先日友人と話していたときのこと。

「○○が大丸梅田『てん』(店)にあるみたいやで」
と言うもんやから
「へ?あのさー。大丸は梅田『てん』やなくて梅田『みせ』やで!」
って言うたら
「それなんなん?おかしない?」
って答えが帰ってきた。


ボクの中では大丸○○店は全部○○「みせ」って言うんが常識やと思てたから逆にビックリしたわ。


そもそも店を「てん」と言うのは比較的日本語としては新しいんちゃう?
本来は「みせ」という言い方をしてたと思うねんけどどない思う?

だって「みせ」が訓読みで「てん」は音読みやもん。
大和言葉としたら絶対「みせ」やろ!と。

そう言えば「たな」って言い方もあるよなぁとも思た。
例えば「店子(たなこ)」や「大店(おおだな)」なんかやね。


そこからちょっといろいろ調べてみた。


物を棚の上に陳列して販売するという方法は昔はアジアでは日本独特みたい。
中国や朝鮮では露店商みたいに地面や筵に直置きって感じで売ってたみたいやね。

そこから「棚」に物を置いて「見せ」て商品を売る見世棚(みせだな)という言葉ができたようで。
そういやこの「見世」って表現は今でも浅草の「仲見世」などに残ってるか。

そこに「店」という一つの場所に家を構えるといった意味を含む文字を充てて「みせ」と言うようになったみたいやね。
ここには露天・行商などとは違ってちゃんと建物を構えて商売してますよ!って区別する意味合いもあったみたいだわよ。


で大丸のこと。
どうやらこの「みせ」って表現に今でもこだわりがあるみたいで電鉄系などの新興百貨店とは違って「うちは歴史あるんですよ!」って気概も含んでいるそうな。

ただ戦後は新興勢力が増えてきたことで「みせ」という言い方より「てん」と言う言い方が一般的になってきたこともあってかえって異端になっているのかもしれないね。


比較的新しい東京店は一般的には「てん」と言われてるし電話交換も「てん」と言っている。
ただインフォメーションで聞いたら東京「みせ」ですって言うてた。
ということは並立しているってことかしら?

そして03年に開店した札幌も「てん」という言い方をしてたわ。
この前の北海道旅行で行ったときにスゴい違和感を感じたので札幌店で確認したところ「北海道では『みせ』という言い方が一般的ではないのであえて『てん』と言うようにしてる」そうな。

ちなみに社内的にはどちらも「みせ」らしいよ。


とここまで大丸の話を書いてきたけど別に大丸の社員でもなければワイロをもらってる訳でもないよー!(笑)
単に大丸の「みせ」って表現が好きやねん。



そしてこの話の〆として。


一度大丸の公式サイト(http://www.daimaru.co.jp/)を見てみてちょ。
そして店舗情報⇒梅田店のページを開けてURIを確認してくださいな。
きっと感動できるんじゃないかしら?ww
「きつね」=「しのだ」って常識やん!とずーっと思とった。


だから先日友人のブログにもそうコメントした。


するとまさかの「俺も言わへん・・・」
「え?」なんかエライ裏切られた気分やわ(笑)

そしてビールを上手く注ぐ友人曰く「『しのだ』ってなんですのん?」と。


ひょっとしてこれは「レーコ」「ミーコ」並。
いやそれ以上に既に死語なんか?と思ったらそりゃもうショックショッカーショッケスト(おいおい!その活用はおかしいやろ!)


