ベターマインド
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4泊5日の連休旅行が終わった。国会前を入れるとプラス1日でしょうか。
実は終始気になっていたのは、SNS以外で安保法案について耳にしたのがほぼ全くなかったことだ。原爆ドーム前で深刻な顔してガイドしてくれていたボランティアさんだけである。でも僕としてはプロ市民的な領域の方より、一般の方の声を聞きたかった。四ヶ月経てばみんな忘れるというのが永田町の言い伝えらしいが、そんなものかもしれないという気にもなる。原発の時に続いて、二度目の政治への失望。あるいは失恋か。宮崎御大は、ユーゴ崩壊をよく乗り切ったなと思う。混乱するのはある意味では誠実と率直の証であって、鈴木某氏が言うほどには、未成熟なものではないのだ。サンデルが言うように、こうの史代さんが言うように、結局のところ私たちは自分の意思だけで進むのでなく、気まぐれで愛すべき、度し難く正直な、この共同体のメンバーと、エゴと悲しみと偽善と、幾らかの希望や愛を含んだ話し合い、怒鳴りあい、騙し合いをしたがら社会を進めていくしかないのだと思う。そこに腹をくくれば自ずと結論は出しにくくなる。

軍港呉。予期していないだけにインパクトがあった。あの艦上の自衛官たちは、実際どのような気持ちで過ごしていたのか、見ていたのか。そんなリアリティを得た。大和や呉の歴史とともに。こうの史代さんの存在の深さにも、かなり引き込まれた。これは世代的なもの、精神史的なものも含めてだ。

連休は終わり、いわゆる日常へ帰る。うまくやっていけるだろうか。まずはしっかりお土産を配ろう。感謝の気持ちを込めて。それから、電話対応、役員対応を進めていこう。この時代の当事者として。
広島は、川の街、水の街だった。そして丹下健三の都市計画、軸線としての原爆ドーム。美しい、悲しい街。悲しすぎる街。
それにも関わらず、明るく元気な街。市民球団としてのカープ。お好み焼きの旨さ。イタリアン。

街づくりで、用途規制する意味。この町には風俗営業いらないよね?というのは、あくまでもラジカリズム。これいらないよね。これなくしたらどうなる?
ミニマルまでいかないが、余分なものがないという喜び?本質的なものに特化してくれているという喜び。この町の良さを知っているのは私だけだという喜び。

ミニマリズムとしての錦帯橋。それを見ていれば心が洗われ、明日への活力が養われる。

こうの史代と小林よしのりの共通項。

生きているということ。

コミティア行きたいな。
Twitterが最近好きになってきた。何を今更と思われるかもしれないが、用途は主に英語学習である。英語圏の人たちを多数フォローしていると、ちょっとした隙間時間にかなりの量のツイートをざっと見渡せる。文脈がランダムに現れるため、逆にこれはどんな分野のどんな立場の人が、どんな趣旨で書いているのかという、生の文脈把握力が鍛えられる。いい具合に雑な和訳機能も使いやすい。毎日これをやっていると、知らずと千本ノックを行っていることになる。これは、感覚ではあるが明らかに英語についての好奇心や向学心、そして達成感を刺激してくれていると思うのだがどうだろう。
最後の夏休を使って、午前は自宅のトイレのリフォームを依頼。午後は、運転免許の更新と、運動として市民プールに出かける。

プールでは、久しぶりに体を動かすのが気持ちよいという感覚を満喫した。僕は運動のセンスというものが豊かでは全くない方なのだが、今日は、センスという言葉がつい頭をよぎった。水泳というシチュエーションもなかなか見直されるべき。耳栓をして、平日の空いたプールを1000m以上も泳いでいると、どこからともなく、チベット仏教の長いホルンのような楽器からかなでられる地響きのような音が聴こえてきた気がした。その感覚も身体感覚とは違うかも知れないが、やはりセンスのうちかもしれない。表題の奥田英朗の小説では、患者がクロールで両側息継ぎができてことで自信をつけるエピソードがあったので、自分も景気漬けにやってみた。かなり楽に長距離が泳げそうである。

調子に乗って、ジャクジーから出て早々に着替え、上のフロアのトレーニングセットも見てみた。暑さ寒さに関わり無く、一定のコンディションで最大でも2時間走れるのは魅力である。

