ハリー・ポッターについてかんがえる | 木下と僕

ハリー・ポッターについてかんがえる

通勤電車の中で、前に立っていたおじ様(推定、40代後半~50代前半)が片手で「炎のゴブレット」を読んでいらっしゃいました。勿論日本語版の。殺人的な分厚さの。

「私の前で息をするっていうなんて…」

と見えたので恐らく嘆きのマートルがぐだぐだとハリーに愚痴り嫌気のさした帝王(=ハリー)がちょっとマートルをつねったりしている場面だと思いました。帝王は結構我侭で俺様でいらっしゃいますよね。(注釈:このブログにはたびたび虚偽の描写が御座います)
それはどうでもいいのですが、そしておじ様が片手でアレを持って満員電車に耐えているという非常にMな絵面もどうでもいいのですが、更にはおじ様が部下やら娘たちに「ハリー・ポッターも読んでないなんてダサーちょダサー」などと揶揄されて悔しい一心で電車内の時間を有効利用し、何とかゴブレットまで辿り着いたという人間ドラマがあったとしてもそれこそ真にどうでもいいのですが、その本がハリー・ポッターであったという点に着目したいと思う訳です。

すいませんが、おじ様のことはもう忘れて下さい。
今日はハリー・ポッターについてかんがえようと思ったのです。

元来私は、魔法だの不思議な力だの、アラタンスの向こうに道があるわ、だの(ナルニア国物語)、傘で空を飛んだだの(メアリーポピンズ)、霧の向こうは不思議な町でした…みたいなちょっと現実世界に不思議ワールドが溶け込んじゃった風なアレが大好きというか条件反射的に飛びつく訳です。勿論ハリー・ポッターなんかは本当にもう!馬鹿じゃない?!と自身を罵るほど傾倒する作品です。
ちょっと横道にそれますが、「クレヨン王国シリーズ」というのは秀逸だと思います。
児童文学なのにも関わらず、現在読んでも非常に面白いし、また、新作を読みたいと思わせる作品です。だがしかし、中途半端に漫画作品にされ、アニメにされ、ほのぼのほんわかを装ったことにされてしまったためあの文章を読んでいない人に素晴らしさが伝わらなかった残念な作品だと思います。ほのぼのというより鋭利、シャープで結構胸に突き刺さる作品だと思うのです。あれは漫画やアニメで伝わるようなものじゃなく、まさに文章のみで味わって欲しかったなとうろ覚えの漫画の絵柄を浮かべながらぼんやりと思いました今。まああの、こんなこと言ってて現在手元に一冊もありやしませんけど。
それはさておいて、オススメは「クレヨン王国の十二ヶ月」「クレヨン王国黒の銀行」で御座います。大好きで何度も読み返したタイトルです。

それ過ぎましたね。ハリーについては我侭で俺様という考察しかしていませんね。どうもすいません。でも覆す気はありません、何故ならそんなお前が好きだ…え、近藤君…?(ドッキン)みたいな放課後告白タイムの甘酸っぱさを彼に抱いているからであります。いつか誰か奴の鼻っ柱をねじ折るといいのになあ。

もう本当すいません。ハリー大好きです!

そんな訳で、どこが好きなのかについて箇条書きにしてみたいと思います。

・英国の現実世界と隣り合わせている魔法世界
・魔法世界の様々な道具や、魔法学校の授業
・過剰なほどのいじめ
・虐げられ、憎しみの土壌を踏み固める主人公
・束縛から逃れ、金と力を手にした主人公の勝手ぶり
・復讐
・半ズボン
・少年たちの大冒険、はばたけ未来へ!世界は俺のもの

ああ、何か白昼夢が見えた気がいたしました。気のせいかしら。
ともかく、いいにしろ悪いにしろハリーやその友人の成長が順を追って描かれて、更に魔法という背景もあって、現実にないけれどどこかにありそうな、手を伸ばしたちょっと先にあるという感覚がわくわくするのです。そして、映画化というビジュアル的メディアでもキャスト選びがうまく成功していて楽しめるという幅のある作品だと思います。新作、「不死鳥の騎士団」では更に帝王と化した憎いあいつが見られるみたいなのですがまだ入手出来ておりません悔しい。映画アズカバンは観ました。色々思うことはありますが、レビューではないので割愛。

結局何が言いたかったのかというと私は、Mのおじ様について書きたかっただけなのかも知れません。サンキューおじ!リスペクトおじ!彼が無事、娘にハリーの邪悪さを語れるように祈ろうと思います。了。