奇跡のコース~ゆるしのまなざし~

奇跡のコース~ゆるしのまなざし~

『奇跡のコース』/『奇跡講座』での気づきをわかち合うブログです。
奇跡のコース・シェアリングサポートVérité(ヴェリテ)として、テキストクラスや学習シェアクラスを開催しています。

はじめまして。

 

今回よりブログに参加させて頂くことになりましたTomoeと申します。

どうぞ、よろしくお願いします。

少々長文となりますが、お付き合い頂けますとうれしいです。

 

私が奇跡のコースを初めて知ったのは、2013年の5月でした。

その出会いは方は少し変わっていて、当時、カウンセリングでお世話になっていた

スピリチュアルカウンセラーであるメンターが送ってくださった

『明日の朝から奇跡のコースを始めます』というメールから突然始まりました。

 

 

そのメールは、京都の鞍馬山で一年に一度

5月の満月に行われるウエサク祭に参加するために訪れていた

鞍馬山の山頂から配信しているとのことでした。

何の前触れもなく送られてきた奇跡のコース開始の案内メールでしたが

そこには、奇跡のコースがどんなもので

これからどんなことに取り組んでいくのかという詳細と共に

『あなたにスピリチュアルな目覚めが起こることを

この鞍馬山からお祈りさせていただけらたと思っています』

と参加者一人一人に向けて祈りが込められていました。

そして最後に

『毎日、毎回、レッスンメールを送る度、私はあなたを祈っています。

一年後、あなたの人生が、全く違う光輝くものになることを祈る想いを

祈りにかえてメールを送り続けます』

とメッセージが添えられていました。

 

そのメールを受け取った時、探していたものにやっと巡り合えたような気がして

何だか無性に嬉しくなったことを今でも覚えています。

 

 

当時、レッスンメールで学習していた参加者は70名程いたそうで

レッスンに続き、テキスト、マニュアルも同時に配信され

終了するまでそれは2年近く続きました。

 

後に、その頃を振り返ってメンターがよく仰っていたのですが

英語の原文を翻訳し、毎朝1レッスンずつメールで配信する

ということをやっていたのは僕ではなく

間違いなくJ(その人はイエスのことをJと呼ぶ)だったと笑って言っていました。

 

何の見返りも得られない中で、気が遠くなりそうなほどの膨大な労力と時間を割いてでも

その導きに従った志は、到底私には真似できないことです。

 

今でも思いますが、そのメンターが奇跡のコースのレッスンメールを送ってくださらなかったら

コースを学ぶということはなかったと思うので、今でも感謝しています。

 

365日のレッスンメールの配信が終了したのは、奇しくも12月24日でした。

 

ワークブック最後のエピローグの冒頭です。

 

1. このコースは始まりであって、終わりではない。

あなたの友はあなたともに行く。

あなたはひとりではない。

聖霊を頼みとする者が、聖霊に呼びかけて応えられずに終わることはない。

何があなたを悩ませていようとも、聖霊が答えをもっていると確信していなさい。

あなたが素朴に聖霊に 答えを求めるなら、聖霊は喜んで答えてくれるだろう。

あなたを悩ませるかに思えるどんなことについても、あなたが必要としているすべての答えを、

聖霊が与えずにおくことはないだろう。

聖霊はあらゆる問題を解決し、一切の疑いをかき消す方法を知っている。

聖霊の確かさはあなたのものである。

あなたはただ聖霊にそれを求めさえすればよい。そうすれば、それはあなたに与えられるだろう。

奇跡講座 下巻 . 中央アート出版社

 

このエピローグを読んだとき

「生涯コースを学び続けます」と私はイエスに約束しました。

 

それまでずっと燻っていたこの世界に対する違和感

常に纏わりつく説明のできない不安、地に足がつかないような恐怖

自分が存在することに対する不確かさ。

 

そう感じていた理由の答えがここに示されていると思ったからです。

 

でも、その数年後、イエスとの約束は母の突然死と

それを追うようにして亡くなった父の死によってもろくも崩れ去りました。

 

子供の頃から家庭環境に悩み続け、

支配的な父親とネグレクトの母親の間でずいぶん苦しみました。

 

その影響から高校生のときに私は摂食障害になりました。

 

自分を責める気持ちが強かったことから誰にも打ち明けることができなかったので

結局その闘いから完全に自由になるまでに17年という時間が必要でした。

 

父に対しても母に対しても憎悪する気持ちがあったはずなのに

一方で二人に依存しているズルい私もいました。

 

