スペシャルドラマ「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」
皆さ~ん、ごきげんいかがですか?
スペシャルドラマ「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」
ご覧になりましたか?
第二次大戦中、「南洋諸島」と呼ばれていた、パラオのペリリュー島での日本軍の70日間にわたるアメリカとの戦いを描いた物語。
戦争を題材にしたドラマや映画でも、パラオでの日本軍が取り上げられることはあまりない中で、貴重な作品だと思います。
誰もが「こんな戦争もあったんだ?」
日本人も知らなかった日本の戦争がパラオにあった。そう思われたのではないでしょうか?
一昨年、ワタクシが出演いたしました舞台「罅割れた盾 ~さらばとだにも言ひて別れむ~」で、ワタクシ扮する、パラオ人のキンタロウ・レメリクが、自分の祖父から聞いた、戦時中のパラオでの日本軍が身を挺して島を、島民を守ってくれた話を今の日本人に語って聞かせるシーンがありましたが、まさにそのシーンがドラマでも描かれていました。
学校や病院を整備し、額に汗して一緒に畑を耕して くれた日本人。
日本人が大好きになった島民たちが「我々も一緒に日本のために戦う」と隊長に申し出たところ「苟も我々帝国軍人が貴様らのような土人と戦えるか!出て行け!」
そんな冷たい一言で、島を追われ、船で他の島に送られることになりました。
船に乗り込む時、あれだけ仲のよかった日本兵は誰ひとり見送りに来ません。
「日本人を友達だと思っていたのに、やはり我々は騙されていたんだ」と悔し涙にくれる島民たち。
ところが、船が岸を離れた時、浜辺に大勢の日本兵が飛び出して来て、手を振って、畑仕事をしながら一緒に歌った歌を皆で歌っていました。
中でも、一番前で、最高の笑顔で、誰より大きな声で歌っていたのは、島民を「土人!」と怒鳴った隊長でした。
その後、島の日本軍は全滅。
島民たちは悟りました。
「皆を戦闘に巻き込まないために、わざと嫌われるような嘘をついて、「土人!」と侮辱してまで自分たちが犠牲になって島民を避難させてくれたのだ」と。
パラオでの日本兵戦死者数は実に10,695名。
対して、パラオ人の死者は0名。
日本は敗戦し、パラオは、アメリカの占領下に入りますが、アメリカにとってのパラオは、単なる「軍事基地の一つ」に過ぎませんでした。
その統治方針は、「戦前の日本の記憶の一掃」であり、日本が築いた町並みや産業基盤は徹底的に破壊され、主のいない農地は元のジャングルと化して行きました。。
さらに、アメリカは「反日教育」によりパラオ人を洗脳しようとしますが、パラオ人の間には、反日の精神は、まったく浸透しなかったと言います。
そして、1981年、アメリカの信託領治下、共和国として発足し、1994年10月1日、世界で185番目の独立国家(現在193ヶ国)として国連に承認されました。
独立に際して制定された「パラオの国旗」は、日本の「日の丸」デザインの色違い。
「青い海に、黄色の満月」という「月の丸」。
公募された国旗案70点の中から、一も二もなく、この国旗が満場一致で選ばれたと言われています。
「太陽」を象徴する日本の国旗に遠慮したパラオは、「満月」をモチーフとし、さらに、中心を少しずらすことで、日本に敬意を表したと言われています。
独立に際して制定された「パラオの国旗」は、日本の「日の丸」デザインの色違い。
「青い海に、黄色の満月」という「月の丸」。
公募された国旗案70点の中から、一も二もなく、この国旗が満場一致で選ばれたと言われています。
「太陽」を象徴する日本の国旗に遠慮したパラオは、「満月」をモチーフとし、さらに、中心を少しずらすことで、日本に敬意を表したと言われています。
なんと奥ゆかしく、慎ましいことでしょうか。
ペリリュー島にある神社の境内には、太平洋艦隊総司令官のチェスター・ニミッツの作として、文字列が彫られた石碑(1994年に建立)があり、そこにはこう刻まれています。
「諸国から訪れる旅人たちよ
この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い
そして玉砕したかを伝えられよ
太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」
“右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれています。「この島を訪れる旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を・・・・・・」”
毎年、8月15日前後には、「終戦記念日」として、戦争を題材にしたドラマが放送されますが、こうした作品を通じて戦争と言うものを今一度考えてみたいですね。