僕の人生にとって、今や最大の難関は客観的にみて飲酒行動だ。しかし主観的には、諦めている訳ではない。出口となるべき、人生の別回路が豊かになることで、脱出の可能性は高まっているはずだ。

そして、奥田英朗つながりで、バッティングセンターにも向かってみた。バスを乗り継ぎ訪れたかいあり、バッティングもピッチングも実に壮快。一年後の接待野球の旅にむけて、時々続けてみたい。

それにしても体が熱い。特に右肩あたり。明日は筋肉痛だな。明日であることを願おう。
いくつかの本を読んで自分の反応について

「なぜ、嫌われ者だけが出世するのか?」斉藤勇氏著
面白かった。出世模様にかかわる諸々のシチュエーションと、社会心理学の実験・知見などの紹介を組み合わせて読ませてくれた。この本は、7つの習慣風にいえば、WIN-LOSEパラダイムからWIN-WINへ行く事の今日的価値を、社会心理学のデータを元に話してくれていると思う。個人的にはそのパラダイムシフトについてかなり取り組んできたつもりで、一段落してWIN-LOSEも受け入れようではないかという心境と思っている。が、そういう中でも、理論に裏打ちされた心理解説にはすごみもあり、自分の盲点について、いろいろと振り返らされるところがあった。職場のあの場面、あの場面、いろいろと赤面する思いや、感心する思いが湧いてきた。

「本当の仕事」榎本英剛氏著
予想したよりも、インスパイアされる部分が少なかったのだが、その理由の多くは、自分のスタンスの変化によるものと思う。以前は渇望と言ってよい程にこのような考え方のヒントを求めていたと思うのだが、人生の振り子は何年か周期で触れ続けていて、今は当時の発想を解体・再構築しようとしている時期なのだから、しようがないものと思う。数年置きに読んでみたい本である。

「景観とデザイン」内山久雄・佐々木葉氏著
親しみやすく、中身が濃い。土木分野と景観分野の概要を知る目的で購入したのだが、体裁は平易で現代的な入門本でありながら、著者の熱意、愛情が行間に溢れているせいか、だんだんと感情移入して読んでしまう。構成としても理論がしっかりしていて、歴史的経緯などにも軽く触れてくれるのでありがたい。私は入門本が本当に好きなのだなと再確認。

「ユリイカ2013年7月臨時増刊号 総特集 岡村靖幸」
本から溢れ出しそうな愛情の量がすごい。坂本龍一氏との対談は、純粋に音楽にフォーカスした内容で、岡村ちゃんの音楽の形成過程、変遷の理由が良くわかって興味深かった。四半世紀たった今だからこそ、彼の音楽の独自性、革新性と、その後の音楽シーンとの関係が客観的に俯瞰できる。そして多数の生々しく瑞々しいトリビュートエッセイが、彼の与えたインパクトの多彩さ、深さ、色っぽさを追体験させてくれる。

「世に棲む日々」司馬遼太郎著
司馬氏の断定感に満ちた深い思考に引きづられるような、華麗でためになる歴史絵巻。しかし、歴史学者からは、司馬さんの小説は嘘ばっかりで困ると定評があるとも聞く。インテリでない自分としては、関連分野をあれこれ知ることができるわけもなく、それよりも日常では会えないような魅力的な生き様の登場人物の世界に身を浸し、自分のエネルギーを充溢させておきたいだけなので、あまり問題はないと思う。司馬さんに限らず、歴史小説というのは、事実という1次創作に対するN次創作であるという宿命がおそらくあるのだろうな、と先ほど「花燃ゆ」を観ながらなんだか納得がいった。高杉晋作は「よ!征夷大将軍」と言ったのか否か、「面白きこともなき世を面白く」は臨終の作なのか否なのか。歴史小説の場合は、どこまでが事実で、どこまでが創作を盛り上げるためのリアリズム手法なのかを、読者の側はもっと貪欲に見定めても良いのだろう。
 突然だけども、離婚した頃のことを書いてみようと思う。今まで当時のことはほとんど誰にも語っていなかった気がするけれど、ここ数ヶ月、果たしてそれは良いことだったのかと、自問自答することもあったから。

