぼ3畳のフラットな空間となっており、
いわゆる運転席はない。
 
5Gの通信機能を持ち、
GPSと連動して日本国中どこでも完全自動運転で到達することが出来る。
4輪が独立したモーターで駆動され、
家庭の100V 電灯線で充電でき550kmの走行が可能だ。
 
レベル5なのでドライバーは不要。
せっかく僕の保有している
乗用車、大型車、大型二輪の免許も不要である。
 
もっとも最近では、
自動車運転免許自体が無用の長物化しており、
ごく限られた人が趣味的に取得しているに過ぎないが。。。
 
自動運転自動車のレベルに関しては、
ロボット工学3原則まがいの
様々な議論がなされてきた。
 
運転者と歩行者のどちらの安全を優先するかとか、
運転不能と判断されても命令があれば従うのかとか、
緊急時の非安全運転行為をどうのように容認するかとか、
いまにいたっても、結論の出ていない命題はおおい。
 
 
結局
需要は理屈を上回り、
各社から様々な形態の自動運転自動車が販売されるに至ったのは、
ご存じの通り。
 
あとは趣味の問題だと思う。
僕は、「OUCHI」を選んだだけだ。
 
 
3畳には、オプションで絨毯を敷き、
対面のソファを入れた。
折りたたみでパソコン用のデスクも付けた。
 
豪華なキッチンシステムや、
ホームシアター設定をする人もいるらしい。
風呂を付けるのも可能らしいが、いささかやり過ぎだと思うね(笑)
 
ともあれ静岡まではネオ・東名でおよそ90分。
ソファでくつろいでいるうちに到着だ。
 
音声認識ファーストプライオリティは、僕にしてある。
OUCHIは僕をご主人様として、僕の命令を第一優先で実行する。
ご主人様を解任するには、特別な暗号コードを言わなくてはならない。
これは、秘密!
 
「出発」
OUCHIは音もなく発進。
 
ネオ・東名は3車線。
完全自動運転車しか走らないので、
事実上速度制限はない。
 
1つの車線は、流通車線。
ここは、2連や3連のトレーラートラックが走る。
 
たまに数十台のコンボイが走ることもあるが、
その場合には、
先頭にシェパードと呼ばれる先導車がつく。
 
ちょうど、
羊の群れを管理する牧羊犬のような役割で、
長大なトラック軍をコントロールするわけだ。
 
なにしろOUCHIにはハンドルも、ペダルもないので、
前後という概念もない。
従来の車の概念を超えた代物である。
 
 
道中何事もなく、
静岡の妹夫婦の家に到着。
 
ドライブの楽しさはないが、
退屈な移動ということもない。
面白くないと言えば面白くもないが、
日常の延長としての移動は許される範囲だろう。
要は家にいるのと同じ。
 
ドライブを楽しみたければ、
ドーンに乗ればいい。
命の保証はないが、
伝統的な自動車の楽しみを味わうことも可能だ。
あくまでも、趣味の世界。
 
これからは、さらに人口も減るだろうし、
インフラの格差も広がるだろう。
 
 
昔読んだ、
高齋正の「ニュルブルクリンクに日は落ちて」というSFを儚く思い出す。
最後のガソリンを入れた300SLRはニュルを走ってガス欠で永遠に止まる
という話。
 
自動車は今後どうなっていくのだろう。
 
 
 
(続かない)
 

なんとなく虫の居所がわるい日というのがあって、

こころも身体も癒やされていなくて、

天気もわるくて、

経済状態も思わしくなくて、

仕事も妙に忙しいわりに、

やる気もしなくて、

かといって

誰かを癒やす気もあまりしなくて、

一人 鬱々としてくだを巻く。

 

そんな日は、

奇妙に理屈ぽいのであります。

 

そして、

こんなブログを独りよがりに書くのです。

 

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いろいろと調査をすることがある。

もっともらしさを示す場合もあるし、
今後の発展のためにおこなう場合もある。

何かを調査する場合、どれほどの数のデータを集めれば良いだろう。

多ければ多いほど良いと思いたくなるが、果たして本当にそうだろうか?

