7月から8月は、息子たちとの関係を通して、

 

赦し、学ぶことが沢山でした。

 

やっと一息ついた感じ照れ

 

聖霊に委ねずにはやっていられない日々を過ごしたら

 

どういうわけか、「何も起こっていないのだから、赦すものはないのだ」

 

ということが、以前にも増して腑に落ちてきました。

 

息子たち、ありがとよ~~。

 

 

 

でも、油断は禁物。

 

この前の日曜日のこと。

 

家の近くの実家へ用事があり、一度チラッと寄って、

 

後からもう一度行く予定でした。

 

ところが、後からゆっくり行くつもりだったのに、

 

母の話が止まらない・・・。

 

家族と関わる時は、投影が濃く現れるので、

 

聖霊と共にいるようにと思っているのですが、

 

この時は、ささっと帰るつもりで油断してて、

 

心の立ち位置がブレブレ。

 

母の話は、あの人がどうしたこうした・・・という、

 

よくあるような世間話ですが、

 

ジャッジと攻撃だらけに見えてきて、

 

母に対して余計な一言をいいたくなってきました。

 

どうしても、いつものように、母がどんなことを話していても、

 

聖霊と共に見ているようにはなれなかったんですね。

 

エゴで反応したい!という気持がムクムク。

 

 

一旦家に帰り、モヤモヤした気持ちをノートに書きました。

 

母の中に見えたものは、私の内側。

 

その日見えたのは、「攻撃性」

 

ちょうど、朝開いたテキストには、

「兄弟は、あなたに自分自身のイメージを映し出してくれる鏡」なんて書かれていました。

 

あんなに人をジャッジしたり、攻撃的な考えなんてしてないよ。

 

とつい思ちゃうのですが、母に見た攻撃性は、私の中にあると認めて(嫌だけどショック!)、

 

エゴの意見は脇に置き、聖霊に耳を傾けます。

 

そして、もう一度兄弟とは何か?兄弟との関係は何のためか?を

過去の自分のメモから書き出してみました。

 

兄弟は、あなたに自分自身のイメージを映し出してくれる鏡。
兄弟が正気ではない行動をするとき、彼はあなたに彼を祝福する機会を差し出している。
彼の必要は、私の必要。
兄弟は、愛か、愛を求める叫びを見せてくれる。
兄弟から「私に罪がないことを教えてほしい」と言われている。
兄弟は私の救済者。

父よ、あなたの完全無欠な子について感謝します。
そして私は、彼の栄光の中に、私自身の栄光を見るでしょう。(T30.Ⅵ.9:4)

 

 

世界はない。何も起こっていない。

 

攻撃していた母はエゴのシナリオの操り人形で、


それに反応した私も同じ。


でも、私たちは、シナリオの登場人物ではなく、御父が創造されたままの存在。

そこまで思えたら、罪は消えて、愛に満たされたスペースだけを感じて、


母も私も愛のなかで一つと思えてきます。

 

 

「何も起こっていないのだから、赦すものはないのだ」と思えてくると、

 

ずっとそこにあった愛を感じ、静かで平安になるんですね。

 

 

最近、「この夢の作者は私だ」ということも念押しのように言われているように感じていて、

 

平安になってから、もう一度思い出しました。

 

攻撃のシナリオの作者は、私。


私の攻撃性が、攻撃的な言動を繰り返す母をでっちあげた。


なぜなら私(エゴ)は、御父を凌駕したいし、そのために罪悪感があるから。

でも、御父を凌駕したことはないし、分離したこともないし、


何も起こっていない。

(ってか分離は不可能チュー

だから、な~~んにも罪などなかった!

世界はない。愛だけがあるキラキラキラキラ

 

 

後からまた実家へ行ったときは、

 

母と話しながら一体性を感じて、

 

母のかわいらしさと、感謝を感じたのでした。

 

 

選び直すことができること、その方法を知っていることが、

本当にありがたいです。

 

ズッコケながらだけど・・・てへぺろ

 

J兄さん、ありがとう~~ラブラブ

 

世界の救済者たちのひとりとして自分の持ち場につくのか、

それとも、地獄にとどまり、兄弟たちもそこにつなぎとめておくのか、

自分がどうしたいのかを、もう一度、選び直しなさい。

(T31.Ⅷ.1:5 中央アート出版 奇跡講座)