 僕と彼女が出会ったのは1995年だと思う。飲み会で結構気が合った同士で、カラオケを抜け出して、河原でキスをしたのを覚えている。当時の僕は女性とはもう付き合わないことを決めているとか、訳のわからない予防線をはりつつも、趣味が合いそうで、擦れてなさそうな彼女の佇まいに好感を持った。内心はかなり舞い上がってて、こんなに上手くいっていいのかなと思っていた。

その後、彼女が近くに越してきて、僕らはちょくちょく互いの家に出入りするようになった。彼女は少々寂しがり屋で、僕は毎日電話でなだめるのが面倒になって、それならばとなったわけだ。そこから、一緒に創作雑誌で活動を始めることになる。

 当時はインターネットがまだ一般化しておらず、創作したい人が交流するには、同人誌即売会や投稿雑誌のお世話になるのが一般的だった。僕は高校生の頃には漫画家になれないかと漠然と思っていて、そんな才能はないと認めるのに時間はかからなかったはずだが、35歳までは諦めないと、何かの時に心を決めていた。自分の思いを彼女に伝えることに困難を感じていたある時、詩のようなつぶやきを酔っ払ってワープロに叩きつけたら、なぜだかすっと気が晴れるものができた。彼女も勧めるので、そのまま投稿雑誌に載せてみたら、案外と好評を得た。それがきっかけで、投稿雑誌の連中とは随分親しくなり、音楽制作に混ぜてもらうこともあったし、旅行にも出たし、当時はそんなことばかりやっていた。1年ほどそんなことを続けた1997年の秋には、もう、創作以外の人生を認めてもいいかなという気持ちになった。そう思わせてくれる彼女の存在に感謝しながら。

 その後、彼女は体調を崩して仕事を少し休んだ。職場での期待に応えられず悪戦苦闘したことがきっかけだったのかもしれない。正確な原因は未だにわからない。鶴見済の人格改造マニュアルという本を読みながら、自律神経失調の勉強をした。これからどうなるのかなと思ったけど、まだ若いんだし、休めば回復するとあるのだから、これも経験と思っておとなしく過ごそうと思っていた。その甲斐あって1年ほどすると彼女は復調して、僕たちの間では結婚の話が出るようになった。僕は緊張したが、彼女の存在は大切なものだったので、男として次の一歩を踏み出そうと思った。二人で創刊間もないゼクシィを読み、式に使うレストランを検討した。両親に話をして、お食事会でお互いに挨拶をした。まあこんなものだろうと思いながら、お互いに進めていった。

 そんなある日、職場に電話が入った。「父が倒れたので病院に来なさい」という、家族からの電話だった。急ぎ電車で帰ろうとするとき、携帯にメールが入り、彼女から「また具合が悪くなった」と知らせが告げられた。

 父はその日の晩に天に召され、家族は途方にくれた。結婚式については、ぜひ喪に服さずに行うべきだと、母も親戚も言った。頼りない僕には、なす術もなかった。二人だけ、信頼の置ける先輩に相談をした。「実は彼女の具合が悪いが、結婚を考えてる」と。一人は賛成してくれ、もう一人は反対してくれた。どちらも善意からだったと思うが、僕としては、やはりこのタイミングで止めることはあり得ないので、最後まで付き合おうと思うと言った。自分の心に嘘はなかった。

 なんとか結婚式を果たし、新居となるマンションでミレニアムを迎えることとなった。僕らは夫婦の初めてのパソコンとして、富士通のWindows98を買い、お正月にはホームページを開設した。掲示板を使って、新しい創作友達と交流した。そこには独特の幸せ感と、不安と、じんわりした疲労があった。僕は昼間はそれなりに仕事をしていたが、どこか打ち込み切る気持ちにはなれなかった。2001年には資格試験を始めたが、1年目は二次試験で不合格だった。9月には同時多発テロが起きた。僕には毎日の不満をさるさる日記に書きつけるのが唯一の本音の場となりつつあった。不満と言っても奥さんの現状にではない。それは自分が選んだ道なのだから。だからそれ以外のことの優先順位は低いのだ。

 ただ、一生懸命になれていない自分というのは、居心地の悪いものだった。目標や方針がなく、熱も情もない、義務感だけの人間になっていくような気がして不安になることがあった。近所の古本屋で、スラムダンクの一気買いをして、自分が情けなくなった。たるんだ腹を凹ませたくなって、ある時いきなり河原を走り出した。昼休みにはドリブルとシュートの練習を始めた。運動神経のない自分には無謀だったけれど、気合いで無謀なことをせずにはいられなかったのだ。

