息子は小学3年から完全不登校となり、ついに小学5年の生活が終わろうとしている。

 

先日、担任の先生から「支援級でお楽しみ会があるので、よかったら来てください」という連絡がきた。

息子は悩みに悩んだ末、母同伴という条件で参加を決め、前もって担任の先生に出席の旨を連絡したのであるが……。

 

当日、指定された時間に支援級のクラスに行ったらば、誰もいない。

ドアのところに「〇〇さんへ。校庭にいます」という張り紙がある。

 

仕方がないので「じゃあ、自分の机に座って待ってな」と言ったものの、どこを探しても息子の机と椅子がない。

「僕の机がないんだけど…」と息子も困惑している。

昨年度までは息子が登校しなくても、名前が書かれた椅子と机がみんなと同じように並べられていたのに。

 

嫌な予感がして、息子のランドセルを入れるロッカーを見たらば、クラスメイト全員分の”たんけんボード”がギュウギュウに詰め込まれていた。息子の机の引き出しは取り外され、教室の端で埃をかぶっていた。

 

怒りと悲しみと、この状況を信じたくない思いが錯綜して、私の頭が真っ白になる。

 

 

10分ほど教室の中で息子と一緒に立ち尽くしていたら、ようやく担任の先生とクラスメイトが帰ってきた。

ここで母が怒ったら、お楽しみ会が台無しになることぐらいは知っている。

務めて冷静に「机がなくて、本人も困惑していましたが……」と問うたところ。

 

先生はにこやかに、「ここにあるんですよ~」と言ってホワイトボードの裏側にあった机を指さした。

息子のものだという机は名前は剥がされ、印刷用の紙を置く場所になっていた。

そして、先生は元気に続けた。「大丈夫です!今日は机は使わないので!」

私は仕方なく「そうですよね、学校に来てないですもんね」と言ったが、先生は聞こえてないのか、聞こえてないふりをしているのか、無言のままだった。

 

……何が大丈夫なんだろうか。

……掃除のじゃまになるから撤去したんだろうか。

……息子はこのクラスに在籍してるんじゃないのか。存在まで消されたのか。

……これならいっそ、誘わない方が「やさしさ」と言えるんじゃないか。

心の中で私は、牛のようにとりとめもない反芻を続けていた。牛と違うのは、この反芻が何の養分にもならないことである。

 

息子はしばし、レクリエーションに参加していたが、それが終わると無表情で「帰る」と一言。

 

帰り際、サポートルームのK先生が「〇〇さん、久しぶり!お母さんも会えてうれしいです」と駆け寄って来てくださった。

K先生に息子の机も椅子も教室になかったことを伝えたら、眉間に皺を寄せた。K先生の目に少し涙が光っている。教員を定年退職した後も、熱い思いがあって崩壊しそうな日本の教育現場で奮闘してくださっているのだ。

 

K先生は「残酷です。あまりにも残酷。だって事前に連絡していたのでしょう?転校したわけじゃなし、ちゃんと在籍しているのに。悪気がないことが残酷よね。」と繰り返していた。

 

私にとっては、担任の先生の「大丈夫です」の方が絶望で、むしろK先生の「残酷」という言葉に救いを感じた。

 

この出来事は、母の私はいつまでも忘れられずに脳裏にこびりつくだろう。

もう1年あの小学校に所属していなければならない現実に、親子で打ちひしがれている。

 


 

息子の精神障害者手帳の期限が切れてから3ヶ月近くが経過している。

が、更新したはずの手帳は待てど暮らせど手元に届かない。

 

精神障害者手帳の申請は、はっきり言って全然優しくない。

有効期限は2年間。

自治体からは「そろそろ有効期限が切れますよ」などといったお知らせも来ないし、申請用紙も送られてこない。

なので、自分で有効期限を記憶しておき、役所に申請書類と診断書の用紙を取りに行かないといけないのだ。

かかりつけの精神科の医師に診断書を書いてもらうには、安くない費用を自己負担せねばならない。

しかも、申請期間は有効期限前の2ヶ月間に限定される。

 

これ、当事者の一人暮らしの方にはもの凄く高いハードルじゃなかろうか。平日に働いている方なら尚更だ。

 

