昨日、山口県光市の母子殺害事件についての最高裁判決が出され、被告人である元少年の死刑が確定しました。私の常識的な感性からすれば当然の結果だと思います。
特に、原審の広島高裁が、「むしろ,被告人が,当審公判で,虚偽の弁解を弄し,偽りとみざるを得ない反省の弁を口にしたことにより,死刑の選択を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見出す術もなくなったというべきである。」と指摘し、最高裁が、「被告人は,原審公判においては,本件各犯行の故意や殺害態様等について不合理な弁解を述べており,真摯な反省の情をうかがうことはできない。」と指摘したのを読んで、心の底からスカッとしました。
いつも刑事裁判を見ると、検察側も弁護側も不利になりそうな証拠なり供述なりをひた隠し、有利になりそうな証拠だけを提出し、有利になりそうな供述だけを繰り返していますよね。裁判では当然なのかもしれませんが、私は、そのようなスタンスに違和感を覚えざるを得ません。
今回の事件では、当初の一審・二審では元少年は起訴内容を認めていて無期懲役の判決が出たのに、その後の上告審で元少年は殺意を否認し、傷害致死を主張するようになっています。
このタイミングで元少年が今まで認めていた内容を翻すことってあるんでしょうか?弁護士が死刑回避を確実なものにする(又は無期懲役よりも軽い刑にしてもらう)ために「入れ知恵」したということはないでしょうか?
もちろん弁護士の方なので、「嘘でもいいから、法廷でこう言いなさい!」なんて言ったとは到底思えませんが、例えば「本当はこういう気持ちだったのではないですか?」と何度も諭して、本人が「そうかもしれないな~」とか「確かにそうだった!」と思うように誘導したように思えてなりません。
元少年にとって有利な判決をもらうための戦術...ではあると思うのですが、事実を曲げてまで供述を変えさせる戦術には、私個人としては納得がいきません。
そして今回は、結果として、その戦術が仇になったとも言えると思います。この結果に対し、元少年の弁護団の先生方はどう責任を取ってくれるのでしょうか?元少年の弁護団は、「元少年は逮捕以来13年間、社会から遮断された中で被害者の無念と遺族の憤りを真摯に受け止め、反省の日々を送っている。しかし裁判所は被告の姿勢に目を向けようとせず、更生可能性を否定した。」との声明を出したようですが、全くもって説得力がありません。
こんなことを書いたら、弁護士の方からご批判やお叱りを受けるかもしれません(弊ブログを弁護士の方が読んでいるとは思えないので、取り越し苦労になること必死ですがね)。私も特許権侵害訴訟等の代理人として法廷に立つ可能性のある人間ですので、実際にそのような場面になったら、お客様に有利な判決を得るために全力を尽くすでしょう。
ただ、事実を曲げた供述なり証拠なりを創り出すことだけは絶対に避けようと思います。