今年もまたこの日を迎えた。


いまだ新型コロナウイルスは収束を見せず多くの困難があるが震災を乗り越え今日も生あることに感謝したい。


高齢化が進み大震災未経験者が増え日々遠い過去の出来事になっている。
そんな中あの日・あの場所を体験し生き残った者として想いだけは寄せていたい。

 
コロナで一変した世界。
今後以前と同じような日々はもう戻ってこないかもしれない。
それでも1日でも早く平穏な日々が訪れ少しでも日常が戻ることを願って祈りたい。


今日はあの日。
阪神淡路大震災から27年。
十年一昔。
10年も経てば人も街もいろいろなものが移り変わっていく。

あの日テレビで見た映像は何年経ったとしても変わることはない。
同様に実際にあの場を体験した人たちの心も変わることはないだろう。

薄れていく記憶や想い。
たとえそうであっても忘れてはならないことの1つ。

何一つできていないかもしれない。
でも少しでも気持ちだけは持っていたい。

東日本大震災から今日で10年。

今年もこの日を迎えた。


新型コロナウイルスの感染拡大という困難。
昨年末はルミナリエも中止。
そして今年は追悼行事も縮小される中でこの日を迎えた。
たとえどんな状況であってもこの日だけは忘れてはいけない。
毎年繰り返しているがあの日・あの場所を体験し生き残った者として。

 
コロナ禍で大変ななかであっても今年も今日という日を迎えられたことに感謝しそして祈りたい。
一刻も早くコロナ禍が収束し平穏な日々が訪れることも願って。


今日はあの日。
阪神淡路大震災から26年。
気づけば25年の月日が流れた。
そうもう四半世紀と言われる年月が。

街も人もどんどん変わっていく。
そしてもう記憶の向こうに。
もしかしたら夢だったのか?というぐらいに。

令和になって初めて迎えるこの日。
年号は変わったけどこの日だけは忘れてはいけない。
そう思っている。
毎年繰り返している言葉だけど。
それがあの日・あの場所を体験し生き残った者として。

 
今年も今日を迎えられたことに感謝して祈りたい。
そして今年こそはどうか平穏な1年であることを願って。


今日はあの日。
阪神淡路大震災から四半世紀。25年。
いったいなんのことかって?
まぁたんなる言葉のお話で笑いを取りたいだけやけどw

戸籍って基本作られた後はその戸籍の中にいる人が誰も存在しなくなれば閉鎖される。

多くの場合、結婚により夫婦の戸籍が作られたところがスタート。
そこに子供ができると追加されていく。
その後子供たちが結婚するとそこからどんどん抜けていく。
そして亡くなっても抜けていく。

誰か1人でもいる間は全員のこと(抜けた人も含めて)が記載された戸籍謄本やその中の誰か1人の戸籍抄本を取ることができる。
(もちろん取得の手続きができるのはその戸籍に関係する限られた人だけやけど)

そして戸籍の最後の1人も居なくなってしまったとき。
ついにその戸籍は閉鎖されて除籍となる。

ここでマメ。
戸籍が除籍になると証明の発行手数料は高くなる。
まぁ手間がかかるからってことだろうけど。


さてここで標題のお話。

結婚して元の戸籍から抜けて新しく夫婦となった2人の戸籍が作られたときに新戸籍編製となる。
この新戸籍のことを役所の人は略して「しんこ(新戸)」と呼ぶ。

また法令改正などによっていま生きている戸籍を作り直すことがある。
このときに作り直す前の戸籍のことを改製原戸籍(かいせいげんこせき)という。
最近では平成6年の改正で電算化されたときにこの作業が行われた。
ちなみにいま戸籍を取ると以前の謄本や抄本ではなく全部事項証明などと呼ばれる改製時に継続している事由(婚姻や出生など)に関するデータだけが記載されたものが発行される。
つまり電算改製前に婚姻した・死亡していたなどすでにその籍から抜けている情報は載らないので注意が必要。
(現時点で従前でいうところの生きている戸籍謄本は発行されない)

で。
さっき言った改製原戸籍のことを役所の人は略して「はらこ(原戸)」と呼ぶ。

「しんこ」に「はらこ」
ね。お寿司屋さんでしょ(笑)

「げんこせき」なのに「はらこせき」と呼ぶ理由は原戸籍を現戸籍と間違えないようにってことでは?と言われている。

というどうでもいい話がひさびさのブログ更新(汗)