忘れもしない、今年の夏。

夫が単身赴任だったからワンオペで死にそうになりながらも、酷暑の中チャリで往復30分以上かかる役所に赴いて申請に必要な書類を受け取り、電車を乗り継いで主治医に診断書作成を依頼し、作成料を支払い、自分でも書類を書き、電車を乗り継いで診断書を受け取りに行き、息子の証明写真を撮影&現像を済ませ、書類を全て揃えて再び役所に行って……有効期限が切れる1ヶ月以上前に更新の申請をしたにも関わらず!!!!まだ手元に新しい手帳は届いていないのだ。(息切れ)

 

比較して、運転免許の場合はどうだろう。

有効期限は一般で3年、ゴールドなら5年。

ご丁寧に有効期限が切れる前に、自宅に案内が届く。

写真はよほどこだわりがなければ、免許センターで撮影してくれる。

免許は即日、その場で発行される。

 

何だか、手続きのレベルが桁違いではないか?

障害者はそれぞれハンディキャップを抱えているのに、どうしてここまで不親切な構造になっているのか。

もはや申請を諦めさせるために、わざとハードルを物凄く高くしてるんじゃないかとすら思えてくる。

 

正当な手順で運転免許の更新手続きをしたにも関わらず、有効期限が切れた後3ヶ月間も免許が発行されなかったら、社会的に大問題になるはずなのに。何で障害者手帳は「発行手続きに時間がかかります」という意味不明な説明が平気でまかり通る環境になっているのか。

 

 

特に年末になると、有効期限内の障害者手帳がないと不都合が生じるケースが結構ある。

 

まず、夫の年末調整。会社の人から「年内にお子さんの障害者手帳の確認をさせて」と言われていると夫からの催促。

いくら催促されたからって、来てないものは出せないのだ。

 

それから、娘の保育園の次年度の在籍申請。母は就労と介護のダブルで申請しているのだが、介護申請には書類の他に障害者手帳のコピーが必要になる。どんなに他の書類が揃っていても、提出することができない。

 

あとは、ミライロIDのアプリ。公共施設などを利用する際に障害者手帳の原本の代わりになってくれる大変ありがたいツールなのだが、有効期限が切れているから、アプリを開いても「有効期限が切れています。新しい手帳を登録してください」という表示が出るのみ。機能してくれないのだ。(※写真参照)

 

 

 

……もう我慢の限界なので、役所に電話したらば。

「お手元に届くのは早くて12月の3週目、もしかしたら4週目になるかもしれません」という返事だった。

24か月間しか有効じゃない手帳が3ヶ月も来ないってどういうことなんだ。

4週目に届いたとしたら、最悪の場合は会社も年末年始休暇に入ってしまうではないか。

 

障害者手帳を所持する人の数が少ないから、困る人の数も少ない。だから、後回しにされてしまう。

私の「困っています。どうすればいいですか」という声だって、「催促するおばさんがいた」で終了してしまう。

ちなみに、「どうすればいいですか」の問い対して「届くまで待ってください」以外の答えはない。

 

そうやって少数派が我慢を強いられるのが当たり前の環境は何も変わらない。

1人で私は猛烈に腹を立てている。そして、怒りながら悔し涙を流している。

 

 

 

2か月後には4歳になる娘の七五三をようやく済ませた。

 

七五三といえば、息子の七五三の時に受けた心の傷がある。

とある神社で御祈祷を受けたのだが、神主さんから「お子さんとお父さんはご神殿の方へ。お母さんは荷物を持って後ろに座っていてください」と言われて、悲しくて悔しくて、お祝いの日なのに涙が出そうだった。

離れた所で息子と夫が御祈祷してもらっているのを見ながら、「家族なのに私は荷物係なんだろうか。同じ場にもいられないって何だろう……いやお祝いだから、そんなこと思わずにポジティブになろう……いやでもなぁ……死ぬ気で産んだんだけどなぁ……」などと、とめどなく湧き上がる黒い気持ちと必死に戦っていたのだ。

そんな暗い記憶があるから、私は神社に良いイメージを持てないまま、ここまで来てしまった。

 

 

だけど、そんな親の記憶のせいで娘の七五三をやらない訳にはいかない。

息子の時にはできなかった写真館の写真撮影にも挑戦するんだ。

神社だって、日本にはたくさんある。母も参列させてくれる神社もあるかもしれないではないか。

 

 

そんな訳で、気を取り直して写真館を予約し、娘の着物とドレスの写真を撮影してもらったのだが。

娘はものの見事に一切笑わなかった。

1時間もの間、大人たちが寄ってたかって笑顔を引き出そうと努力すればするほど、表情をこわばらせていく娘。

結局、声すら全く発さないまま、あえなく撮影終了。

 