ってことで「きつね」(関西圏以外やと「きつねうどん」)のことを「しのだ」っていう人は挙手!!
(って誰もおらんかな・・・・汗)


さてさてこの「しのだ」。
なんのことかと言えば和泉の地名・信太のこと。

そして浄瑠璃や歌舞伎の題材となった「葛の葉」(くずのは)というお話からの発展だわよ。


んじゃその「葛の葉」ってどんな話かというと・・・。


遠く村上帝の御代。

信太の森で狩人に追われていた白狐を安倍保名(あべのやすな)が助けてやった。
しかしその時に保名はけがを負ってしまった。

けがをした保名を葛の葉という女性が介抱して安倍野にあった自宅まで送っていったそうな。

そして葛の葉が保名をたびたび見舞っているうちに2人は恋仲となってやがて童子丸という子を授かった。


その後親子3人幸せに暮らしていた。
しかし童子丸5歳のある秋の日に事件は起こった。

葛の葉が庭の美しい菊に心を奪われうっかりと正体である狐のしっぽを出してしまったのだ。
正体をバラしてしまった葛の葉は共に暮らすのももはやこれまでと一首残してそっと信太の森へと帰って行った。

「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉」


残された2人はこの歌を頼りに葛の葉を求めて信太の森を奥深くまで探索に。

そこで保名が振り向いた時。
一匹の狐が涙を流しながらじっと二人を見ているではないか。
それにハッと気付いた保名は「その姿では子どもが怖がる。どうか葛の葉の姿になっておくれ」と願い出た。

するとその狐は傍らの池に自らの姿を映し出してたちまち葛の葉へと変身して一言。

「私はこの森に住む白狐。危ない命を助けられそのやさしさに今まで一緒に暮らしてきた。しかしひとたび狐に戻った以上もはや人には戻れない」

そしてすがる童子に諭しながら形見にと水晶玉と黄金の箱を与え別れを惜しみつつ元の狐の姿となって森の奥へ消えていった。


この話から「狐」⇒「信太の森」⇒「しのだ」ということになったとさ。


ところで「葛の葉」の話はこれで終わらない。


葛の葉の忘れ形見である童子丸くん。

その後天文道を修め母狐から別れ際に受け取った遺宝の力で天皇の病を治し陰陽頭に任ぜられることとなった。

そう。彼の名を安倍晴明という。
メダルラッシュだった競泳。

金メダルは獲得できなかったものの選手の泳ぎから多くの感動をもらった。


ここまでエースとして日本チームの中心であった北島くん。

平泳ぎ100m決勝での泳ぎ。
平泳ぎ200m決勝での泳ぎ。

史上初の同一種目3連覇を目指したがそれは残念ながら成し遂げられなかった。
しかしその泳ぎはボクの心にズンと響いてくるものだった。

そして最後のメドレーリレー決勝の泳ぎ。

見ていて涙が出てくる泳ぎだった。
彼の集大成を見てくれ!と言っているかのようだった。


選手のみなさん本当にお疲れさまでした。
そしておめでとうございました。
心から感動をくださったことにお礼を言いたいと思う。



とここで終わらないのがだわさのブログ。


日本語でスタートのときと言えば「位置について」「よーい」(「ドン」)だわね。

でも英語になると同じ「位置について」でも競技で表現が違っているのはお気付き?

水泳の場合は"Take your mark."
陸上の場合は"On your mark."


水泳の場合はスタートするときに飛び込みのとこを掴んでいる。
陸上のときはスタートのときは手を置いているだけ。

そこから"Take"と"On"って違うんだろうなぁと。

(この件については現在調査中でし)
1日経てば怒りが収まるかな?と思ったけどムリだったので書くことにした。

これを書き公開するといろんな意味で相当なリスクがあると思う。
それに対してはもう受け入れる覚悟ができた。
それにぜひ多くの人に読んでもらいたいと思っている。
つまりそれぐらい書かずにはいられないほどこの怒りは大きい。



と前置きはこの辺にして書くとするか。



昨日少し待ち時間ができたので喫茶コーナーでコーヒーを飲みながらスポーツ紙でも読んで調整と思った。

そこで日刊スポーツを読んでいたときあまりの怒りに一瞬頭が真っ白になった。
怒髪天を衝くとはこういうことを言うのかな?というぐらいに。
(って坊主だから髪が逆立つことはないか・・・・汗)


何がそんな怒りを呼んだのか?と言えばこの記事。
「現地レポート『ロンドンの光と影(webでは五輪の光と影)』ゲイが集う池 部屋には全裸男ぎっしり」
http://london2012.nikkansports.com/m/column/ishii/archives/p-cl-tp0-20120802-993840_m.html

