ベターマインド -4ページ目
 ああ~、本当にここ最近、いい事が多いなーと思います。
 そのいいことの大半は、旧友等とのつながりの回復や、新境地への励ましなど、深くじんわりと効く、人生の真の喜びです。自分はいま幸運なのだと思います。
 しかし、チャレンジングなこともある。しっかり意識してみよう。
 それはずばり、減量です。

 減量というよりも、適正体重への移行と呼びたい。あと数年もすると、いや早くも4月にはリーダーとして皆さんを動機付ける立場になるのだから。
 ちなみに今年は齢も50になる。四捨五入で。

 尊敬する課長同期のMさんには「太ったよね」と言われたあと、「痩せたほうがいいよ」と3回ほど言われた。何か意味があるんだろう。
 そういうこともこれから大切だよ、というメッセージを感じる。
 自分の外見は自分のものだけではない。おこがましいが、人々に夢と希望を与える存在でいるためには、それなりの外見上の印象が必要だ。
 失望させる外見ではいけないのだ。外見は甲斐性の一部なのだ。

 40代になると、男で格好いい外見って、おおむね痩せてるってことになるとは、よしながふみさんの漫画の台詞だ。まさにそう思う。
 だいたい、痩せたままだったら半年前の出来事もなく、今頃結婚の準備でもしていたかもしれないのだ。バカにしてはいけない。
 自分を俳優とおもうべし。外見こそが、魂こめた渾身の職人的作品であり、生き方の証明であると、自覚すること。

 表情とか、ファッションとか、内面や実績・自信を軽視しているわけではない。それらは、体型などは問題にさせないほど、本質的なものだ。
 それでも、所属する組織文脈、関係者、私のキャラクター、年齢などを考えると、今こそ外見を内面に釣り合わせる時なのだ。

 体型は、その人の生活信条も見事に現す。自分の秘める破滅的傾向の匂いや不摂生というのは、見る人が見れば「見たまんまやん」であろう。すごく本質的だと思うぞ。それをコントロールすることが僕にはできる。

 というわけで、適正体重に戻すこと、それを通じて自身が適正になること。
 そのための戦略が必要である。
 さしあたり、2015年は次のような調子で考えているのですが、どんなものでしょう。

 1 朝は瞑想・体操・計測、夜は記録・日記と音楽、というよいフォームを徹底する。
 2 2015年中にフルマラソンを完走するため、体重と下半身を段取っていく。
 3 原因のアルコール依存の解決するため、月曜は「ノンアルコールビールの日」。
 4 逆流性食道炎のつらさで食べることがあるので、ガストールと内科を活用する。
    5  2015年一杯は、カロリー管理アプリで毎食を記録する。
 6 「適正な自分」とその周囲の嬉しさをイメージする。資格試験と一緒。


 体重の移行は一級建築士合格のように、ほんものの努力と準備の成果だとわかる。だからこそ説得力がある。
 これをやりとげた時、今は私を外見で拒絶している何割の人かは、私の言葉に耳を傾けてくれるようになるだろう。
 減量をやりとげた私のことを、「あの人はやるときはやる」と今度こそ認めてくれるかも知れない。
 親しい人は、「これでいいんだよ。良かったね」と喜んでくれるかもしれない。
 自信をもって人生のパートナーを誘うこともできるだろう。
 それら全ての相乗効果が、私と、私の親しい人、私と関わる全ての人に、よいことをもたらしてくれる事を信じる。さあやるぞ!

 2015 1月は80.5kg
 2015 12月は70kgになります。

 そのために、相変わらず記録を続けて、ひと月1kgペースで着々で進むのだ。
 えいえい、おー!
 早いものでもう1月12日。2015年として半月近くが過ぎました。とはいえ中身はとても濃い。感謝する出会いやご縁が、たくさん転がり込んできて、自分の後半生も捨てたものではないのかも、なんて心境にもなっています。
 こんな調子で一年過ごしていければ万々歳だけど、人生は鮮やかな光だけを浴びたり、収穫の季節だけを過ごすようなものではない。闇も冬もあるだろう。表面の変化に一喜一憂せず、深い平穏を育て、それぞれの局面を楽しもうではありませんか。

 去年の暮れに3年日記というものを購入し、なんとか「ほぼ日」で記入できている。日記をつけるという習慣は、十代の浪人生活時代以来ではないかな。いや、初めてなのかもしれない。書いてみると新鮮な驚きがある。非常に頭がクリアになる。
 瞑想よりも瞑想的効果においててきめん。夜寝る時、朝起きる時に、驚くほど引きずらずに区切りをつけられる。D・カーネギーの「その日一日の区切りで生きる。Living in day-tight-compornent」を地で行く気分だ。
 それに、事実を散らしただけの短い散文で一日を振り返る事は、今こんなふうに書く文章とは全く違い、無駄な思考を断ち切り、過剰な意味付けを除く。「常にベストを尽くすこと。Always do your best」を噛み締める時間帯をすごすことができる。
 習慣的な思考を排することで、今生まれる新鮮な文脈として、一日を振り返ることが可能という効果もありそうだ。そして、誰にも言う事のできない気持ちを語り合える親友(つまり他ならぬ自分)とのコミュニケーションの時間を、毎日得ることの喜びがここにはある。ピアノソナタなどをかければ、さらに快適な時間になる。

