欠如感の赦しについて書き終わった日の夜、
ちょっと面白い夢を見ました。

こんな夢です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

私はベンツのような車の後部座席に乗り込んだ。
仕事の時間に間に合わなくなりそうで、この車に乗ることになったらしい。
運転席には男性が乗っていて、
見た瞬間、こいつはやべーヤツだ!とわかった。

見るからに狂っている。

車は蛇行運転をしたり、ものすごいスピードを出したり、
めちゃくちゃな運転をして、
目的地に全然向かってくれない。

このままでは死んでしまうと思って、
私はシートベルトを外して、車から飛び降りた。

飛び降りた場所は、田舎の小さな町で、
周りに住人たちが何人もいた。

運転手は、車ですごい勢いで私を追いかけてきた。

車に追いつかれて轢かれそうになった時、
私はスタントマンのように車の上にジャンプして、
その後も家の上などに飛びあがり、自在に他の家に飛び移ったりした。

(運動苦手な私にはありえないこと)

運転手は執拗に追いかけてくる。
でも周りの住人たちは、異常な光景のはずなのに、
「ああ、そう」という感じで見ているだけ。
無視しているのでもなく、ただ反応しないのだ。
誰かが警察を呼ぶとか、まったく動こうとせず普通に過ごしている。

誰か助けてーーー。

私は逃げて、町のはずれの峠につながる坂道を上がって行った。
道路のアスファルトからところどころ草が生えているような古い坂道。

向かいから老夫婦が散歩してきた。
助けを求めても「そうね」って感じで、全然危機感が伝わらない。

他の住人同様、見ていることは見ているのに、ただ反応しない。

道を駆けていたら、道端に死体があちこち横たわっているのが見えて、恐怖が倍増した。
死体は女性がほとんどで、「あの子達も、みんなこんな風に殺されたんだ」と思った。

誰かに届くかわからないけれど、できる限りの大声を振り絞って
「おまわりさん、助けてーーーー!!」
と何度も何度も叫びながら、逃げながら坂道を登った。

叫ぶ自分の声で目が覚めた。

でも、実際のベットに寝ている私の身体は「助けてー」じゃなく
「このヤローー!」と叫んでいた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

目が覚めた時、「ああ夢だった!」と思ったのですが、
恐怖感がリアルに残っていて、思わず布団の中にもぐりこんで、
ドキドキが収まるのを待ちました。

落ち着いてきて、真っ先に思ったのが、

「おまわりさん、助けてーーー!」じゃなくて、
「聖霊、助けてーーー!」だったよな!

それを思い出せなかった私、く~~残念 (>_<)


朝になって冷静になると、夢の中であれほど全力で
「おまわりさん、助けてー!」と叫んでいたのに、
身体は「このヤローー!!」って言っていたのが
すごく不思議に感じられてきました。

夢の中では「助けてーー」と助けを求めていたのに、
身体を通すと、「このヤローー!」って翻訳?転換?されちゃうのかなあ。


先日、元ダンナに「その態度なんだよ、このヤロー!」と思っていたのが、
実は、愛を求めて「欠如している私を助けてー」だったことを、
そのまま表しているようにも思えました。

私が怒っている時は、実は
「助けてーー」と言っている時なんだと、認識しておこうにやり

ところで、4年前にすごく怖い夢を見た時に、

聖霊助けてーと言って、夢の中の現象が変化したことがありました。

こんな夢です。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2017年に見た夢

私は息子二人と一緒に旅をしていて、
ある国から出ようとした。

国境を越えようとしたら、魔物がでてきた。
(その頃「勇者ヨシヒコ」にドはまりしていたので、その影響かも)

私と長男はどうにか出られたが、次男がいないことに気づき、
また戻って次男を探しに行った。

どこにも見つからず、とうとうその国の一番奥にある、
薄暗~い谷の斜面に建っている廃墟になった病院にたどり着いた。
あまりのおどろおどろしさに、腰が引けた。
探しに行きたいけど、怖い・・・。

そう思ったら、次の瞬間病院の中にいた。
荒れた建物内は、暗いし、怖くて怖くてしょうがない。
ど、どうしようと心臓がバクバクする。

聖霊助けて~~~~!!!

と叫んだ。
すると、病院が消えて明るい灰色に包まれ、
空を飛ぶような広がる感覚がリアルに感じられた。

そうだ!世界はない!世界はない~~~!

