アッシェンバッハの彼岸から -73ページ目

スウェーデンの唄

(BGM:なにをいってるのか、なにひとつ判らない。それがこのうえなくここちよい)
Bo Kaspers Orkester
I Centrum


なんの予定もない週末がとてつもない贅沢に思えるようになったのは、いつのころからだろう。

年なんだろうか。それとも単におつかれさまなのだろうか。

それにしてもこんな晴れた初夏の休日に、

表に出ないことに、一抹の罪悪感も感じつつ、

日がなソファに寝そべって、本を読むことの贅沢。

休みだから出かけなきゃ!なにかしなきゃ!でなく、

ただただ時間の流れるにまかせることって、そうできることではない。

きょうは「~しなきゃ」から徹底的に開放されてやろう。

時計見るのもやめよっと、と思ったらひとりでにやにやしてしまう。

何の必然性もなく、何も成さない1日。なんて贅沢なんだろう。


午後じゅう、赤いソファに寝そべって本を読む。

眠たくなったらうつらうつらして、目覚めたら続きを読んで。

気が向いたら薬缶を火にかけて、豆を挽いて、珈琲いれたらレコードを選ぶ。


スウェーデンの唄は、なにをいってるのかさっぱりわからん。

ただのひとこともわからん。

”Fyrarättersmål”なんて曲名、どう読んだらいいのかもわからん。

そもそもブーカスペルズオルケステルは、

ジャズの人なのかポップの人らなのかもわからん。

わかんなくてもいいや。ジャジーでポップだからすきなので。

唄がことばの意味から開放されて、ひとつのサウンドとして耳に届くのは、

想像力を自由にしてくれるから心地いい。

わたしが日本語の唄をすきでない理由はたくさんあるけれど、

音と、ことばと、意味がいっぺんに耳に届くのが苦しくなるのだ。情報過多で。

しかし、ここまで意味のわからない言語がこの世にはあって

計り知れないほどいっぱいある言語のなかで、わたしはただひとつ、日本語しかわからないわけだ。

”Fyrarättersmål”の国のひとも、恋愛したり、唄をうたったりするのに。


日が落ちてきたら、お腹が空いてきた。

立ち上がって冷蔵庫を開ける。茄子、キャベツ、赤ピーマン。

テーブルに取り出しながら、夕飯のメニューを考える。

夜はなんの映画を観ようか。映画なんか観る前に寝てしまうのかな。