写真撮影の後に、回転寿司を食べると知るや否や、娘は光の速さで通常モードに逆戻りだ。

「おしゅし、たべよぉぉぉねぇぇぇ!!」などと、道行く人々に我々の次の予定を知られてしまう大声を出しながら闊歩するのであった。そして、びっくりする位によく食べた。

 

 

後日、写真館の方が100カット以上撮影してくれたデータを確認したが、どれもこれも無表情。

だがしかし、これは誰も悪くない。

これが今の我々の精一杯だ。娘もよく頑張った。

 

 

 

その数週間後、御祈祷を受けるべく、息子の時とは違う神社へ電車で向かう。

 

娘には夫の親戚から譲ってもらったお下がりのワンピースを着せた。

彼女はちょっとでも機嫌を損ねると泣く・わめく・床に寝転がるなどの行動に出るため油断ならない。

着物をレンタルしたとて、道中で騒いで着崩れたら、不器用な私は立て直しができないのだ。

 

案の定、電車の中でも神社の控室でも、娘は「おうちに帰りたいんだよぉぉ!!」と大暴れ。

ワンピースはめくれ上がり、せっかくの白い靴下はあっという間に汚れた。

 

よそのお宅の3歳の娘さんはきちんとお着物を着こなして、中には日本髪を結っている子もいる。

もはや「個人差です」という言葉では片付けられない何かを感じずにはいられなかった母である。

 

今回御祈祷を受ける神社は、季節柄なのか七五三と赤ちゃんのお宮参りの受付を同時に行っており、控室には首がすわってない赤ちゃんの方が多くて、「無事に生まれたねぇ」という平和なムードが充満しており、こちらもすっかり幸せな気分になった。

 

いよいよ御祈祷の準備が整い、拝殿へ。

 

巫女さんが私に幣串(へいぐし)という御祈祷に使う木を私に手渡しながら「お子さんを先頭に、ご家族様も続いてお入りください」と言ってくださった。

もはや「お母さんは荷物を持って後ろへ」と言われないだけで、じんわり嬉しい気持ちになる。

 

神主さんがニコニコとお出ましになられて、「今日はようこそお越しくださいました。赤ちゃんが泣かれた場合は、立ってあやしていただいても結構でございます。または、その場でどうぞ存分にお泣きくださいませ。」という優しくてゆっくりとした声が響くと、拝殿の雰囲気はほのぼのした柔らかい雰囲気になった。

 

御祈祷の間、私は「神様、私も仲間に入れてくださってありがとうございます。子ども達をよろしくお願いいたします」と心の中で繰り返したのだった。

 

 

息子が学校に行かなくなり、デイサービスにも行かなくなり、平日は息子と共に家の中でひっそりと暮らしている。

親子で世間から外れてしまった感じ。誰からも相手にしてもらえない感じ。どこにも入れない感じ。

気にしないようにしてきたけれど、そんな気持ちを無視しても振り払っても、消えることはなくて、私の心をじわじわ蝕んでいたのだ。

 

この神社では、娘がひっくり返ろうが、息子が障害者で不登校だろうが、ダメな母親であろうが、一緒に御祈祷を受けさせてもらえたことが本当に嬉しかった。

 

私は、本当は仲間に入れて欲しかったのだと思う。

いつも疎外感と後ろめたさの塊を抱えて生きてきた私にとって、心の傷に柔らかい布で包んでもらえるような気持になれた出来事だった。

 

 

……帰り道に立ち寄ったファミレスでは、またまた娘がビックリするような量を食べた。

どうか健やかに育ちますように。

 

 

 

 

今年の8月で息子が11歳になった。

彼を出産した時、11年後のことまで想像することはできなかったが、少なくとも発達障害があり、おまけに不登校になるという未来は全くの想定外だった。

 

ドリームズカムトゥルーの「未来予想図Ⅱ」のように、思った通りに叶えられていくとは限らないのだなぁ……とボンヤリとするが、息子も私も決して楽ではない環境を11年間を生き延びてきたということに対しては、素直に喜びたい。

 

誕生日ケーキは相変わらずスーパーで売られているヤマザキパンの2個入りのチョコケーキで祝った。誰が何と言おうと彼の中ではヤマザキのケーキは世界で一番おいしいチョコレートケーキとして認定されており、それじゃなきゃダメなのだ。たかが市販のケーキなのだが、真夏に手に入れるのは至難の業で、汗だくでスーパーやらコンビニを5軒ハシゴしてどうにか購入した。

 

