アッシェンバッハの彼岸から -74ページ目

ロストイントランスレーションズ

(BGM:憂鬱レベルにも何段階かあって。いまはもう英国の田舎、フェアリーの国へ旅立ちたいんです)
Vashti Bunyan
Just Another Diamond Day



きのうのこと。

23時半過ぎのオフィスで、大変なことに気がついた。



「今日はキシダの誕生日だった。」



我ながら信じられなかった。

なんてこと?!

5年もいっしょにいるパートナーの誕生日を、日付が変わる30分前までまったく忘れていようとは。


すぐさまPCを閉じて駅まで走ったけれど、おめでとうをいえたのは日付が変わったあとだった。

人間失格にもほどがある。


落ち込んだ。今年いちばんヘコんだ。これはしばらく立ち直れそうにない。


振り返れば前の晩、12時を回った頃もわたしはパソコンに向かって仕事をしていた。

そのとき彼は隣の居間のソファで黙って本をめくっていた。

だけど、いそがしい、とゆうのは世界でいちばんみっともない言い訳なんだった。


先週後半から今週明けにかけて、超大作映画のせいで駈けずり回っていた。

なぜなら、ものすごく儲かる映画に関する仕事は、こちらの儲けにとっても重要、ということになるから。


偽者の感情を作り出す大仰な音楽、耳がおかしくなりそうな爆音、

感情を後ろに置いてくしかないほど速い画面展開。

音量も速度も照度も大きさも情報量も、なにもかもがわたしの限界を超えている!

お金儲けのための「映画」にまつわるものは、何もかもが宣伝、宣伝、宣伝である。

それにしても、これらに群がる人々の多いこと。

みんな、なんでそんなに刺激に飢えてるの?

日常生活は、そんなにも退屈なの?宣伝してればなんでもいいの?


一切合財が堪らなくなった。

わたしは携帯電話の電源を切って、パークハイアット東京を飛び出した。

今日の仕事はいっさい放棄してやる。と息巻きながら。

ハリウッド映画なんて、やっぱり大嫌いだ。

巨大な暇つぶしのために大金が動く、こんな世の中が大嫌いだ。

そんなものに狂喜乱舞する大衆も嫌いだ。

感情の鈍磨した大衆の暇つぶしのために偶像となって祭り上げられる人がいたり、

その虚構のために大勢の生身の人間が振り回されるなんて、どこか間違ってる。

わたしは、わたしとゆう1個のちいさな個人は、これまでと同じように、

このちいさな部屋で、窓から差し込む日差しのなかで、静かな夜のなかで、

日に数十回の絶望と、その倍ほどの回数の幸福を感じながら、

溜息ついたり笑ったりしながら生きているのが、なによりも仕合せなのだ。

歩く速度で生きて行くこと以上に、大切なことなんてあるだろうか。

虚構の英雄や成功や勝利なんて必要ない。

それよりももっとずっとわたしの心を動かすものが、日常のなかには無数にある。

にせものの夢を見ている暇なんてない。そんなものは必要でもない。


さんざ八つ当たりしたけれど。

最もわたしを立ち直れなくさせているものが何かといえば、

それは、そんな虚構のために、大切な現実が見えなくなってた自分のダメさ。


ていうかキシダ、おまえもちょっとくらい自分からアピールしろよーー!

って、悪いのは全面的にわたしですけれど。