由依は、本当に素直じゃない。悪く言えば、捻くれている。
「だめ」と言う事を本当はしてほしいと思っていたり。
「やだ」と言う事が本当は嫌じゃなかったり。
発する言葉の対義語を脳内で掴み取って、判断する会話は大変だけど意外に楽しいなんて思ったりしている。それにしても、何でそんなに素直じゃないかなぁ。言動や行動を素直に正せば、もっといい感じになる気がする。
私は由依を見ていると、いつも思う。
逆に私が素直すぎるのかもしれない。抱きしめたい、と思ったら抱きしめるし、好きだなぁ、と思ったらすぐさま「好き」と告げる。私は私の気持ちにいつだって正直でいたいから。
相手に伝えたい気持ちも同じように湾曲して伝わりそうだから。そう考えれば、素直さというのは本当に大切な事だと思う。
素直に由依と接すれば、いつしか由依の素直さも引き出せるかもしれない。自然と由依も素直になるかもしれない。なんて私は考え、信じてきた。でも、なかなか上手くいかない。
由依は未だに素直じゃない行動と言動を繰り返している。悪く言えば、捻くれたまま。今まで考え、信じてきた事って間違ってたのかも。
撮影中にも関わらず、私の脳内は「由依の素直さをどう引き出すか」についてばっかり考えてしまい仕事に集中できない。
いっその事、私の素直さを消去して由依と同じように素直じゃない人間になればいいのかも。自信はないけれど、素直じゃない態度を表していれば由依の何かが変わるかも。
なんて、新たに私は考えた。なんて、新たに私は信じる事にした。
今日から私は素直じゃない人間になります。自信はない、と思ってたけれど案外簡単なものだった。
だって、お手本はすぐ近くにいるんだから。由依の行動と言動を思い出して拾い上げれば、簡単に習得できた。
ステップ 1(楽屋にて)
「理佐、今日家に行っていい?」
椅子に座って帰る支度をしていると、後ろから由依が声を掛けてきた。
いつもなら「いいよ」の二つ返事をする所。
もしくは「来てくれるの?」なんて尻尾を振った犬のように喜ぶ所。
でも、今現在私は素直じゃない人間だから
「好きにすれば?」
そんな言葉があっさりと発せられた。
由依の反応はどうかな?
ドキドキしたけど、背中から伝わってくる気配は何も感じられない。
「…何それ。どういう意味?」
「そのままの意味だけど」
由依から不信感をひしひしと感じながらも言葉を続ける。
「ふーん。それじゃ、別にいい。行かない」
「ふーん」
さほど気にしていない素振りをしながら、帰る準備は万端の状態になった。
振り返って見た由依は、不機嫌バロメーターが振り切ってるご様子。口をとんがらせ視線はずっと下を見ている。手なんか服の裾を掴んだり離したりを繰り返して子供みたい。
ついつい可愛いなぁなんて思ってしまう。でも由依はどう感じているのだろう。どう思っているだろう。
聞きたいけれど、今はまだ早すぎる。
抑制しながら
「じゃ、お疲れ」
それだけを告げて、楽屋から出て行った。
これでいいのかな。由依を傷つけただけなんじゃないかな。
やっぱり、いつでも素直で思うまま行動と言動を繰り返している方がずっと楽だと思う。
由依と同じ行動と言動をしても、気持ちなんか全然分からない。
自宅に着いて簡単な夕飯を済ませた後、新曲の振り付け動画を頭に叩き込んでいるとインターフォンが鳴り響いた。
玄関まで行くと鍵を開けていないのにガチャガチャとドアノブを回す音色が聞こえる。
泥棒?なんて思いながら驚いているとドア越しに声が聞こえた。
「早く開けて」
正体は由依だった。
ステップ 2(自宅にて)
素直じゃない人間の素振りをしなくてはいけない。
何だかいじめのようで、ひどく心が重たかった。だって由依を傷つけたい訳ではないから。
でも、これはいつも私が受けてきた仕打ちだと気付いたら、由依も気付く所はあるんじゃないかな?これを機に素直になってくれるかも。
そう考えたら、暗雲が漂っていた心中も少し晴れやかになっていく。
もしかして気付いたからこそ、わざわざ来てくれたのかも。
安易な考え方だと我ながら思うけど、それだけで少しの期待が混じった。
とりあえず由依を中に入れる。リビングまで行く間に由依はなんて言うんだろうという興味本位で聞いてみた。
「来ないんじゃなかったの?」
「別に。理佐が寂しいかと思って来てあげただけ」
「寂しくないし、来てもらっても構えないよ」
今まで通りの演技を続けながらさっきまで座っていたソファに座り、目は合わせないままスマホを手に取る。
「…何かあんの?」
「新曲の練習」
それだけを告げて、再び動画を見始める。やっぱり由依は気付いていなかった。
安易すぎる考え方だったらしい。期待感はいつしか薄れた後、消え去った。
そんな私に隣に座った由依は
「理佐、コーヒー飲みたい」
と言ってきた。
いつもなら「ちょっと待ってて」の二つ返事をする所。
もしくは「愛情込めて淹れるよ!」なんて尻尾を振った犬のように喜ぶ所。
でも、今現在私は素直じゃない人間だから
「自分で淹れて」
素っ気無くさらりと言った。
視線はスマホの画面から離さない。
由依がソファに座って、足を組んでいるのか頬杖をついているのかすら分からない状況。
楽屋と同じ様な状況だった。
「今日何かあったの?」
「別に何もないよ」
「機嫌悪いじゃん」
「普通だよ」
「…全然普通じゃないし」
「勘違いじゃない?」
驚く程、素直じゃない言葉が出る。
いつだって自分の心には素直だったはずなのに、不思議な感じがしてならない。
素直じゃない言葉を発するのは、本当に簡単。
でも逆に思った事を思った通りに発するのは、どうだろう。
由依にとって、それはすごく難しい事なのかもしれない。
自分の心を曝け出すという素直さは、由依にとって勇気が必要な事なのかもしれない。
今になって、漸く少しだけ由依の素直じゃない行動や言動の意味が理解できた気がする。
そしてそれは、私にとって嬉しい事だった。
好きな人自身を100%理解する事なんてできないけれど、100%の中の1%でも理解できた気がしたから。
途中で止まっていた動画を見始めると、唐突に腕を引っ張られた。
ぐいっと華奢な由依にしては勢いのある乱雑な引っ張り方で、驚きながら振り向くと
「言いたい事があるならはっきり言ってよ。」
至極無愛想な言葉と不機嫌バロメーターが振り切ったままで睨みを利かせていた。
「…言いたい事なんかないよ」
「それじゃ、その態度は何。中途半端とか曖昧とか何か、何かそういうの大嫌いだし!」
「・・・」
何も言えず、引っ張られている腕を掴み見つめると、ぶすっとしていた由依が今度はひどく悲しそうな表情を浮かべた。
その表情に私の胸中は、バクバクする。
脳内はパニックに陥る。
何でそんな顔するの?