 そんなわけで日記の力を偉大さを、この年で実感しているところです。
 書き出してみると、日常に悩み事なんて、大してないんですよね。要するにそういうことかな。
 あれこれ悩んでしまうのが人間の性・・・などという決めつけはいけませんね。健康上も。

 
 ベターマインドというブログの名前は、1996年に私があるミニコミ紙に書いた詩の題名です。
 といっても、私は文芸には全く縁の無い人間なのですが、当時の彼女が大学の文芸部出身で、私の方はロッキングオンジャパンというロック雑誌の影響で、当時の何人かのアーティストから歌詞という形で影響を受けていたこともあって、彼女につきあって創作の真似事をさせてもらったのです。
 結果、一般的な評価には当然値しないものの、当時の不幸な精神状態を一気に吐き出す媒体となり、詩作という慣れない作業に夢中になってとりくむ中で、自分としてはそこそこ満足するものとなったのでした。

 今日は、ふと思い立って、そのミニコミ紙から、詩などを別のブログに入力してデジタル化してみました。あまりに恥ずかしくて直視できないと思っていたのですが、これがなかなか、非常に正直な内容だったので、当時の自分の悩みごとにリアルに引き戻され、そんな中で最善を尽くそうとしている20代の自分を、応援したくなるような作業となりました。などと書くと、なんというナルシスティックなオヤジなんだとドン引きされそうですが、しかし少なくとも当時の自分はがんばってた。偉い!

 当時の自分には、全く先が見えていなかったし、もし今のような将来が待っているとわかっていたら、多分喜んでくれたと思うのです。もちろんもうちょっと上手くやって欲しかったといわれる可能性もあるが…いや、当時はそんな算盤を弾いて世渡りするという発想自体がほぼなかったですから。やっぱり上手くやったと言ってくれる気はする。
 むしろ、うまくやりすぎじゃないの? そんなんでいいと思っているの? と駄目出しされる可能性はあるのでしょうかね。

 ともあれ、今日はなんだか、やりきった。年末にふさわしい、こういう時しかできない作業でした。
 いい眠りになることを願って寝ます。御休みなさい。
 今日は12月28日ということは、2014年もあと3日ということですね。今年の年末年始は9連休ということで、なんとなく安心していると、あっという間に過ぎ去ってしまう。そして私がこんな風にネットに文を書くのは、一体いつ以来なのか。年齢もまた然り、という事ですね。

 2014年という年の振り返りでもしてみよう。それなりに出来事はあったはず。例えば、一月には一級建築士になった。四月には係内主査になった。七月にはささやかな別離があった。十月には管理職選考を通過した。四半期ごとに、それなりの節目が来ていたって事だ。それにつれて、自分の内側がいくらかでも変わったのか、というと、まあ本質的には変わってないけど、流れの速い支流を選んで来たおかげで、いくらか質感が動きやすくなっている気はします。
 外面の動きばかりではなく、内面の動きと呼びたくなるものもありました。後輩の女性に試験勉強を教えるつもりが、いつしか自己啓発本の情報交換をし始めるようになったり、後輩達の距離感のある視線につぶされそうになり、毎日のように悪夢なんかみては、気持ちを落ち着けるため、やにわに瞑想の遍歴を振り返って、早朝からぶつぶつつぶやいたりした。
東日本の震災で気仙沼に滞在した時も同じような気持ちになって、随分内省が進んだけど、あれと似ている。相当追いつめられたってことだし、そういう時こそ人格の変化がじわりと起きる。彼女から冷たい言葉をかけられる事が増えて、急に海辺を走り出したりもして、これもまた追いつめられ現象。
 妄想していたよりも人望はなく、卑屈になっていたよりは味方がいる。歩みを進めることで、しがない現実のフィードバックを頂き、だからこそ深層的なアイデンティティは変化する。発達心理学を知ったことで、それ以前に学んだコーチングやNLPの、素朴なセルフイメージ神話の呪縛から離れ、前進と深化のスパイラルを回して行く。そんな体験をしている今は、きっと生きているってことなんでしょう。そうだといいな。

 今年は、振り返ると「書く」という事にも、ご縁が深い年になったみたいだ。係長試験の論文を即興で書いた。製図試験での計画の要点をキーワード構成から自然に起こせるようになった。すでに兆しはあったのだろう。でも管試でのぶっつけ本番の勢いが、村上春樹や柴田元幸を朝読みしてたせいだとか、研究会の会報で頼まれたニュータウンの報告記事にも受け継がれていっているとか。果ては法律論にまで背伸びしてしまって、あれは恥ずかしすぎる代物だけど、それでも今後のライティング力の貴重な芽が、いくつも吹いてきている時期なのは間違いないだろう。(といいつつ、こんな風に書くことがすぐに自己対話や技術論になってしまう癖については、相変わらずですけどね。いかにもエニアタイプ5です。)
 年末はOSICというサイトを偶然発見したこともあり、月に二回くらいは短く文章を書いてみるのも、悪くないなあという気分が高まっているのです。短く、というのがとてもいいんだよね。

 そんなわけで、今日は一旦ここまでにしよう。今年中にもういくつか書けるのかな。