 

前置きが長くなってしまったが、11歳の誕生日を過ぎて、すっかり忘れていた予防接種の予診票が郵送されてきた。DT(二種混合)の追加接種である。

 

何年か前にこのブログで書いた”耳が遠いのに、注射を1秒で済ませるおじいちゃん先生”が診てくれる小児科がついに閉院してしまったので、前回とは別の小児科に行かねばならない。

 

ああ、面倒だ。

環境の変化が苦手で、痛みに弱い息子。

痛みがゼロ、器具もちいかわぐらいに見た目がゆるいものを使用した接種方法が早く開発されてほしいが、数年以内に実現するのは難しいだろう。

 

世の中に色んな意見はあろうが、息子の命を守るためにも定期接種は受けさせたい。

 

そんなわけで、息子の「とにかく理屈っぽい」という特性に賭けて、ジフテリアと破傷風がどんなに恐ろしい病気かということを予診票にくっついてきた紙をもとに説明してみた。

 

息子は「うーん……でも怖いし、痛いんだよなぁ……」などとしばし考えあぐねていたが、目を赤くしながら「でも息ができなくなったり、死ぬのは嫌なんだよ。嫌だけど受けるよ……」と涙を拭いていた。

 

他人に興味がない彼が母の説明に納得してくれるだなんて、もはやスロットで777が揃うぐらいに大大大フィーバーなので、母としては赤飯を用意して紙吹雪をファサファサと撒きたいぐらいに喜ばしいことなのだが、息子は母が大げさに喜ぶことを歓迎しないどころか、むしろ嫌悪している。

 

最近、どういう訳か「褒められると嫌な気持ちになるんだよ」と不機嫌になることがある。思春期の入り口なのか、はたまた「母が喜ぶのにはなにか裏がある」という勘が働くのかは分からないのだが、息子には淡々と接するのが吉と思って接するようにしているのだ。(一方で3歳の娘は大げさに褒めてほしいタイプなのでややこしい)

 

不安が必要以上に大きくなりやすい息子のために、児童精神科でパニック時に備えて頓服の薬を処方してもらってから、小児科に予防接種の予約を入れた。

 

 

当日、頓服の薬を飲ませたのが功を奏したのか、息子は「ハコちゃん(妹)に足を踏まれるより痛くないよね?」と聞きながらも、比較的落ち着いて待つことができた。

 

小児科の先生にASDの診断が出ていることと頓服薬を飲ませていることを伝えたら、問題ないとのこと。

しかも、先生は「えらいね。よく頑張って来たね。すぐに終わるからね~」と息子に優しく声をかけてくれたのが、涙が出るぐらいに嬉しかった。

 

私が息子に「針見てたら怖いから、お母さんの方を向いてな」と言ったらば、「いや、怖いけど針は見てる」などと反論していた。

 

そのやり取りを笑顔で聞きながら、サッと注射をしてくれた先生には私だけが見える後光が差していた。手を合わせて拝みたいのを堪えて、何度もお礼を言って診察室を出た。

 

息子は得意げに口角をちょっと上げて「全然大丈夫だった!」と一言。

すかさず万歳三唱をしたくなったが、またまた気持ちを押し殺して「偉いや~ん!」と満面の笑みを返しておいた。

 

受付のベテランのスタッフさんが母子手帳を返却する時に「はい、これで定期接種は全部おしまいです。お母さん、長い間お疲れ様でしたね~」と言葉を掛けてくれた時も、その場でオイオイ泣いてしまいそうな勢いだったが、グッとこらえて「はい、ようやくです!お世話になりました!!」と深々と頭を下げて家路についた。

 

 

リアルではあらゆる感情を我慢して淡々と予防接種を終えたので、このブログではやたらにテンションが高いのはご了承いただきたい。

 

相変わらず学校にも行かず、来月の5年生全体で行われる宿泊学習も欠席を決めた。

どうにもこうにも日本の義務教育には乗っかれない息子が、予防接種が受けられたことは奇跡だと思う今日この頃である。


11年間、予防接種お疲れ様。

 

 

※2025年3月に書きかけを放置していたものが発掘されたので、備忘録としてアップします。

 

我が家の息子コロ(10歳、ASD、不登校中)の頭皮が脂漏性皮膚炎になってしまった。

 

一見すると何も無いように見えるのだが、髪の毛を少しめくるとビッシリと鱗のような黄色い塊が無数にこびりついている。

 