何で泣きそうになってるの?
何でそんな目で私を見るの?
分からない事だらけのまま、感情を誤魔化すように手を伸ばして由依の髪に触れる。
いつもの感触だった。さらさらした柔らかくて細い髪質。
私の大好きな感触。少しだけ気分が落ち着いてきた。
「…は、っきり言えばいい」
「な、なにを…?」
「別れたいって、言えばいいじゃん!」
「・・は?」
え、ちょっと待って。由依、発想が飛びすぎてるよ。追いつけないよ。彷徨ってるよ。
唐突に投げつけられた言葉を受け止める事もできずに驚く私は、疑問符ばかりが浮かぶ。
「愛想、尽きたんでしょ」
「い、いや…そんな事」
「だったら、回りくどい事しないで別れたいって…言えばいいじゃん」
「あのね、由依」
私が愛想を尽かす、なんてありえるわけないじゃない。そんな事、微塵も思ってないから。別れたい、なんてもっともっと思ってないから。
髪に触れていた手を振り払う由依は、鼻を啜りながら目にいっぱいの涙を溜め込んでいる。
普段、全然素直じゃなくって。悪く言えば、捻くれていて。
私の「好き」という言葉に「知ってる」なんて言い放って、自ら「好き」という言葉一つも言ってくれない。
私が「キスしていい?」って聞いたら「させてあげてもいいけど」なんて上から目線の言葉を投げつけてくる。
愛情表現が皆無で、愛されているのか分からなくて。由依にとって私という存在は、どういう存在なんだろうなんて思う瞬間もあったりして。
でも、今この瞬間はっきりと分かった。私は、由依にこんなにも愛されているという事に気付いた。
頬を伝う涙を乱雑に拭う由依の手を掴んで引き寄せれば、すっぽりと腕の中へ収まる。
小さくて私が力一杯抱きしめれば、割れてしまうんじゃないかというくらい華奢な体。
程よい力加減で抱きしめる。いつもの行動。
そして少し離れて由依の頬に手を添え、じっと見つめる。
「好きだよ」
いつもの台詞。
素直だとか。素直じゃないとか。
もうそんなのどうでもよくなっちゃった。
でもほんの少し由依の気持ちが分かったし、私はちゃんと愛されているんだとこんな事で不謹慎ながら確認できたし、何でもいい。
結論は、バカバカしいけれど。
バカップルみたいな答えだけど。
私はどんな由依大好き。
素直じゃない由依も。上から目線の由依も。そのくせ、思い込みで泣き虫に変貌する由依も。
どんな由依も大好きで大好きで、仕方ない。
「別れたいなんて思ってないから」
「…う、そ」
「本当だよ。だって由依の事、大好きだもん」
へらっと笑いながら告げて、目尻から零れ落ちそうな涙を親指で掬う。
そんな涙すら愛しくて仕方なかった。
「…それ、じゃ・・何、で」
「素直じゃない由依の気持ちを分かりたくて、あんな事しちゃったの、ごめんね?」
「理佐のバカ」
「ごめん」
「ホント最悪」
その言葉とは正反対に私の首筋へ絡みつく両腕。
ギュッと抱きついて、鼻を啜っている。
伝わってくる体温が異常に熱くて、まるで子供みたいだった。
抱きしめながら「ごめん」と「好きだよ」を繰り返しながら、背中をリズム良く叩く。
本当に子供を宥めてるみたいな感覚がした。
「…理佐」
「んん?」
少し離れて見つめると、瞳が赤い。
そんなに泣かないで。
大事な涙を流さないで。
くだらなく、バカな事をした私自身が本当に恨めしい。
由依は、もう一度軽く鼻を啜ってから
「……すき…いつも言葉に…できなくて…ごめん…」
掠れた声で小さく呟いた。弱々しく私の体を抱きしめながら由依の愛情が伝わってくるようなハグ。由依の行動一つでこんなに心が満たされるなんて。
「私も好き、言葉なんか要らないって思っちゃうくらい由依が大好き」
一言告げて、そっと唇に触れる。
キスをした後、コーヒーを淹れようか。
愛情を込めすぎた甘い甘いコーヒーを淹れて一緒に飲もう。