そして、愛されていたこともちゃんと分かっていたので

失ったときの喪失感は自分を保てなくなるほど大きなものでした。

 

2人の死を受け入れられなかった私は、6年間コースから離れることになります。

 

 

私は今年の4月、YouTubeを通して末吉愛さんの存在を知りました。

 

実は、愛さんとご縁ができたのも、コースを学ぶきっかけをくれたメンターからの一声でした。

 

私がなかなかコースに戻れずグズグズしていた時

『コースに対する情熱が素晴らしいよ。この人はもっと世に出た方がいい人だよ』

と愛さんの動画を紹介してくれたのです。

 

その頃、コース以外の方法でどうにか苦しみから解放されたくてもがいていたのですが

愛さんの動画を夢中で見ているうちに

まるで聖霊に『目を覚ましなさい』と言われたような衝撃が走りました。

そして再びコースに手を伸ばす覚悟を持つことができました。

 

 

 

今、コースを再開して改めて思います。

学習仲間として体験をシェアしてくださる方々がいるからこそ

私は投げ出さずに続けていられるのだなと。

 

2013年に学習していた頃も、道を照らして支えてくれていたメンターがいたこと、

そして共に歩んでいた仲間がいたことで365日のレッスンを完走することができました。

 

そして今も、愛さんが道を照らしてくれていて

その道を共に歩んでいる同志の存在を感じることで

躓くことがあっても自分を奮い立たせることができるのだと感じています。

 

愛さんはクラスの中でよくこうお話されます。

 

『自分が間違って見ていたことを爽やかにホーリースピリットに差し出したいですよね』と。

 

それが静かにできるときも、正直クソーッ!と悔し涙を流すときもありますが(笑)

コースを再開したこの7か月の間に、確かに聖霊から受け取ったものもありました。

 

以前は早く苦しみから脱出したくて「早く理解したい、早く楽になりたい、早く目覚めたい」

という焦りの気持ちもありましたが、焦ったところで意味ないな、と最近思えるようになりました。

 

それでもやっぱり行ったり、来たり、同じところをグルグルすることもあると思います。

 

でも、そこを責めるのではなくて(愛さんはいつも『自分に優しく』と言ってくれます)

聖霊と共に”静かに選び直せる心”にシフトできるように

この先も練習し続けていきたいと思っています。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

Tomoe

こんにちは、神田 有規子です。

 

先月、八ヶ岳リトリートに参加してきました。

正直なところ、行く前は、色々不安な気持ちがムクムクとわきあがり、

なかなか「楽しみ♪」という感じになれなかったのですが、

実際に参加してみると、本当にすばらしい経験をすることができました。

 

 

 

 

最後のワークでの経験は、本当に驚きました。

それは、何も話さず、ただ目の前の方の目を10秒見つめ、

また次の人にうつるというワークでした。

 

肉眼の目でとらえているのは、

確かに目の前の方の目で、

「めっちゃまばたきしてはるな」

「ちょっとウルウルされてるな」

など頭ではそれをとらえているのですが、

心で受け取っていたものは全然違うものでした。

 

「あなたを愛しています」

 

みんながみんな、

「あなたを愛していいます」

と愛を差し出してくださっていました。

 

コースを学ぶ中で、

「相手のキリストをみる」

「肉体を超えたところをみる」

そのようなことを聞きますが、

「そうらしい」と頭ではわかっているつもりでも、

正直なところ、それがどういうことなのかが

よくわかっていませんでした。

 

瞑想などでは、相手の方が愛を差し出してくださってるのを

受け取るということはありましたが、

目は閉じていますし、実際にその人が目の前に

いるわけではありません。

 

けれど、今回は、

目では体をとらえているけれど、

愛を受け取るという経験をすることができました。

 

「経験することができた」というよりも、

「経験してしまった」という方が近いかもしれません(笑)

というのも、

「もうごまかせない。わからないって言えない。」

そのように感じたからです。

 

「自分が受け取りたいと思っているかどうか」

本当にただそれだけだと思いました。

 

リトリートに参加してからは、

「目の前の方のキリストを見なくちゃ」というより、

「本当にそれを受け取りたい」という気持ちに変わってきました。

 

リトリートで受け取った色々な気づきやギフトを

日常生活の中でもいかしていきたいと思います。

 

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

 

 

神田 有規子 

 

みなさま、はじめましてキラキラ

 