気持ち悪い過ぎて書くのも嫌なのだが、髪の毛と頭皮に白くて小さいイモムシがひしめき合っているようにしか見えないという有様だ。もしここに実際の写真を載せたら、アカウントの凍結を食らうレベルである。

 

梳き櫛で取ろうとしたが、無理だった。

そこでコロにタブレット端末と菓子を与え、大人しくさせてから指で取ってみたものの、こびりついている塊の量が多すぎて話にならない。

 

実はコロ、赤ん坊の頃に脂漏性皮膚炎になったことがあるから、恐らく体質なのだろう。

 

今回は私の手に負えないレベルだと察し、この周辺に一軒しかない皮膚科にコロを連れて行くことにした。ついでにコロの化膿した巻爪も診てもらうことにしよう。

 

皮膚科はおじいちゃん先生が1人で診療しているので、待ち時間が超絶に長い。

今回も1時間以上待つことになった。

 

コロは私のお下がりのスマホで遊びながら静かに待っていたが、いざ自分の名前が呼ばれると恐怖がマックスになってしまったようで、先生や看護師さんがちょっと触るだけで「嫌だぁぁ!!」という悲鳴を連発。

 

おじいちゃん先生はカチンときたらしく、なかなかにご乱心の様子である。

 

以下、おじいちゃん先生の口調をそのまま書くと、こんな感じだ。

「それぐらいでギャアギャア騒ぐな!何もしてないやないか!!」

 

看護師さんから巻き爪の化膿した部分に薬を塗って貰っている間も、泣くコロを見ながら「何も痛いことない!幼稚園の子でも泣かん!!」とご立腹であった。

 

母の私にも、おじいちゃん先生は容赦なし。

「化膿止めとかゆみ止めの飲み薬出しておくから。錠剤は飲める?」
 

顔面蒼白になりながら私がやっと発した「いや、この子はまだ一度も飲んだことがなくて……。」という言葉が先生のイライラの火にガソリンを吹きかけてしまったようだ。

 

「あぁん?!大人になったら、全部錠剤やぞ!」

「米粒が飲み込めたらいける!」

「気合いで飲め!!」

 

じゃあ何で聞いたんだよ……という言葉が出せるハズもなく、「はい……」と気弱な返事しかできないチキンな母である。

 

おじいちゃん先生は「もう、ギャアギャア騒ぐな!嫌われてしまうぞ!」と捨て台詞。

 

ああ、問診票に自閉症のことを書かなかったなぁと反省しながらも、「すみません、この子自閉症で人一倍怖がりなもので……。」と言い訳してみるが。

 

先生は溜息をついて「それでも、もうお兄ちゃんなんやから、出来るやろ。」と呆れていた。

 

 

 

 

皮膚科の帰り、調剤薬局では薬剤師さんに案の定「今まで錠剤出たことないですよね?大丈夫ですか?」と聞かれてしまった。

私が「先生に気合で飲めと言われてまして……」と返事をしたら、薬剤師さんも「あらあら」と苦笑いである。

 

 

昼食後、コロは錠剤に初挑戦。

 

まずはYouTubeで、どこかの保健所が作成してくれた「子どもの錠剤の飲ませ方」という動画をコロと視聴することに。

 

方法は至ってシンプルだ。

 

1.最初に少量の水で口の中を湿らせておく。

(錠剤が口に張り付くのを防ぐため)

 

2.舌の奥に錠剤を置く。

 

3.水で飲み込む。

 

以上!!

そうよね、特にコツとかはないよね……。

最初の1個目が一番怖いんだよなぁ…と自分が小学生の時に初めて錠剤を飲んだ時をぼんやりと思い出していた。

 

 

おじいちゃん先生が処方してくれた錠剤は本当にサイズが小さくて、私が普段飲んでいるアレグラの3分の1ぐらいの大きさだった。

 

初めておじいちゃん先生の優しさに触れた(気がした)瞬間である。

 

 

コロは動画のお手本通りに、どうにか錠剤を飲むことができた。

「前の学校の、給食を無理やりお茶で飲み込むのを思い出したよ!!」

と、満面の笑みである。

 

給食のトラウマがこんなところに活かされるだなんて夢にも思わなかったが、怪我の功名といえるだろう。

 

そんな訳で、24時間オムツも取れず学校にも全く行っていないコロだが、錠剤だけは克服できたようだ。

 

 

多数派の子育ての手法が通用しないことは百も承知なので、少しずつ自分のペースで「この世界のあれこれ」に慣れていってほしいと願う母なのだった。