奇跡のコース~ゆるしのまなざし~

奇跡のコース~ゆるしのまなざし~

『奇跡のコース』/『奇跡講座』での気づきをわかち合うブログです。
奇跡のコース・シェアリングサポートVérité(ヴェリテ)として、テキストクラスや学習シェアクラスを開催しています。

 

 

 

ご覧くださり、ありがとうございます。

ACIMヴェリテの末吉愛です。

 

スピリチュアルの古典と呼ばれており

世界中で知られている

A Course in Miraclesという本、

 

日本語版では『奇跡のコース』、

奇跡講座』というタイトルで

出版されていますが、

 

このコースを学び続けてきて

実感したことの1つは、

 

「これが自分」と思っている制限を

超える経験へと運ばれて

必ず愛の贈り物を受け取れる

ということです。

 

 

 

「こんな自分なんて」

「どうせわたしなんて」

 

こういった思いを抱いているとしたら

その奥底には

 

卑小な自分でいたいという

根深い願望があって、

 

いくら前向きに頑張ろう!と

努力したとしても

 

この根深い願望を

密かに大事にしているので、

 

「ほら、わたしはできない」

「やっぱり、どうせわたしは無理なんだ」

という結果を経験することになります。

 

 

ポジティブに捉えようとしても

時間が経つとまた自己否定的になるし、

 

行動的になって努力してみても

続かなかったり、うまくいかなかったりする。

 

こういう「解決法」は、

解決させないためのやり方、なのです。

 

 

大事なことは、

卑小な自分でいたいという願望

宝のように扱わないこと。

 

内なるガイドに

(誰にでも導き手がいます)

 

こうした暗い考え・・

 

「こんな自分なんて」

「どうせわたしなんて」と言って

 

卑小な自己、欠けた自分、

価値のない自分、力のない自分、

これをホンモノにしようとする考えを

全部託してしまいましょう。

 

 

——そして、Use meの心

 

どうぞわたしをお使いください、

わたしを愛の道具として、

平和の道具として使ってください。

 

そうした祈りの心をもつなら、

 

わたしはこんな存在、と

信じている狭い枠を超えて

 

人々との愛の分かち合い、

喜びの体験へと

運んでもらうことができ

 

みんなと分かち合っている

わたしたちの限りのない力、

本当の力、聖なる力を

感じることができます・・♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何年も前から、

英語を学ぶようにというガイダンスが

続いていました。

 

最初に強く感じたのは、2008年あたり。

本屋さんに行くと、

どうしても英語コーナーに体が

持っていかれるのです。笑

 

「でも、わたし、英語使うことないよ?」

そう思ってスルーしていたのですが、

 

ひょんなことから、

2009年にニューヨークでの

心理カウンセリングの研修に

行くことになり、

 

「ああ、これだったのね」と思いました。

 

その時は通訳つきだったので

特に困ることはありませんでした。

(食事や買い物程度であれば

下手な英語でもなんとかなるものです)

 

 

 

2回目に強く感じたのは、2010年。

 

この時はさすがに従って

マンツーマンの英会話スクールに

通っていました。

 

2011年の6月に、ハワイで開催された

ドリーン・バーチューの

ワークショップに参加するためでした。

(これは通訳なしだったのです)

 

 

この後も、たびたび、英語を学ぶように

というガイダンスが続いていましたが、

この先は特に必要な場面がないのでは?

と思って、真剣に取り組みませんでした。

 

・・ところが、今年になって

また強く感じられるので、

素直に流れに従っていたら

 

あっという間に

(どうしてこうなったのか不思議な展開で)

(素敵な方との分かち合いの経験があって)

 

 

ア・コース・イン・ミラクルズを学びながら

受け取ってきた贈り物について

英語でシェアする(YouTubeに動画を上げる)

ことになってしまいました。笑

 

 

その1本目の動画

   ↓

 

 

 

 

下手すぎるのですが、

そういう「恥ずかしさ」も

内なるガイドに差し出して、

 

どうぞお使いくださいの心で

明け渡してしまい、

 

「こんな自分なんて」という考えは

1ミリもない、というくらいに

一掃してもらいたいなと思っています。

(今のわたしは随分ラクな心地ですが)

 

 

素直に従って、素直に受け取る。

 

これからどんなふうに

贈り物を受け取らせていただけるのか、

ハートを開いて楽しみにしていようと思います。

 

みなさんも、

インスピレーションがやってきたら、

素直に従って

たくさん愛の経験を

受け取っていきましょう・.*♡

 

 

Blessings,

 

 

 

 

 

 

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こんにちはSachikoです。


先月のテキストクラスでは、

第4章のⅤ「自我と肉体」の部分を学びました。

文章はちょっと難しくて、サラッと読むだけでは分かりにくかったのですが、説明を聞いたり、参加者の分かち合いなどを聞いているうちに、日々自我の思考でいっぱいになっていることに気付きました。


