今年の衝撃、八戸市美術館「八戸アートファーム」へ行ったこと。
そこで、きたむらとしろうじんじんさんを見たこと。
ボード前にじんじんさんご本人 ↓
この秋に行う野点のボランティアさんを募集しているところ。
じんじんさんのプロジェクトは
①参加者みんなと、事前にあちこち散歩しながら野点の場所を探す
②参加者に、じんじんさんの作った素焼きのお茶碗を売る
③素焼き茶碗を買ったヒトはそれに好きな柄をつける
④じんじんさんがその茶碗を炉に入れて焼き付ける
⑤焼き付け終わったその茶碗を使ってお茶をたてる ← 野点
この長いプロセスがすべてアートプロジェクトなんですわ~
八戸市美術館にはそのプロジェクトに参加したヒトたちのお茶碗が展示されていたんだけれども、これって誰の作品なのかしらん?
茶碗売買しているので、その茶碗は買ったヒトのものですよね?
でもプロジェクトを率いているのはじんじんさんだから、結果はじんじんさんのモノかしらん?
お金が潤沢にあるなら、茶碗は売らないで、描きたいヒトにただ描いてもらえばいいんだけれども、お金が無い場合はそれじゃアーティストの持ち出しになってしまう。
体験型アートって流行だけれども、なかなかツライアイデアな気がする。
ベネッセ直島の家プロジェクトでの「角屋」、宮島達男さんがアレンジした数字が点滅する直島住民アートのようにできるなら、それが一番いいに決まっている、みんなの思い出プロジェクト。
住民がセッティングしたカウンターを展示して宮島さんの作品にする・・・カウンターは売らないから、これはできる。
でも有名アーティスト以外は本当に大変なはず。
じんじんさんは陶芸に戻るのか、それとも、このままヒトとの対話型アートを続けるのか・・・
アートというのは結果なのか、経過なのか・・・