 ぼんやりと、いつかこの暮らしを止める時が来るのかもしれないなと思った。でも自分にそれが言えるだろうかと考えると、現実的には想像できなかった。だからその日が来るにしても、10年後にも、もっと先にもなるだろうと。それまでは、この暮らしの中でなんとかせざるを得ないと思った。

 が、ある日きっかけが起きた。詳細はここでは書かないが、あ、今日がその日なのだとはっきりわかった。今日言わなくては10年後になるとも思った。居酒屋に二人で出かけて、お互いの意思を確認した。二人の意見は一致した。一緒に最後の仕事として、お互いの親に説明しようと言った。それまで自分の保護者的な振る舞いが、彼女にどのような気持ちを与えていたかも聞いた。反省するところもあったけど、二人とも、もはや外れた歯車を組み立て直すより、もっといい方法があると確信していたと思う。その意味で僕らはまた仲間になった。

 そんなわけで僕達は離婚した。悔いはないけれど、どっと疲れが出た。それまで、自分のために生きるのをやめて、人のために生きようと思っていたけれど、それが現実に形を取らないと実感した時、もはやいろんなことがどうでもよくなった。2年目の資格試験も当然のように失敗したけど、それも小さな事だった。自分にも至らぬ点、付き合いきれない点が多々あるのは、当時としてもそれなりに想像はついたが、何を信じたらいいのかわからなくなった。取り敢えず自分にできることは、これからは、人のために生きるのを理由にしないで、誰と付き合っても付き合わなくても、自分として生きるということだけだった。

 今思えばそれも反動なのかもしれない。あれから10年以上がゆうに経つけれど、あの思いはもしかすると、いまだに自分の中に影を落として、不健全な影響となっているのかもしれない。

 勢いのままに書き連ねたけれど、こうやって読み返してみると、残念ではあるが、自分にとって意味のある経験というところまで消化しきれていないようだ。けれど、このように外に出すことをずっとタブーとして、一回り以上の歳月が経った。そろそろそういう気持ちに区切りをつけるために、このような形ではあるが、言葉にして出してみるというのも、意味はあるのかもしれない。
 不快になった人もいるとは思うけれど、どうかそうした前に帆を進めるためにも必要な擬似カミングアウトであり、言語化による自己セラピーと捉えていただければ、助かるところである。もしここまで読んでくれた方がいたのなら、感謝をお伝えしたいです。どうもありがとうございます。