と叫んだ。

でもまだ恐怖感があり、また病院へ戻ってしまうのではないかという
不安もあった。
必死で世界はない!を言い続けた。でも変わらない。

あ、世界はないだけじゃダメだった。

愛だけがある!
愛だけがある~~~~!!!

と叫んだ。
すると世界が明るくなり、そこで目が覚めた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

4年前にこの夢を見た時より、今の方が日常で聖霊を思い出すことが多いし、

いろんな理解も進んでいるのに、

今回は聖霊のことが全く頭に浮かんでこなかったのが

ちょっと悔しい。

夢の中で、「これは現実ではない。聖霊助けて~~!」
と思えたらよかったのになあ。

もし、そう言っていたらどうなっていたんだろう??


夜中の夢でも、昼間見ている夢でも、

どれほどリアルに感じられたとしても、

これが現実ではないとわかって、

いつだって聖霊を思い出せるようになりたいと思ったのでした。

そのために日々の、毎瞬の聖霊を選ぶ練習が必要なのですね。



それにしても、4年前の私が、夢の中で変化を体験したのは、

余りに恐怖すぎて、ものすごく必死に聖霊に助けを求めたからなのかもしれません。

全身全霊で聖霊に助けを求めていたのが、今もはっきり思い出されます。



その後、仕事へ行く途中、わちゃわちゃしたことがあって、

妙に焦りや心配が出てきてきました。


職場に急いで向かいながら、ふと浮かんできました。


これだって、夜中に見た夢と同じじゃん!

リアルに感じるけど、そう思えるだけで夢じゃん!

これも、本当じゃないんだ。


>夢の中で、「これは現実ではない。聖霊助けて~~!」
>と思えたらよかったのになあ。

とついさっき悔しく思ったことを

今やればいいんだ!


そう思うと、全部が冗談のように見えて、

深刻さが飛んで、おかしくなってきました。


今、私は夢の中にいると思っているんだな~~へえ~~~。


と今までと違う見え方になりました。

でも、その後仕事に入るといつもの感覚に戻ってしまいましたが(^^;



4年前の夢で、私が受け取ったことが二つあり、

 

一つは聖霊に助けを求める大切さと、

もう一つは「世界はない」だけでは片手落ちで、

「愛だけがある」つまり、「神だけが実在する」ことこそが大事だということ。


夢は幻想なので、無であり、だから何も起きていない。

でも、

幻想が消えたら、そこにあった不変で永遠のものに気づく。

だから、これは夢なんだ、と認識できるようになるのがゴールではなくて、

夢が隠してきたもの、私たちの聖性、完全性、愛を思い出すこと、

本当の自分である存在を思い出すことがゴール。


これが、結構微妙に忘れがちになるんですよね~。


「世界はない」だけだとフラットな感じなんですが、
(味気ないっていうか・・・)
愛だけが実在すると思うと、すごく拡がり、力強くて、喜びが湧いてきます。


例えば、↓こんな一節などを読んでいると、呼び覚まされてきます。


祈りとは、神がわが子を創造したときに、彼を祝福して授けた最大の贈り物である。
その時の祈りは、祈りというものがいずれ成るべき姿そのままであった。
すなわち、創造主と被造物が共有する単一の声であり、
子が父へ向かってうたう歌であり、その歌が父に捧げる感謝を父が子へ返す歌でもあった。
そのハーモニーには終わりはなく、父と子がお互いに与え合う愛の喜び溢れる協和音にも終わりはない。
そしてその中で、創造が延長される。
神はわが子の中でご自身が延長されることに感謝する。神の子は、父の名において創造する彼がうたう歌の中で、自らが創造されたことへの感謝を捧げる。
時間が終わったとき、父と子が共有する愛が、常しえに祈りのすべてとなる。
なぜなら、祈りとは、時間が存在するかに見え始める以前は、そうしたものだったからである。

(祈りの歌 序1 中央アート出版社)


ああ~~うっとり~~~。本当にJ兄さんに感謝です~~。

お父様大好き~~~ラブラブ(毎回書いてるかも・・・笑)


なんだか長くなってしまいましたが、ちょっと面白い体験だったので、
おまけに書いてみました。

お付き合いくださいまして、ありがとうございました!