奇跡のコースのワークをやり、
テキストを日々読んで、
自分を祝福し、褒めて、
(えりぃさん、ありがとう、愛してます、大丈夫と言い・・)
エゴを見つめて、
御父(神)の祭壇で正直に叫んで、取り消してもらい、
聖霊に助けを求めて、
聖霊にハグしてもらい、
ハグしてもらって愛されてる感でふわ~と平安になり、
ということを繰り返しやってきて、今、
「お父様(神)が大大大好き~~~!!」
という状態になっています。
(ああ、言っちゃった(〃▽〃))
例えて言うならば、恋愛のピークの時に、相手のことが大好きで、
その人のことを思うだけで、幸せが溢れて幸せがだだもれ~~とか、
子どもが赤ちゃんの時の、ただ見ているだけで幸せが湧いてくる、みたいな感に近い。
いや、それ以上です。
対象が人ならば近づきたいとか、いろいろ欲が起こるのですが、
ただただ好き!好きでいることが幸せ、それでもう満たされている。
しかも一方通行ではなくて、こちらも愛されていることを感じている。
それを感じていると、境界がなくて
愛の中でひとつという感じになってきます。
ただ愛だけがあるというような。
お父様(神)を思った時に喚起されるのが、こういう状態で、
それを言葉で表すと、
「お父様大好き!」
なにやらファンタジーな、お花畑なニオイがしますが・・・(;^_^A
奇跡のコースを学び始めた頃の私なら、
こんなことを聞いたら、恐らくドン引き笑。
この世界の視点から見ると、お父様(神)は抽象概念で実体のないもので、
それに対して、「大好きでたまらない~!」状態って、
傍から見ると不思議ちゃんの何者でもない。
でも気が付くとそうなっていました。
「お父様大好き!」と思うと、
ここにあり、本当はずっとあり続けた、
力強く、実はずっとずっと求め続けてきたものを
思い出させてくれます。
これを心の底で求めて、あれこれ駆けずりまわってきたのだし、
何かに感動したときは、これを感じたからなんだな~と
今ならわかります。
この状態でいれば、普段の家事をやっていても、
至福。外側で何をやっていようが、内側が至福だから。
しかし問題は、すぐに(自ら)神の子の座から転がり落ちることです(T△T)
自我の土台よりもさらに深いところにあって、常にそれよりも強きものであり続けるのが、
神に対してあなたが抱いている激しく燃えるような愛であり、
神からあなたへの同様の愛である。
これがあなたが真に隠しておきたいものである。
(T13.Ⅲ.2.8)
今感じているのは、恐らくまだまだ片鱗なんだと思いますが、
半面エゴも必死に覆い隠そうとする感じでもあります。
だから、ギャップもなかなか・・。
赦しをやり、エゴの雲が消えてきたら、自然に現れるのが愛。
まだまだだと、エゴは言うけれども、
御父への愛を思い出しつつあることに、やはり感謝です。
最後にもう一回言わせて~(また言うんかい)
お父様が大好き~~!
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ところで、今回から文体がなぜか変わってしまいました。
違和感を感じられた方、ごめんなさいm(__)m