 人になにかを伝えるときに、色々な事が必要になると思うのだけど、ひとつには自分と相手の世界の接点をみつけることだと思う。
 これは、具体的にいうと実際の生活をもとにして書く事が、効果的だと思う。例えば向谷実さんの文章をみると、徹頭徹尾、「出来事」「経験」を軸にして書かれている。彼の観察や考察も書かれているのだけど、それは多くの場合、出来事や経験を語る中ではひとつの要素、挿話として語られているようなのだ。
 僕自身は、自分で言うのもなんだけど、かなり抽象的な世界を相手にして過ごす事が多かった人間だ。それが習慣になってしまっているので、この先もこの傾向は続く可能性が高いし、抽象度をあげた生き方に対する思い入れや信念のようなものも形成されてきている。だから、そういう人間の思考をそのままに書くと、概念や方法論、分析などがどうしても前面にでて、なんともとっつきの悪い人柄がそのまま文章化されるという結果になることが、しばしばあった。
 ところが、そんな人間にも人生のステージの変化はあらわれるもので、どうやらこの先は、自分の人となりを謙虚に効果的に伝えて、親しみをもってもらうこと、安心してもらうことも、自分の仕事の一部になってくる雰囲気なのである。それも単なる義務感からではなく、自分の内から自然に湧きでる形で、のびのびと表現したいのである。そう書くと、そんなことをいってみても、生まれつきの性格もあるし、あまり作為的にやってもしょうがないという人もいるだろう。一方で、性格も後天的につくられる要素は多々有るのだから、自分に求められることに挑戦して、その中で人格を練っていく事に、結構なやり甲斐を感じる自分もいる。今はまだ、トライ&エラーのエラーばかりだけど、楽器の演奏でも英会話でも、ある程度の下積み期間が必要だってことは、十分にわかるのだから。
 だから、抽象世界に生きる自分を捨てる必要はないけど、語るときにおいては、物質世界・物理現実に生きている人同士、という前提から話す作法を身につける事がひとつの指針になるだろう。今日なにがおきたのか、身の回りでおきたことにどう感じたのか、今まで起きた事で面白いことはなんなのか。その話題の中に自分の抽象的な面を滑り込ませる事だってできるはずだ。カシオペアの曲の中にだって、インプロビゼーションをしのばせる事はできるように。
 先月、魚川裕司さんの「仏教思想のゼロポイント」という本を読んだ。このわかりやすい本については、さらなる超入門版として「だから仏教は面白い」という本が、事前にkindleストアで配信されていて、これが大変に興味深い内容だったのだ。
 僕が小学生の時に通っていたピアノ教室には、お釈迦様や日蓮様の生涯を紹介した、子供むけの仏教マンガが置いてあり、教室で順番待ちをしている時は、結構楽しく読んでいた。寺の多い土地柄であり、夏休みには禅僧のお坊さんが、座禅の手ほどきを子供向けにしてくれた事を覚えている。「何も考えないのが座禅なのではなくて、何か考えてもそれを打ち消すのが座禅なんですよ。」「例えば座っていて、お味噌汁のことが思いうかんだとします。それはいいんです。そして、そこから打ち消すんです」そんな話の内容をかなりよく覚えている。地獄がもしもあったらどうしようと、子供らしく怖がっていた事もある。意外と仏教に近い幼少期だったのかもしれない。
 高校の教科書では、釈迦の教義は人生は苦であるというものと記されていた。他の宗教と比べるとずいぶん辛気くさい、ただ我慢するだけのような宗教なんだなと思っていた。大学生の頃は、呉さんという評論家が仏教のことを書いていた。仏教は親不孝の教えであるなどと書いていたが、その意味に注意を向けることは特になかった。他にも悩みや取り組みがたくさんある時代だったのだ。
 しっかり興味を持ったのは、30代後半からだったかもしれない。尊敬する知人が、ダンマパダの研究会を行っていて、書店で岩波文庫を購入してみたところ、なんだか美しい本だなあと思った。脳機能学者の苫米地さんの仏教の話も聞く機会があった。また、ヴィパッサナー瞑想というものを知りたくなり、これも信頼する人の推薦本を読んで、なるほど、釈迦の教えはとても論理的だと思った。にわかに「中論」などにも手を伸ばし、歯が立たなかったが、司馬遼太郎の「空海の風景」は楽しんで読んだ。仏教史のおおまかな流れについて、書物的には押さえた気持ちになった。
 仏教は、善人になるための教えではなく、善悪を超えた世界にたどり着くための方法論。自分なりに「ゼロポイント」を一言でいうとそうなる。けれど、これをなんの説明もなしに聞いて納得できる人は少ないだろう。過去の僕自身が、まったくわからなかったはずだ。仏教の最新のテキスト分析や、書物と実践のバランスを踏まえて書かれた、こういった本に出会えた事は、僕にとって幸運なことである。
 備忘録として書く。
 なんとなく、この日記には、アイデンティティの種を書き連ねれば良いのだと思う。
 それは、職場の人、後輩などに対して、自分の興味範囲や半生、ものの感じ方はだいたいこういう感じだよ、と伝えてみる感じだ。プレゼンテーションといってもいい。
