我が家のボロ賃貸の一室からは、保育園の園庭がよく見える。


ついでに言うと、非常階段からは中学校のグラウンドがよく見える。



私は現在、無職のオバハンなので、今年の秋は中学校の体育祭と保育園の運動会の練習&本番をチラ見して、よそ様のお子さんの成長に密かに涙する日々を送っている。



ウチの近所にあるA中学校は、噂によると、公立学校なのに有名高校に進学する優秀な生徒を多数輩出する、いわゆる地元の[公立御三家]と呼ばれる中学であるらしい。(人という生き物は、傍から見たらどうでもいい三大○○とか○○百選という言葉がやたらに好きな気がする。)

ちなみに、A中には特別支援学級は設置されていない。


なので、小学校で支援級通いの息子コロは、どんなに近所だからと言っても、A中に入学することはできないのだ。

※この地域独自のルールなので、お気になさらず。



それはさておき、さすがは御三家の体育祭、生徒はヤル気に満ち溢れていて、規律正しく、ビシッと揃ったソーラン節は超絶に格好良い。

最後に全員で「ありがとうございましたっ!!」と大きな声で一糸乱れぬお辞儀をしているのを見ると、アカの他人のオバハンの涙腺もゆるむというものだ。



一方で、「ああ、コロはここには入れないのよね…。入ったとしてもコロが辛いよね…」という一抹の寂しさが、秋風と共に私の心にビュウっと吹き込んでくるのも事実である。


見終わった後、密かに涙をティッシュで拭きながら、渋茶とカントリーマアムで寂しさをゴックンしているオバハンがいるだなんてA中の生徒は夢にも思うまい。


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そして保育園の運動会。

コロが卒園した保育園とは全然別の保育園なのだが、低く見積もっても自分の息子の運動会の5倍は泣けた。

※我が子のように責任を負う必要もなく、孫を見るような目線になるからだろうか。



保育園は多様性の塊だ。

なぜなら選考方法が「親がどれくらいの時間働いているか」だけだから、色んな子が入園してくる。


必然的に、発達の早い子も遅い子も、障害の有無も関係なく多様な子供が同じクラスにいる環境になるのだ。


だから、保育士さんはそれぞれの子に合わせて細やかな配慮をしながら、子どもたちの生活を見守っている。もちろん運動会も例外ではない。



4歳児ぐらいのかけっこは、園児が頑張って走ると、ゴールで待っている親御さんが抱っこするというものだった。


もちろん、パパ・ママめがけてバーっとゴールまで走っていく子もいるけれど、発達のスピードによっては、ゴールまで辿り着けない子も勿論いる。

そんな場合は、保育士さんが保護者に促して、ママがお子さんを目指して走り、抱っこした地点がゴールという子もいた。


ママの立場だったら「何でウチの子だけ走れないんだろ…」という気持ちになったかもしれないけれど(私も親ならそうなっていたと思う)、孫を見るような目線のオバハンの私からしたら、「4歳の子のゴールなんて、同じじゃなくてええんやで…。」と涙が出てしまうのだ。



年長さんの種目では、フラフープ・なわとび・ボールのチームに分かれて、それぞれ技を披露するというものがあった。


その子がやれそうな道具が選べるのも凄く良いアイディアだし、保育士さんの知恵と配慮がたっぷり込められた素敵なプログラムだ。


最後は担任の先生の「とくいわざ!!」という掛け声と笛に合わせて、その子が出来るベストの技を一生懸命に披露しているのを見て、私の涙腺はついに崩壊。


もう、オバハンはみんなに金メダルを差し上げたいわよ…ヨヨヨ。(←完全に怪しい人)



多様性の塊の保育園の運動会に感動した後、ほとばしる涙と鼻水をティッシュで拭きながら、ばかうけ煎餅をバリバリと喰らう土曜日のひとときだった。