今日、友達と話していての気付き
クライアントの心にどこまで寄り添えているのか
例えば病気でメンタルは保たれていても、
言語的なコミュニケーションが難しくなったとき、
どんな気持ちでいるんだろう
体の自由が奪われて排泄の世話を
伴侶や子供に頼るしかなくなったとき、
どんな気持ちになっていくだろう
障害需要とひとくくりにまとめられるところには
もしかするとただの諦めと開き直りであって
そこの涙をどこまで感じられるだろう
相手の尊厳を大事にするとはどう言うことなのか
クライアントの立場もあり、
介助者、医療者、それぞれの立場がある
それぞれがそれぞれの立場に立つだけでは融合は起こらない
それぞれの立場も語り
お互いに立場を変えられる
出会うと言う言葉
お互いの立場から出て会うということ
昨日の記事では考えや知識、経験なんかを絵ととらえ、その土台であるキャンパスに着目するという話をした
お互いのキャンパス=観点がどんな素材なのか、どんな大きさなのか、
人の心がどのように動きどんな解決の仕方をするのか
そんなことをわかっていると本当に相手への立場にたつってイメージが変わるなって思う
お互いが自らのキャンパスからも自由になって、
そこから共通の問題を見つめることができたとき、
お互いの現在地を認めあうことも、共に未来を考えることもできる
そんな関係を作っていきたい
問題意識の共有はこちらで
https://www.facebook.com/events/1106463576087595/
本日もお読みいただきありがとうございました。
ご意見ご感想
perspective496@gmail.com