またもやとっても久しぶりなブログになってるのは、
1年半前から精神科に通ってそこで自分語りを定期的にしているからなんじゃないかとふと今思ったり。
さて、旦那に「別れよう、離婚して別居して共同親権で。お互い弁護士見つけてルールは家庭裁判所で」と急に切り出されて約2年が経ったわけだが、
まぁまぁ地獄だった。
最初は理解不能、からの焦り、からの絶望、怒り、後悔、からの鬱、大腸炎、等々の体調不良・・・
色々目まぐるしく感情も状況も変わってきた2年だったが、いくつかの物事がそれらの方向性を定めてきたように思える。
うちひとつが、YouTubeで見た、イギリスで初めて元妻がDV加害で実刑を受けた男性についてのドキュメンタリー。
(鬱になってからもっぱら連続殺人犯のドキュメンタリーとかそういう系の動画ばっかり見ていたが、そこからお勧めにできていた動画。なんとなく視聴してみる。)
とても優しそうな男が、付き合った女性に次第に友人や家族から孤立され、精神的にコントロールされ、身体的にも暴力を振るわれ、何度も入院し、勇気を出して通報し、ようやく解放されるまでの話。
特に何も考えず見ていたのだが、最後の方で心臓がドキッとするシーンがあった。
男性が、「よく、なんでもっと早くに逃げなかったのかって聞かれるんです」と語っていた。(以下うろ覚え)
「当時、僕には逃げるなんて選択肢はなかったんです。」
「とにかく、何をするにも言うにも、全て、彼女の機嫌が悪くならないようにするにはどうしたらいいだろう、とばかり考えてました。」
「逃げようなんて思う余裕は一切なく、彼女が怒らないようにとひたすら怯えながら生活してたんです。」
こ、これ、聞きおぼえがある・・・
旦那が私に言ってた事や!
そう思った時の衝撃。
もちろん、私は旦那にDVをしていたとは思っていない。
暴力をふるうなんてもちろん、孤立させたこともないし、むしろ旦那も好きな時に友達とかと飲みに行ってたし義実家にもひきつった笑顔で何回も行ったし。
でも、旦那は、私が怒りすぎると言っていた。
それがしんどいと言っていた。
家に帰りたくないと思うくらい、嫌になったと。
だからもう〇〇(私)には謝らないし、感謝の気持ちもないし、〇〇のせいで僕は自尊心も失ったし、このまま一緒に生活していたら僕はストレスで癌になって死ぬから、別れる。
そう言っていた。
(私がストレスで大腸炎になった後に言われたから(なに妄想で病気になってんねんこっちはガチであんたのせいで胃腸が壊れてんねん)と腹が立った記憶があるが)
正直、私はその時まで、
彼が『6年前に〇〇(私)がこう言った時も~』なんて話をするもんだから、
『いつの話やねん、そん時指摘してくれたら反省したかもしれへんけどそんなん覚えてへんわ!!』
となかなか聞く耳を持てていなかった。
旦那が私の何が離婚するほど気に入らないのか理解しようとして、腹が立ち、
旦那に優しくするために頑張ろうとしたものの、なかなか旦那の言う事を受け入れられていなかった。
それが、旦那がDV被害者と同じことを感じていたと気づいた瞬間。
私の嫌な所を理解しようとする努力は、今は、いらんのや、と思えた。
大事なのは、旦那は、この男性と同じような事を感じていたという事実。
そう思うと・・・旦那が哀れになり・・・
私のどこが間違っててん、じゃなくて、
旦那がビクビクしながら生活をしていて、私がそれに貢献していたという事実を受け入れるのがまず優先だ、と思えた。
まず、これを自覚するんや、と。
だから、このドキュメンタリーは大きな起点になった。
復縁の。
(…あれほど離婚離婚言ってた旦那だが離婚はもういいらしい。そうですか。私の鬱も返品可能でしょうか。)
まぁ、旦那は
「これから僕は努力は一切しない。僕はただ別れたい、それだけや」
と言っていたから、そこから
「離婚?もうええでそんなん。」
って言われる状況に持ってこれたのは、我ながらすごいと思う。
(旦那にDV被害者の思いをさせた時点でなんも自慢できないのだが)
そして、その方向に持って行く第一歩となったのが、この自覚だったなぁと今は思う。
ちなみに、自分は未だに過去の自分が間違っていたとは思えない
ただ、『離婚は回避する』と、それだけを目的に行動した中で、避けるための重要な構えを見つけられた。
2年間、まぁまぁ地獄だったが、その中で自分は少し成長できたんだと思う。