別に通称「ゲイ池」を記事としたことなんて怒っているわけではない。

ただ記事の書き方としていかがなものか?と言うこと。


記者は「かなり異様な光景」で「ロンドンの、もう1つの顔を見た気がした」と感じたようだ。

確かにノンケ(ストレートな男性)の人が見ればある意味「異様な光景」と見えたであろうし「もう1つの顔」だったことは想像に固くない。

しかし文中「男性ばかりのグループが数組ピクニックしていた。会話に耳を傾けると『あの子かっこいい』『いい体だね』…」と言う部分。
ゲイからすればノンケが「あの子かわいい」「あの子の胸が」と言うのと同じことだと思うのにどうして「ロンドンの、もう1つの顔」という書き方をされないといけないのか?


どのサイドから見るかによって物の見方というものが違ってくることはもちろん理解しているつもり。
(ボク自身が怒っていることもそれはこの記事と違ったサイドから見ていると思うから)

しかしここまで興味本意な(だけの)書き方をする必要があったのか?と。


しかもコラムの題名は「光と影」となっている。
つまり「もう1つの顔」という書き方から明らかにゲイが「影」と言っていることにほかならないと思う。

それではこの記事を読めばゲイへの偏見を助長しかねないのではないか?
そしてマイノリティーに対して配慮が足りないのではないか?と。


ゲイに対して以前に比べて社会は相当寛容になってきたとは思う。
しかしまだまだ偏見が多いことも事実。
例えば街中で男女のカップルのように手を繋いで歩いたり抱擁したりすることなどなかなかできる状態ではない。
またTwitterで何かと言うと「ホモネタ」が溢れかえることがある。


どうしてこのような「異様な光景」が生まれざるを得ないのか?という視点が欠けてはいないか?とも思った。


この記事を書いたのは社会部の記者の方らしい。


新聞社は大津の事件ではいじめについていろいろと論陣を貼っている。
またあるときは弱者救済などを書いていることもある。

しかしこのコラムの内容はどうなの?と。
それではダブルスタンダードではないのか?と。


あまりの怒りに日刊スポーツには抗議をした。

そのとき対応された方は自分たちの立場だけを主張するでもなく真摯にボクの意見に耳を傾けてくださった。
そのことについては心から感謝している。

しかしだからと言ってこの内容自体を許容することはボクにはできない。

難しいとは思うが訂正というか不適切な内容だったというか記事を出してほしいと思う。


そしてこのことに限らず少しでも偏見などがなくなってほしいと願っている。
オリンピックは競技によって実施方法が違っている。

初めからすべてトーナメントを行うもの(柔道・卓球など)
リーグ戦で絞りこんでからトーナメントを行うもの(サッカー・バレーボールなど)
複数で予選を行いそこでの上位で複数で決勝を行うもの(水泳・陸上など)


ここでまたちょっとした不思議だな?と思うことがあって・・・。


サッカーの場合。
まず1次リーグがあって上位チームが決勝トーナメントに進む。

1次リーグって名称なのはオリンピックまでに各地区予選があって出場チームを決めてるからなんかなぁ。

IOCのロンドンオリンピックのサイト(英語)では"First Round"(第1ラウンド)と表記されてる。

ってことは報道なんかで時折「サッカー代表1次予選を突破し決勝進出!」なんて言うてるけどこれ間違いやない?と。


バレーボールの場合。
こちらもサッカーと同じくリーグ戦の上位チームが決勝トーナメントに進む。

ところがここでふと思ったことが。

IOCのロンドンオリンピックのサイト(英語)では"Preliminary Round"と表記されてるんですよね。

これを日本語にすると「予備のラウンド」つまり「予選」やんと。

せっかく世界最終「予選」を勝って出場したのにまた予選かい!と思わず突っ込みたくなっちゃいましたわ。

と思ってFIVAのサイトで見てみると世界最終予選は"World Olympic Qualification Tournament"(世界オリンピック資格トーナメント)と「予選」はどこにもなかったとさ。