上達=孤独? | 堀江直樹の無限上達への道のり
昨日、



コースの卒業生と電話していて久々に




「無限上達」




という言葉を聞きました。




無限上達という言葉、自分自身もそうだし、




受講生のみんなともその感覚を共有したい。




そんな感覚で頑張ってきました。




しかし、内心では矛盾と葛藤がありました。



上達すると孤独になる



という感覚です。



何をもって上達か。という考えでもあるのですが、




感覚を研ぎ澄ませれば、




理論を研ぎ澄ませれば




自分自身の悩みは深くなり、




その感覚や論理を共有しようとすれば、




それが理解できる人が少なくなる




むしろ、その細い感覚は共有不可能ではないか




上達するということをある意味奨励しつつ、




頑張らなくてもいい。といったような




一見相反するようなことを口にしていました。




そんな中、最近考えているモデルと仲間達の変化から、




「孤独にならない上達モデル」




を作ることが可能である確信が見えています。




「がんばらなくてもいい」



「そのままのあなたでもいい」



だから頑張って目標に向かってもしょうがない




なんて自分を納得させたりして。




実は内心、あきらめのような寂しさもあるんですよね。




かといって不安を出発にした頑張りも本当に苦しいものです。




この両者の感覚、きついなー。




「あなたにはあなたの救える範囲の人がいるからそこに目を向けることが大事だ」



っていう考え方は僕が若いこともあると思うんですけど、



救われる人がいて、救われない人がいてなんて世界を作ることは



受け入れることが難しい。



方向性は常に「全ての概念」で行きたい。




かといって、その救いたい思いをぶつけるだけでは、



喧嘩になるようです笑笑




だから、硬い正当性、正義を振りかざすだけではどうやら限界みたいなんですよね。




その限界を越えるためには自分の出発を知り、0にすること



そん共通認識をもった仲間を作ることができた時、



「上達する」ということに対しても、



本当の柔らかさをもったままの上達ができると、



確信が得られました。




(0にするといっても残念ながら0になろうと思っても0にはなれません。なぜなら無意識が常にそこにあり続けるから)



がんばらないことも選択できるし、がんばることも選択できる。




そんなことは些細なところですが、




自由の概念を超えた真の自由の境地から上達を考えることができる道が見えました。




どんなものに対しても関係性をより深くでき、その輪をひろげられる。




かつ「安心して無限上達できる道」といえます。




いつか、自分も人も傷つけて、蓋をしていた思いが救われました。




そのうちこのモデルを通して教育モデルを構築していくことは明確にありますが、



自分のセミナーでこの形をやるかはわかりません。



なぜなら段階がかなりあるし、中途半端に伝えるのは無理なんだよなー。



だけど、そこに思い悩むこともなくなりました。



その道も安心して上達していけばいい!という確信があるから。




お会いする皆さま、今後ともよろしくお願いします!