今日はハロウィン。

一体、いつからこのお祭りは日本で市民権を得たのだろうか。

 


私は中部地方にある某県の山の奥の奥の奥の出身だが、子どもの頃にお菓子がもらえる行事といったら、節分の豆まきか、近所のお寺でやっていた涅槃会(ねはんえ)ぐらいだった。

 

涅槃会とは、お釈迦様が亡くなった日に合わせて開催する行事なのだが、当日はお寺のお堂にお揃いのハッピを着た檀家の爺ちゃん達が集まって、カラフルな団子と一緒に大量のお菓子を撒いてくれたのだ。まさに子ども垂涎の大ボーナス行事。

 

※中学生の頃、あの団子は「お釈迦様のはなくそ団子」という名称なのだとクラスメイトが教えてくれた。そうとは知らず、お釈迦様のはなくそを食べたり、お守り袋に入れてランドセルに付けていたのだ。……ありがたや、ありがたや(笑)

 

 

そんな話はさておき。


私がハロウィンの存在を初めて知ったのは中学校の時の英語の教科書だった。


声の小さな英語の先生が「ジャァック・オ〜・ラァンタ~ン」と粘っこく発音したことと、「こんなに長い英単語は覚えられないからテストに出ませんように」と念じた記憶以外は、頭に何も残っていない。もちろん、仮装もしなけりゃ、お菓子も貰わず。

 

 

それからハロウィンのことはすっかり忘れており、再会したのは息子(コロ)の子育てが始まってからだ。

 

その頃には既に、ショッピングモールや商店街などでハロウィンのイベントが大盛り上がり。

お店にもハロウィングッズが山のように置かれていた。

 

コロが通っていた保育園がキリスト教系の保育園だったから、日曜日のお礼拝に参加していたのだけど、10月最後の日曜日にはドレス姿の子や流行りのアニメのコスプレをした園児が集まってきていた。お礼拝が終わったら、向かいの公園でお菓子の交換会をするのだ。

牧師先生は「ハロウィンはキリスト教の行事じゃないんですよ~。」と苦笑いしていたけれども。泣き笑い

 

コロもお菓子の交換会には入れてもらっていたから、コスプレ衣装こそ用意しなかったけれど、私もお菓子をどっさり買い込んで、小分けにして袋に入れ、ビニタイで留めたものを大量に作っていた。

 

その当時からコロは自閉症の特性丸出しだったけれど、お友達も快く仲間に入れてくれて、ママさん達も公園の井戸端会議に私を入れてくれて、本当に嬉しかった。

 

単純に、子ども達がキャアキャア言いながら、お菓子をいっぱい持って満面の笑みになっているのを見ると、何とも言えない幸福感があった。


今になって、涅槃会でお菓子を撒いていた爺ちゃん達の気持ちが凄くよく分かる。

 

 

コロが不登校になって引っ越したから、ハロウィンのお菓子交換会にも参加できなくなってしまって寂しい。それどころか、外出もしたがらなくなってしまい、ショッピングモールのハロウィンイベントにも参加できない状態だ。悲しい

 


今日、昼食時にバラエティー番組でハロウィンの様子が流れてきたのを見た時、あの頃の思い出が鮮明に蘇ってきた。

 

外に出なくたってハロウィンは出来るじゃん!!

コロの笑顔が見たいんだ、私は!!

 

急いで家にあるお菓子をかき集めて、可愛いビニール袋に入れ、金色のビニタイを巻く。


私は季節外れの麦わら帽子を被り、ゲームをするコロに近づいて「コロ~!!今日はハロウィンだよ!キラキラトリック・オア・トリートって言ってみ?」とハイテンションで声をかけてみた。

 

コロは画面から目を離すことなく「とりっくおあとりーと。イヒ」と抑揚のない小声を発したのみ。私からお菓子を奪い取るや否や、再び無表情でゲームの世界に戻ってしまった。

 

私のテンションは急降下。

……いいんだ、いいんだよ、キミは世間の行事に流されない子なんだよね。

そうでした、お母さんはすっかり忘れてたぜ。

さっさと仕事に戻るぜ。通常営業だぜ。

 


という訳で、我が家のハロウィンは10秒足らずで終了した。

 

寂しいなぁ、もう。悲しい

 

 


ちなみに、妹のハコは保育園でドラミちゃんの格好をさせてもらって、商店街のハロウィンイベントに参加したらしい。


園の連絡アプリに写真が載っていたので見てみたら、チビちゃん達がみんな笑顔でお菓子を貰っている中、ハコはそっくり返って先生に抱きかかえられていた。オエー

 


 

……我が家のハロウィン道は険しい。