自分自身では、別に腹立たしいこともなく、特に可もなく不可もないと感じている。

これは平安なのでしょうか❓


ホーリースピリットを選んでいれば、喜びと感謝で溢れているはずなのです。


でも実際は、無意識だけど、「今」を全く見てなかったのです💦


別に不満は持ってないけど、思考は常に「今」を避けて、過去の事や未来の事でいっぱいと言うことに気付きました。


夜ご飯どうしよう❓今度の休みはどうしよう❓

仕事の業務量が増えて追いついてない。あれが、これが、出来なかった。だから、今度はあれも、これもしなければ❗などなど。


そう思うことさえ別に大した事と思ってなかったのですが、無意識に「今」を避けているのです。


いま、この瞬間に何を受け取らせていただけるだろうか❓とホーリースピリットに祈ってなどいない。


自我は巧妙に、「出来ない自分」に触れないよう気づかないふりをしているのです。

今、その瞬間に気付いて、出来なかった、今度はちゃんとしなければ❗と欠けていると思っている自分に気付きホーリースピリットに差し出すだけでいいんですよね。


そして、クラスの最後に愛さんが、毎日寝る前にお祈りをしていると話してくださり、その一文をシェアしていただいたのですが、


今日の1日を手放します。過不足なく完璧な一日でした。ホーリースピリット、私の眠りをあなたに捧げます。


完璧な1日だなんて思ったことがありませんでした。


でも、ホーリースピリットにゆだねて過ごす日は完璧な日なのです。


自我の思考でいることのほうが、これからも多いと思いますが、寝る前の祈りを実践して、ホーリースピリットを選ぶこと、自我ではなく真の心を見ることを意識して過ごしていきます。


最後までご覧いただきありがとうございます。



このコースは、あなたのために設定したゴールは
幸せと平安であると、はっきりと述べている
(T13-Ⅱ-7:1)

 

 
テキストにこのように書かれている箇所があります。

何者かになりたいわけではなく
何かを達成したいわけでもなく
ただ幸せと平安でありたい
強くそう思います。

いままで自我の世界で頑張って何者かになろうとしたり
何かを達成したり、何かを得ようとしたのは、
その結果幸せで平安になりたいとそう思っていたからでした。

でもその頑張りはいつもうまくいかず
達成したかに見えても、また次の課題が現れて
実際には平安で居続けることはできませんでした。

このコースを学び始めたときですら、そうでした。

理解できないコースの言葉に苦悩し
ワークブックのとおりにできない自分に幻滅し
赦せと言われても、湧きあがってくる赦せない思いに絶望し。。。

ただ最初のころに心に響いた
「ささやかな意欲を差し出す」ということだけは
いつも心に残っており
 
あなたの役割はただ、すべての恐れと憎しみを取り除いてもらいたいし赦されたいという
ささやかな意欲を、聖霊に差し出すことだけである
 (T18-Ⅴ-2:5) 奇跡講座 中央アート出版社

 

またワークブックに取り組み始めたころに読んだ
 

ただ次のことだけを覚えていなさい。
あなたはこれらの概念を信じる必要もなければ、
受け入れる必要もなく、歓迎する必要さえもない。
あなたが断固として抵抗するような概念もあるかもしれない。
こうしたことは一切、何の問題にもならないし、その効力を減じることもない。
(W-序-9:1~3)  

 

という言葉だけを頼りに歩んできた結果
見る景色が変わってきたように感じています。

 

 



以前祈りの中で
ビジョンを見るとは、だまし絵を見るようなものだと教えられたことがありました。
全く同じ絵だけれど、注視している視点を変えるだけで別の絵に見えるというものです。
まさしくそんな風だなと感じるのです。

大きな変化があるわけではありません。
ただ優しく時が過ぎていきます。

平安を保とうと意識してみると、

平安ではなくなり動揺が起こるときに敏感になります。
そのときに自分の心に深く入ってみると、
そこには必ず自分を責める思いがあることに気づきました。

それを繰り返していくうちに、そんなに深く入っていかずとも
「あぁまた自分を責めているな」

とすぐに心を戻すこともできるようになりました。


ゆるやかに時が流れるようになってくると
なにか今までと違っていて居心地が悪くなるのか
「こんなことでいいのだろうか」
「何かもっとやらなくちゃいけないのではないだろうか」
そんな思いが湧いてきたりします。

そんな時、祈りの中で湧きあがってきた思いが

「ただ平安でありなさい」
ということでした。

そしてその日にたまたま開いたテキストの箇所に

 

 

聖性の延長については、
あなたが心配するにはおよばない。
奇跡の本質は、
あなたに理解できるものではないからである。 
また、あなた自身が奇跡を行うわけでもない。
あなたが知覚する限界をはるかに超えて奇跡が延長していくという事実が、
奇跡を行うのがあなたではないことを実証している。
あなたは奇跡そのものを理解していないというのに、
奇跡がどのようにして一なる子の全体にまで延長していくのかと、
心配すべき理由があるだろうか。
(T16-Ⅱ-1:3~6)   

 

と書かれていました。

それを読んだときに、心に浮かんだことは
私がただ平安であること
それがサンシップにとってとても重要なことであり
その平安な心を土台として、

ホーリースピリットに奇跡の道具として

使っていただけるのだということでした。

そしてホーリースピリットと共にいることを忘れていては、

平安ではありえなくなるということも
経験上わかってきたので
今の一瞬一瞬、立ち止まっては
「今、私は平安だろうか?」
「今、私はホーリースピリットと共に歩んでいるだろうか?」

と自分に問いかけ
それを忘れていたならば、また戻ってくる

ということを続けていきたいと思っています。

 

お読みくださり、ありがとうございました。

 

 

※引用部分はすべて、奇跡講座 中央アート出版社から引用させていただきました。

 

 

 


※引用部分はすべて、奇跡講座 中央アート出版社から引用させていただきました。