日本人の男女比を知るために国民全体の性別を調べる必要があるだろうか?
結論は、「ない」である。
これは統計学の問題で、

ある一定数以上であれば十分信頼性のある結果が推定できることが知られている。

 
標準誤差という数値を用いる。


例えば、次のような場合:
(事実)10万人の顧客データの男女別割合は女性が70%だとする。
全数を調べれば、これは真実であることがわかる。

しかし、実際に10万人のデータを調べるには時間と費用がかかるので、
どれくらいの人数を調べればいいだろうか?


統計的には、標準誤差が5%あたりで十分実用となる。
すなわち、
サンプル数と標準誤差の関係を見てみよう。

サンプル数(人数)  標準誤差  解釈
  100      9.5%  女性の割合は51〜89%と考えられる(70±9.5x2)
 1000      3.0%  女性の割合は64〜76%と考えられる(70±3x2)
 8000      1.0%  女性の割合は68〜72%と考えられる(70±1x2)
これ以上サンプル数を増やしても、誤差はあまり小さくならない。


10000名で誤差は0.9%、20000名で0.6%にしかならず、コスパが悪くなるだろう。
ここで、

0.1%を改善することは、

データ処理の手間ヒマを考えると懸命ではないということになる。


以上
けっこう理屈ぽくて難しく思えるかもしれないが、
ビジネスをやっていく上では(売り上げや取り扱い顧客数などが多くなるほど)、
正しい知識と判断のもとに、

必要最小限のデータで結果を出すことは非常に大事なことである。



参考文献
西口啓 「統計学が最強の学問である」 ダイヤモンド社 2013

https://amzn.to/2B4f9tg


同  実践編

https://amzn.to/2nGlWGs




蛇足
標準誤差の定義:サンプルから得られた割合に対して、標準誤差の2倍を引いた値から、標準誤差の2倍を足した値までの範囲に真の値が含まれている信頼性が約95%、という値である。
例)失業率
サンプリングされた失業率が25%で、標準誤差が0.5%だったなら、

全数調査をした結果得られる真の失業率も
24%〜26%に間にあるよということである(95%の確率でね)。
 

努力という言葉が嫌いです。
 
頑張るという言葉も好きじゃありません。
 
よく、「精一杯努力して頑張った」と聞かされることがあります。
 
「あ、そう、そぅなの」至って冷たい返答しかしません。
 
努力も
頑張るも
自分で言うことじゃないだろう、って思います。
 
横から見て、
きみ、すごく頑張ってるね、
とか
努力してるね
と評価されるものではないでしょうか?
 
そして、本当に努力して頑張っている人は、
そのときに、
努力して、頑張っている自覚はないものだと思います。
 
人は何かをするときに、
「やる気」が行動をさせます。
心理学用語では「動機」と言います。
 
やる気を出すことを「動機づけ」といいます。
 
「やる気」には、
自分の中から、
よしやるぞ と思ってやる「やる気」と
外からの理由でやることに分かれます。
 
さらに
内からのやる気も、
① 興味深さや面白いから といったことで高まる場合と、
② やることで欲求が充たされる 場合に分かれます。
 
外からのやる気も、
③ 怒られたりしたくなからやる 場合と、
④ 自分の希望を叶えるためにやる 場合
にわけられます。
 
本当はもうちょっと細かく分けられるのですが、
これくらいにしておきます。
 
「勉強」というと顔をしかめる人が多いようですが、
新しいことを知ることは、本来楽しいはずです。
 
はたから見て苦しそうだったり、
ものすごく大変そうに見えるかも知れません。
 
要はやっている本人が
どういう気持ちでやっているかによると思います。
 
勉強も、
ビジネスも、
恋愛も、
人付き合いも、
生きていること自体
 
努力
頑張り 
なのかとも思います。
 
でも、
自分で宣伝することじゃないよ!
絶対に。
 
読売新聞の中学生の意見も参考にしてみて下さい。

http://tearsinheaven.up.seesaa.net/image/sinbunnkiji.jpg

 

ちょっと難しく、脳科学の視点から見ると、
↓ ↓ ↓
参考文献
川島隆太・横田普努 「2時間の学習効果が消える! やってはいけない脳の習慣 」

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