 向谷実さんの本の魅力の一つは、いろいろな経験を魅力的に語る、その語り口が骨太に通っている事だ。自分の経験や人生をもとにしていても、そこには聞き手がいて、聞き手にわかりやすくおもしろく説明する向谷さんがいて、そのために、状況に脚色したり、俯瞰したり、解説したり、筋書きを持たせたりといろいろやっているのだ。プレゼンターのお手本のようなものなのかもしれない。村上春樹さんも、坂本龍一さんも、田尻智さんも、そこはまったくかなわない。押井守さんが時々いい線いくけれど、彼は才能と引き換えの自己中心性のようなものが前面にでてくることがこの頃多いし、あまりにも感覚が尖っていて、お手本にするにはリスクが高い。やはり、これからの自分にとって、多くの人が求める均整のとれた、いってみれば美形にあたるお手本を選ぶことになるのだから、これはしっかりと選ばなくてはならない。
 職場の先輩の紹介で、バンドのお手伝いをした。ブルーハーツのコピーバンドであり、メンバーの平均年齢は60歳くらいだろうか。長年そういったことをするチャンスのなかった僕としては、リハビリも兼ねて多少はお手伝いできるのではないかと、おそるおそるスタジオに出向いてみた。ちなみに、ブルーハーツは、当時のメジャーな流行の中では革命的にシンプルなギターバンドで、そのシンプルさがウケてしまったが故に、バブル期の日本にバンドブームなるヘタウマの大流行を引き起こした。ところが実は、誰もが真似出来る音楽などとはとんでもない間違いで、その強烈なプレゼンスと、作詞能力の高さを、誰もが追いつけない音楽と今では認識されているのは、ご存知の通りと思う。
 今回の選曲については、後期のアルバムからが大半であり、正直言ってほとんどの曲が初めて聞くものだった。ブルハのキーボードは有る程度、ベースラインを追っていくことで雰囲気を満たせるはずなのだが、なにしろオリジナルメンバーの皆さんも、知らない曲が大半。これは仕込みをきっちりする必要があると考え、ここ数週間ほどは、いただいた音源をスマホに仕込み、通勤や散歩の合間をみて、コード進行やイントロに体を馴染ませていった。
 そんな久方ぶりの演奏でも、それなりにバンドの皆さんに受け入れてもらえたのは幸運だった。やっぱりこちらも人間だから、すごいねえと言われれば悪い気はしないし、居場所を貰えたようで、コミュニケーションにストレスも無い。結果として、演奏もかなり自由にやらせてもらえて、自分の中で長年OFFにしていた、バンド演奏という回路を、久々に探し当てて、多いに電流を流させてもらった感がある。
 曲のうちのいくつかは、キーボードから始まる構成になっているので、その曲だけはそれなりにみっちり聞き返して、鍵盤を押さえるボイシングや音色についても、シミュレーションを行った。僕の部屋には、シンプルな電子ピアノがあるだけで、オルガンやストリングスの音色が使えない。そこで個人練習をスタジオでできるらしいという情報をもとに、2回に分けてレンタルキーボードによる練習を行った。原曲はスマホから、安っちいヘッドフォンで音を取り、それにあわせてPAから音を出す。少し耳は痛くなるが、もっとも手軽で簡単な練習方法で、ほとんどカラオケと変わらないと言っていい。そうやって、曲ごとに、鍵になるリフのフレーズや、見つけた音色のナンバーなどをメモしていく。また、曲を弾く時には、これは何々風で弾こうといったものも大切な情報なので、そういうものもそばにメモする。あるいは似た内容の曲をくくっておいたりもする。スコア譜は縛られてしまうので今回全く使わないのだが、むしろこの紙一枚のメモが重要になってくる。そうした準備作業は、中年になって、昔を思い出しながら行うのだが、一連の流れを振り返って、意味を確認できるようになっている自分も発見した。若い頃の表現行為は、感覚がほとんどになることが多いと思うが、年をとって、それを技術のような、方法論のようなものに落とし込む事も、愉しい事だ。

 ふりかえると、ここ数ヶ月の僕は特に、自分に自信を持ったりする時間が、一日の中で、一週間の中でほとんどなく過ごしている事が普通だった。職場において昇任を果たした事の自信などは、所詮形だけのものであり、自分の内実がついているかどうかといえば、修行期間と自分に納得させるのが精一杯だった。
 そもそも、自分がどんな人間だったか、何を感じているのか。それを見失ったり、抑制したりする時期は多くの人に経験があるとは思うが、それにしても何事も程度問題である。だいたい、そんな自己否定でがちがちになった人間を、周囲や部下が親しみを持って接する事ができるかというのも、あやしいものだ。やっぱり、自分の喜怒哀楽を知っている人は、強くて魅力的だし、逆の人に対しては逆のことが言えてしまう。今回、頭のタガを外したといって間違いでないくらいに、思いっきり演奏ということをやってみた。そして、フュージョン狂時代における生き生きした人生をみていると、「そろそろ自分を取り戻しても、いいんじゃないの」と自分にいってやりたくなった。