僕のメインの仕事は不動産売買の取引における仲介業です。
沢山の案件に携わらせて頂いたのですが、時に数億、数十億という単位のお話にも身近に触れる機会があります。
コースと出会う前と出会ってからと、そうした案件に対する心境の変化というものに先日ふと気づかされました。
おおよそ三段階の変化がありました。
①千載一遇の大チャンスや人生の幸運と感じ、がむしゃらにその案件に臨む。
結果は喜ばしい時もありましたが、ほとんどの場合は空振りに終わり、時に惨めや悲しみ、やるせなさ怒りを引き起こす。
成功した時には、自分はなんて価値のある素晴らしい人間なんだと感じる。
②初めから少し距離をおいた気持ちで参入する。
でも心の深い部分でその案件は強く引っかかり、「良い」結果が出る事を強く望んでいる。
同じく結果の出る時もあるが、ほとんどの場合は虚しく終わる。
しかし①の時ほどは惨めさや怒り、喜びに振り回されないが、結果が出た後しばらく種々の感情的な影響を受けている。
③スーパーでもやしを買うような感覚。
このスーパーでもやしを買うような感覚。。。ってことの説明ですが、、、
スーパーでもやしを買いに行きます。
もやしがありました。
計画通り買いました。
そんな時、うれしくてうれしくて誰かに話したくて仕方がないでしょうか?
自分はなんて優れた人間で、ラッキーな人間なんだと感じますか?
別にそんなことはなく、淡々ともやしを入手して、予定通りの夕食を作りますよね。
次の日にはもやしを買った事すら忘れているでしょう。笑
逆に、スーパーでもやしが無かった場合。
悔しくて悔しくて仕方がないですか?
惨めな思いをしますか?
自分の今晩の夕食の計画が台無しだ!!何で置いてないんだ!!と憤慨しますか?
こんな計画を達成できない自分はなんてダメで、価値がないのだと惨めになりますか?
きっと、そんなこともなく、、、
もやしが無ければ無いで、それは別の食材を入手したり、もやし抜きの夕食を考えればいいだけの事。
次の日にはもやしを買えなかった事すら忘れているでしょう。笑
スーパーに陳列されているもやしをゲット出来るか、出来ないかというのは、多くの人の人生においてとても些細な事です。
コースでも強調されているように、人が夢から目覚める上で一番大切なのはいつでもこの「夢」にリアリティーを付与しない事であり、それによってどんな状況でも心の平安を自分が生じている事であり、、
心の状態ではなく、そうした外に見える「結果」は自分の帰路にとって何の意味もレベルも無いという事実を知っている事です。
「人生の中で偉大もしくは崇高な何かを実現、達成した人間は素晴らしく、優れている。」
これは、自我の用いる非常に巧みな戦略の一つです。
裏を返せば、何かを達成しなければ私は価値がない、、、という根本にある自我の不足感、欠落感は甚大なものがあります。
この声に耳を傾けるならば、神の子でありながら不足と欠落と一時の満足をラットレースのように繰り返すという奇妙な事が生じてゆきます。
コースでは、
「真理、実相においてレベル(段階、差)は無い」事が強調されます。
コースの初めの一文はまさにこの概念からスタートします。
つまり、こちらの方がこちらより価値があるとか、無いとか、優先順位とか、難しさの順番とかそういったものは真理の実相には全くありえ無いわけです。
実相にはレベルが無いわけで、こちらの方がより重要とか、より崇高とか、より難しいとか、より大切とか、そういったレベル概念があるのは幻の中だけということです。
自我はこの夢、幻の中に複雑多様な段階を生じさせることで、特別性と個別性というマジックで中毒的な魅力を付与し、刺激的に私たちを世界に留めているわけです。
ですから、これは世の中のお金に対する見方だけでなく、自分の使命のように感じている活動に関してもきっと同じ理解がゆくゆくは必要なんだと今は感じます。
特に人間は、ある段階になると自分の為だけではなく、誰かの為にという使命感を持って行動するようになります。
そして、その使命感に基づく活動こそがその人の正義や成功、自己価値のバロメーターになってしまいます。
自分はより重要な活動をしているのだと。
それがビジネスであれ、政治であれ、社会貢献であれ、スピリチュアルであれ、、、
家族の為であれ、地域の為であれ、国の為であれ、地球の為であれ、宇宙の為であれ、、
決して、「それ」をこの夢の中においてスーパーのもやしのような位置に置く事はたやすくできない。。。
自我は様々な理由を設けそれを決して許さない。。。
しかし、様々な段階を経て人は、やがてそうした「使命的」な活動にすら自分の価値や目標として心の重きや焦点を置かない時が来るのでしょう。
その人にとっての最重要な関心事は、ただ夢から覚める事、父の待つ自宅に帰る事です。
この幻においての人間の唯一の機能(役割、仕事)は「父の家に帰宅する為に目の前の時間や場を最大限に用いる事」、つまり自分の赦しや癒しだけであるという事に遅かれ早かれ到達するのでしょう。
そうした心の在り方の上で、この人生の今の時期にたとえ数十億の重要に思わさせられる(?)仕事が現れて、その結果がどうであれ、それはただもやしをスーパーで買えるかどうかという事とさほど変わりはなくなります。
。。。かな???
さてさて、いやはや、、、そんなこんなで今回舞い込んできたこの数十億の案件はどうなることやら(笑)
赦す必要のあるものを赦し、
手放すものを手放し、
私の心の平安さがあなたの傍らにおいていつもありますように。
そして、あなたの家に帰宅するために最善な必要なものがその瞬間瞬間、今まで通り備えられてゆきますように。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。 | |
| こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 | |
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 -聖書 マタイ6章31~33節 ※「義」を愛や、真理と読み換えた方がキリストの真意に近いかもしれませんね。
|