先日の奈良旅行で、ちょっと面白い体験がありました。

それが、新しい視点を与えてくれたので、

書き留めておきたと思います。

 

具体的内容は書きにくいので、

仮に、旅のなかでの「プランA」と「プランB」

ということにしてみます。

 

当初、旅行を計画するときに、

ふと浮かんできたのが「プランB」でした。

 

でも、実際は「プランB」にはならず、

「プランA」へと運ばれて行きました。

 

「プランB」とは「プランA」に+αがついたものなので、

私には「プランA」でも十分に嬉しいものでした。

なので、「プランA」のつもりで準備をしていました。

 

ところがです!

当日になって、もう一度スマホでデータを確認したところ、

「プランB」になっていたのですビックリマーク

 

変更になったのではなく、

最初からそうだったように、

スマホに残っている過去のデータも

「プランB」に変わっていたんですびっくりキラキラ

 

 

おいおい、えりぃ、それは、おめーがボケていただけじゃねえかビックリマーク

 

って突っ込まれそうですが、

さすがのボケボケな私も、

今回は何度も事前にチェックして、

前日にも確認して、

見間違いはなかったんですよね。

 

気づいたときは、びっくりして、

パラレルシフトをしたような、

別の世界線に移ったような、感じあんぐり

 

でも一瞬後は、そうかそうか、と結構すんなり受け入れました。

 

なぜなら、この夏、108さん動画を観ながら、

知覚や考えを疑うことをしていて、

似たような体験があったのです。

(ちらっと過去記事に書いています→→

 

ただ今回は、知覚や、考えを

本当だろうか?と疑うこともなく、

目の前に現れたので、少々びっくりしたのでした。

 

 

 

 

強いて言えば、

ずっと「プランB」が気になっていたことと、

千歳空港へ向かう車の運転中、

なにやらすごい恐怖感が湧いてきて、

3、40分くらい聖霊に祈り続けていました。

 

楽しい旅行の始まりなのに、

なんでぇ~~?と思いつつ、

出てきたものは赦し、

心が癒される機会なので、

ただただ祈っていたのです。

 

それが関係あるかないかは、わかりませんがてへぺろ

 

いつもと違うことと言えば、それだけ。

 

で、このパラレルな体験があったからこそ、

受け取れるものがあったんです。

 

 

 

 

ひとつは、

「今」とは、過去から連続しているものではない!

ということ。

 

どうしても、過去からつながって今がある、

と思っていましたが、

その連続しているという信念が緩んで、

「今」と「過去」は関係ないんだ

という気がしたのです。

 

そして、「過去」とは固定化されたものではなくて、

変わってしまうようなあやふやなものだったのか!

と改めて思ったのです。

 

 

そうなるとですね・・・

世界の中の「私」という自己概念、自己イメージも、

なんだか、根拠のないあやふやな感じがしてきたのです。

 

 

私たちは、過去の出来事の記憶があり、

(過去があると信じていますよね)

 

それに対して、いろいろ解釈し、意味づけをして、

 

それゆえ、自分はこんな人間と思っていたり、

いろいろな信念を持っていますよね。

 

 

なのに、そもそもの「過去の出来事」自体が

変わっちゃうようなあやふやなものなら、

それを元に作られてきた自分(自己概念、自己イメージ)なんて

 

本当に、本当に、

意味ないじゃん!

 

過去のデータの上に作られた

自己概念、自己イメージなんて、

根拠のない、あやふやなものだったんじゃないか!

 

と体感として思えてきたのです。

 

私というイメージの輪郭が、ぐらぐらした気がしました無気力

 

 

 

 

数年前なら、

時間は連続していないと想像するだけで、

船酔いみたいに気持ち悪くなったりしましたが、

今回は、大丈夫でした。

 

過去とは、幻のようなもの。

ならば、過去を元にした思考、信念には、根拠がない。

 

そう感じたとき、

これまでは、過去(の記憶)に意味を見ていたし、

過去に力を与えてきた、と気づきました。

 

過去 = 無  なんですよね。

 

まだまだ、過去はない、とまでは思えませんが、

風穴があいた感じです。

 

 

せっかく空いた穴に、光あれ~~~キラキラ(笑)

 

 

と思ったら、

 

 

私たちが光だからね(ニッコリ) by J兄さん

 

という声が届いたような気が笑