続きです。

 

2023夏~秋の振り返り
2023夏~秋の振り返り2

2023夏~秋の振り返り3 心の力を取り戻す

 

世界に力があるのではない。

私(たち)の心に力があるのだ。

 

ということが、腑に落ちてくると、

普段の生活のなかで、心がざわついた時、

今、自分は何を決断しているのか?

今、自分は何に力を与えているのか?

にフォーカスするようになってきました。

 

動揺をした時に

「自分で自分にこれをやっているんだった!」

と、思い出すまでの時間が短縮されてきました。

最初は、やっぱり被害者的な反応がでてきますけどねてへぺろ

(自我は先に語る~~)

 

それに、レッスンの言葉が

すごくストレートに届いたり。

 

例えばレッスン57

私は、自分の見ている世界の被害者ではない。
もし自分がそう選択すれば完全に取り消されてしまうような世界の被害者に、どうして私がなりうるだろうか。
私を縛る鎖は解けている。
私は、ただそうしたいと願うだけで、自分を縛っている鎖を振り落すことができる。
何ものも私をこの世界に縛りつけてはいない。

ただ私の留まりたいという願望だけが、私を囚人であり続けさせているのだ。

 

被害者どころか、願望なのだ

ということが素直に受け取れるようになってきたんですウインク

 

そんなある日、聖霊に聞いて、

テキストを開くと、ある言葉にはっとしました。

 

幻覚は一つの目的に役立っており、その目的が保持されなくなったときにはそれらも消え去るということである。
したがって、問うべきは、自分がそれらを望んでいるかどうかではなく、
常に、それらが役に立っている
目的を自分が望んでいるかどうかである。

T20.Ⅷ.8.6 奇跡講座 中央アート出版社

 

「目的」という文字が目に飛び込んできました。

ああ、そうだった、目的を望むかどうかなんだと、

新鮮な気持ちで受け取ったんです。

 

それからというもの、赦しが必要な場面で、

ちょっと見方が変化してきました。

 

例えば、私はお金のことでエゴに転びやすいのですがイヒ

「お金がなくなったらどうしようあせる」と不安が湧いてきたときに、

同時に、不安という形をまとっているけれど、

実はこれは、世界はある!分離している!

というエゴの主張なのだ、と思えてきたんです。

 

そうしているうちに、

物事や状況がなんであれ、
(お金、家族、人間関係、世界情勢、あるゆるものが)

どう感じるか、どう見えるかは、
心のなかのシンプルな二つの選択のどちらを選んだかを

現わしているだけなんだと、すんなり思えるようになりました。

 

それまでは、形、見かけに囚われて、

そこにたどり着くまで、もっと時間がかかっていたんです。

 

二つの選択とは、エゴか聖霊のどちらを選ぶか。

エゴを選ぶとは、

「私は神を攻撃し、分離し、それゆえ罪があり、罰を受けるべき存在だ」

と信じること。

 

聖霊を選ぶとは、

「私たちは神とひとつであり、分離したことなどない、無垢で、完全無欠で、愛の存在だ」を信じること。

 

 

 

 


時々、エゴの囁きに乗って
お金が心配あせる老後が心配あせる
という思いが湧き上がってきますが、
「私は神を攻撃し、分離した身体で、罪人で、罰を受ける存在だ!」
という考えを信じると決断していることなんだ、

とすぐに思い出せるようになってきました。

どうしても、表面的に浮かんでくる心配や不安は具体的で、

エゴか聖霊かの選択でしかないと言われても、

抽象的すぎて、とお~い感じがしていたんですよね。

 

具体的な問題と、心の抽象的な選択の間に

ぼんやりかかっていた霧が晴れて、

やっとつながった感じがしました。

 

世界に見える問題の原因はこっちビックリマーク

と心の向きが、原因へ向きやすくなったとも言えます。

 

世界のリアル感が薄れてきた・・・かな照れ

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバー

 

 

長くなりましたが、

こんな夏から秋を過ごしておりました。

 

今年の札幌は暖かいのですが、

もうすぐ雪が平地にも降りそうです。

 

読んでくださってありがとうございます。

 

 

みなさまの日々が、奇跡と喜びに溢れていますように飛び出すハート