娘が友達の結婚式に参列させていただいた

暖かいとても素敵なお式だったみたいでとてもうれしく

思った

 

我々の世代と違うのは

なんだか少しアレーと思う儀式があることだ

 

まずはベールダウン 花嫁の母が花嫁のベールを入場前に

下ろすことだ

これはキリスト教式からきているようだが人前式などでもやるらしい

日本人からすると顔を覆うというのはあまりなじみがなく

私は娘の顔にベールを下ろしたくはない

明るく見せておきたい顔は

 

次は新郎の母が入場の時ジャケットを着せてあげるというものだ

これからはお嫁さんにやってもらってねいういみもあるし身支度を調えるという意味もあるとか

これもやりたくない

息子には日頃からジャケットを着せてあげているわけでもなく 着せてあげることもあるがこれからもあるしそこまで特別視することでもなかろうとおもう

控え室で係の方にきっちり着せてもらうのがよいとおもう

 

和装では紅差しの儀なるものがあるらしい

私たちの頃はそんな物存在すらしなかった

花嫁の母が娘の口紅の最後を仕上げるらしい

それも入場前に人々の前で

これもやりたくないな

控え室でメイクの方に綺麗にしていただいた方がよっぽど

仕上がりがよかろう

 

バージンロードを歩くのが新婦の父と決まっているのでその他の親の出番をつくったのだろうけどいるかーとおもう

 

新郎父は親族代表挨拶があるので出番はある

皆で出番があるのがよいとか考えたのだろうか

 

後は最後に乾杯をもう一度して式をおわりにするというやつだ

日本人なら締めは一本締めか三本締めかそんな感じだろう

そちらの方がよっぽどいい感じだ

 

とにかく海外からキリスト教から仏教から神前式からと

混ぜすぎの上に人前式はなんちゃらの儀とか勝手につくりあたかも伝統のようにしているように感じる

 

白無垢もウエディングドレスも純粋潔白を表すとかで最近は女性差別だといわれたりもする

確かに

だが日本は黒振り袖が花嫁の正式衣装だという時期もあったぐらい

白にはこだわらない

着物の格で式は出席するからだ

未婚の女子は振り袖

既婚者は黒留め袖

これが第一礼装だ

 

まあとにかくおしゃれにするのはよいが

なんちゃらの儀とかでいかにも正しいみたいなのはどうかとおもう

 

親に手紙を書いて読むのもはやりだがそれは親子の間で済ませてくれればよい

わざわざ人前でやる必要もないように感じる

泣かせる演出はあまりすきではない

ありがとうはいつでも言えばいいしそのとき改まって言うのもなんだかなと

万障お繰り合わせの上きていただいた皆様に感動を押しつけているようで申し訳ない

 

はやりもけっこうだが

お式は親 親戚 関わった人々 友達 に感謝し

その人たちは心から祝いの心で門出を祝う

それだけだと思う

もめ事を増やすようなお式は困る

シンプルが一番だと思う

 

 

 

大学入学のタイミングでひとり暮らしを始めるのが最初のタイミングだろうか

次は就職のとき 次はある程度自活出来る稼ぎになり家やマンションなどを購入したとき

そして結婚するとき

などであろうか

 

ただすむ地域によって差はかなりある

関東圏や関西圏またそれぞれの年に大学があるなら自分の家から通うことも十分可能だ

 

なのにだ

子どもが下宿したいこともある

親が自活を促したりすることもある

家庭によってまちまちだ

 

我々世代の女子に限ると

大阪に住んでいて関西の大学に通うのに下宿する子はほぼ皆無だった

男子に関してはバイトの関係とかで家の遠い子とかは大学の近くに住む子もいたが

 

いつからか

圧倒的に自宅通いがすくなくなってきたように感じる

ドラマやマスコミの影響で実家住まいは もてない

自由じゃない 自立してないなど

悪のようにいわれていることには疑問を感じる

安易なひとり暮らしは

金銭的に生活が破滅するし身体的にも無理が多く誰にも助けてもらえない状況に陥りやすく危険をはらんでいる

年齢の若いこと さらに女子であることは社会的弱者であることにきづいてほしい

日本の社会ではまだまだ現実はそうである

男子の場合は無茶をするケースが多く食事がおろそかになったりお酒三昧 ゲーム三昧などで失敗するケースも多い

 

