一本に絞ろう! VS いろいろやってみよう! | 堀江直樹の無限上達への道のり
いろいろな方と話していて感じること




特に若手の方に多い話かな




「今は挑戦の時期なのでいろんなものに参加していろいろやってみようと思います」




よく聞きます。





これに対するのは「これ一本でやっていきたいと思います」




一般的に何か一本に絞ろうというのは勇気がいることです。




これが間違っていたらどうしよう、とか




すごく怖さがありますよね。




日本人は国民性として、おたく気質であるというか、繊細な世界に強く、何かに没頭しやすいところがあるなと感じます。




そーいう側面もあるからなのか、同時に何かにいききってしまうことの怖さがあると思います。





人類歴史という観点に広げて考えれば、




宗教や魔術、呪術が支配していた時代から、




科学の時代に移行するようになってきたことや、




戦前、戦後の教育の変化により、





日本人の多くの人が、より客観的、中立的な観点で臨みたいとする考え方が一般的になっていることも影響しているのかもしれません。




この一本に絞るか、いろいろやってみるかという問題は非常に難しく、




いろいろやってみるといっても、結局やりたいことがよくわからないというケースをよく見ます。




アイデンティティが育たないんですね。




んで、開業などを通して何かしらやらざるを得ない状況になってしまうか、




情熱が続かなくなり、そこそこで妥協点を決めていくかのどちらかに倒れていくケースが多いと感じます。




こういった問題は、




観点を固定しても問題であるし、流動する状態においても問題であるといえます。




何かに定めて固定しても問題、動かしても定まらないから問題。




ならば妥協点を決めていくとか、中庸を取ることがいいのか。




よーく考えるとすごく難しいです。




おとといの記事にも書きましたが、




それに加えて、これらを判断することのプロセスの前提には「知る」という認識活動が大きく影響をしています。




そして人間の「知る」ことには常に限界がつきまといます。




だって、何をやったらいいのか、その基準も明確でないのに何かを選択することは難しいじゃないですか。




さて、タイトルの「一本に絞ろう VS いろいろやってみよう」




という問題への僕なりの回答ですが、




まず、スタートラインとして人間の認識の限界について理解をする必要があります。




その上で今までの人間が行ってきた認識活動から、




新しい認識活動を可能にする認識方式があることを理解することが必要だと考えます。




そうすることで、何を、なぜ、どのように選択したらよいのか、判断をすることができますし、




何を基準にするのかが明確になるので、常に心がすっきりした状態でいることが可能になります。




でないと、一本に絞るにしても、いろいろやってみるにしても、それらを選択する判断が難しいし、




何よりも情報が多すぎますよね。




情報を取り扱う人間自体のバージョンアップが必要な時代だと考えます。




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