この度、ヴェリテのブログメンバーとして新たに参加させていただくことになりました未紀です飛び出すハート

今回より、どうぞよろしくお願い致しますスター

 

 

私が奇跡のコースと出逢ったのは、今から1年4ヶ月前。

昨年の7月のことでした。

 

あるコミュニティに参加したことをきっかけに、そこに1ヶ月に一度、お話に来てくださっていたのが

香咲弥須子さんでした。

 

最初に香咲さんを目にした時に、何故か『この人!!』

私の内側が強く反応したのを今も覚えています。

 

そこからは、香咲さんのお話ばかりを聴き続け

気づけば奇跡のコースの学びの歩みがスタートしていました。

 

 

奇跡のコースに出逢うまでの私は、とにかく【苦しかった・・・もやもや

この言葉が真っ先に飛び出します。

 

小さな頃から、母親とうまくいかない。

何をしても愛されない。

拒否される。

どんな娘になろうとも、この壁は乗り越えられず

母の元を飛び出しても、虚無感、欠乏感は埋まらない。

 

その後も、鬱、離婚、そして香咲さんに出逢った時は正に

線維筋痛症を発症して丸2年が経とうとしていました。

 

ほぼ24時間、全身に走る痛み、完治の薬はなく

私の中ではもう諦めよう、この痛みと一生うまく付き合うしかないんだ・・・悲しい

そんな想いで溢れていました。

 

もちろん、日々の中で沢山の喜びもありました。

幸せだと感じたことも・・・

 

だけれども何か違う

どのようにしても埋まらない虚無感、欠乏感

この世界はなんなんだ!?!?!ムキー

 

そんな怒りさえも、もう疲れ果てて感じないようにしていたのが私でした。

 

 

そんな私がコースに出逢い

 

罪はない

 

私は無罪だと知った時の衝撃たるや!!!ハッ

 

もちろん、初めはまったくピンときません。

 

自分が有罪だ、という思いすら、無意識の中だったと思います。

 

ただ、私の罪悪感は物凄いものでしたピリピリ

 

 

すべて私のせいです、私が悪いのです悲しい

私はここにいてはいけないのです悲しい

 

 

そんな思いが留まることなく膨らみ続けていました。

 

 

その膨らみが徐々に止まり始め、萎み始めた・・・

そのきっかけとなったのが奇跡のコースです。

 

《やっと出逢えた・・・・・!》

 

この思いは、コースを学び始めた当初から

今も尚、私の心に在り続ける想いです。

 

 

そこからは導かれるように・・・

 

香咲さんのオンラインクラスに参加し

ワークブック、テキストを取り寄せ

お仲間から教えてもらった愛さんのYoutubeを次から次へ、貪るように200本近く観、

気づけば愛さんに、クラス参加のご連絡をしていました。

 

 

この世界はすべて自分の心の投影だった

これは私が見たくて見ているのでした

 

このことを認め

 

私たちは一度も分離したことはなく

今も神とひとつである。。。

 

それを受け入れたいとホーリースピリットに祈る日々は

正に私にとって癒しの日々です。

 

《あぁ、赦されていた・・・》

 

この想いが心いっぱいに広がる時

肉体がおのずと緩む•*¨*•.¸¸♬

 

気づけば、線維筋痛症の痛みは感じなくなっていました。

 

 

私はこれまで、どれほど自分を痛めつけてきたのだろうピリピリ

 

【壮絶な自分虐め】

 

初めて愛さんのクラス、ベーシッククラスを受けた時に話してくださった言葉が

今も尚、私の心に残っています。

 

 

線維筋痛症の痛みは今は感じていませんが

もし、以前のような痛みがまた始まっても

もしくは、何か別の痛みを抱えることになっても

 

奇跡のコースを皆さんと共に歩む今は

 

【この痛みをホーリースピリットと共に見て、心の経験として迎え入れる】

 

そう決めています。

 

 

これまで、エゴを教師とし、なにひとつ知らなかった私が

ホーリースピリットを教師として迎え入れ

どのような道を歩み、どのような教えを受け取っていくのか

 

ホーリースピリット

信頼します

教えてください

導いてください

助けてください

 

あなたに100%心を開きたい。。。

 

これからもこの想いの元、兄弟たちに助けられながら

コースの道を歩んでいきたいと思っています。

 

 

すっかり長くなってしまいましたが

最後までお読みいただき、心からありがとうございますラブラブ

 

皆さまとの出逢いに感謝し

どうぞ、これからよろしくお願いしますニコニコ飛び出すハート

 

 

未紀