 

下宿する事の利点としては

勉強に集中できる

自由に時間が使え青春を謳歌できる

家事など自立してしっかりする

友達との交流が盛んに出来る

 

下宿の悪い点としては

自由なあまり生活が乱れる

親の金銭的負担が高い

親と疎遠になりやすい

事件などに巻き込まれたり災害時や病気の時困る

女子のひとり暮らしはやはり危険が多い

ひとり暮らしから実家に戻ると窮屈でもどれなくなる

 

各家庭でそれぞれ考えがあろうが

 

ひとりぐらしをすると家族のありがたさをかみしめることもあろうが

案外快適でもう二度と実家には戻れない人もいるだろう

 

世代間でいろんな話をしたり祖父母の昔話

両親の話 兄弟との会話を楽しむ

実家に住んでいようがいまいが

孤独になったり孤立したりするのは精神衛生上よくない

うっとうしいと思わずその関係を楽しんでいってほしい

それこそ本当の意味での大人であり自立した精神だとおもう

 

また友達だけだと同じ世代ばかりなので

気楽ではあれ考えが偏る

また他人ではどうしようもない手続きなどもあるのが現実だ

 

祖父母の生活の様子

親の生活の様子や病気や年老いていくすがた

をよく見ていくことが自分や自分の家族にも大切だと思う

反面教師であったとしても

 

祖父母

親世代も

いつまでも年上だから何でも知っているということはなく

自立した人間として若者世代と対等でありながらみまもる

世代であってほしいとねがう

 

お互い学んだりする部分は多いと思う

 

同じ時代に生まれた家族の楽しさ良さを引き出せる関係性

を築けるとすべての世代が得だと思う

 

人の話を聞かない人が増えているようにおもう

高齢者も若者もどの世代も

自分以外の考え方 そういうのもあるねと言えるのは大事

 

子ども時代の人格形成期に学校だけではなくいろいろと学び

哲学的なこと国際的なこと学術的なこと日常生活のこと

学ぶ機会が多いと一番実りある人生になるだろう

もし与えられたならきちんと享受してほしい

だめなときも学ぶことに遅きはなかれだ

 

あらゆる世代が自立して楽しめればよいなと願う

 

 

 

 

 

 

 

思春期以降だろうか

いつ頃からか毒親という言葉が使われるようになった

 

虐待したりする親だけではなく

精神的に追い詰められると毒親といわれることがあるみたいだ

 

親は子にとっていつも

大好きであり

大嫌いであり

保護してくれる人であり

うっとうしい人であり

いつもそばにいたい人であり

離れて自由になりたい人である

 

いろいろ矛盾した感情を抱いて当然であり

親の愛情が煩わしく感じるのも普通であり

何ら不自然でもない

 

親といえども自分ではないので

何もかもがあうわけでもなく

大人になれば嗜好もちがうし

時代も時間もちがう

 

大昔から徐々にずれたりあわせたりあわなかったり

譲ったりゆずらなかったりして暮らして生きてきているのが親子で

 

結局自分の親しかわからないので比較対象もできないことだし

 

同じ時代を生きる自分とツナガル人間ぐらいに思い

ある程度の年齢になったら親のことも分析しながら

自分が幸せでいるため親も幸せでいるために

工夫して生活していくとよいように感じる

もちろんそれで離れて生きていく選択もあるが

決めつけてしまうと一番子ども自身が損になるし

心に負担があると感じる

 

親は子どもに期待してはいけないし

思い通りになる訳などないと自覚し

子どもは親の生きた道には自分の知らない部分も多々あることやひとりの人間としてどういう人なのかを同じ時代を生きる仲間として感じとり年老いていく様をしっかり見届けていく覚悟を持つべきだと思う

 

毒親があれば毒子や毒孫もいると言う人がいる

 

そうかもしれない

 

自分とうまくいかない人を敵対視して

毒をつけてしまって終わりにするのはなんとも

どうなんだろう

特殊な境遇の場合もあろうが

なんともあまり感じのよい呼び名ではない

 

毒親の反対は薬親か

 

それもどうなんだか

 

対立をあおるようなドラマや情報はしんどい