最近また宗教のことが色々話題になってて、高校時代に読んであまりの内容にとにかく衝撃を受けた、遠藤周作さんの「沈黙」、久々に読むと全然違うのが意外で、もちろん全体の展開はある程度分かっての再読だからってのもありますけど、自分が歳をとって感受性が鈍くなったのか、少しは多面的に考えられる様になったのか。


キリスト教が厳禁になり信者達が幕府から苛烈極まる方法で棄教を迫られ、苦悶し死んでいく様は極限の状況で、それが伝わっているにも関わらずポルトガル本国から若い宣教師達を派遣してくる、何の防衛手段も与えないそのキリスト教本部の無為無策な考えもよく分からないし。


以前は貧しい農民の信徒達を責めたてる幕府や役人達が悪魔そのものの様に思えましたけれども、全く自分達になかった宗教が広がっていくのをただ放置する訳にいかないのは為政者としてまぁなくはないかなと思うし、天草の乱とかありましたし。


そして、今回特に思ったのは宗教の怖さ、命というこれ以上ないものを失おうとしても教えを守ることに拘泥したり、殉教をひたすら輝かしいものと思ってしまう、思ってしまっていたのも悪いけど視野狭窄でマインドコントロールかなぁと思う、結局最後のイエス・キリストからのメッセージも、これで得心する人はどれくらいいるんだろ、この宣教師の独りよがりな思い込みとも言えそう、宗教の怖さって意味では90年代に事件を起こした宗教団体を思い出しました。


大傑作だと思いますけど、ある1人の人物から捉えた、ひたすら一面的な物の見方で綴られた物語かなと思うし、これを読むと神はあくまで各個人の内的な哲学世界のものでしかないのかなとか、思ってしまいました。