1日。兄ちゃん宅で年を迎えた私は、ノーブランド主義なはずなのに、横浜アウトレットパークでノリでコーチの財布とキーケースを買ってしまったwww
でもしっかり気に入ってます♪今使ってる財布5年近く使ってたから、新年、そして新社会人を迎えるにあたって良かったかも(^o^)

良かった良かった
今年は、何かとっても濃い1年だったよ。
去年の年末に彼氏が出来て、恋愛向きの性格、考え方じゃない私はそれにとても苦しんで

楽しいこともあったけど、結局自分の中に残るのは「好きってなんだろう」で

結局、1年も経たずに別れたんですけど


何よりも大きなことは、目標であったアニメ制作会社に受かったことです



高校を卒業して、上京し3年制のデザインの学校へ通い、卒業後はデザイナーとして1年間働きました。
でも、デザイナーをしていて・・というか実際にはデザインの学校に通っていたころからなんですけど、デザインに違和感を覚えていて、正直、デザインの世界に嫌気がさしていたというか、どうでも良くなっていたというか。
「今自分のするべきことはデザインじゃない」
「人に伝える仕事をしよう。アニメを作ろう。」
そう思い、とりあえず絵は描けるんで美術大学に3年次編入しました。
「この2年間でアニメへの情熱が薄れなければ、きっとこの気持ちは本物だから、アニメ業界を目指そう」
結果、薄まるどころか、美大に入って、何か凄い業界の人といろいろ知り合いになれて、日に日にアニメへの気持ちは強まり、無事、自信を持ってアニメ制作会社から内定を貰えました

高校を卒業して6年、ようやく見つけた夢、ようやく掴んだ目標です

来年は、ついに私も業界人

どんな出会いが待ってるのかな
楽しみだよ

そのためにも、出来るだけ長く長く、この身体で生きていけますように

2012年の最後に、悲しい出来事もありましたが、最後の最後、29日に兄ちゃんの子どもが産まれました
可愛すぎてやばいです

奥さんに出産の痛みを質問攻めの私です


2日には母子ともに退院なので、健康優良児だそうです

腎臓病の遺伝がちょっと心配だったんで、ひとまず安心。
明日は、もう一人の兄宅で年を越します。
奥さんいるんですけど、もう14年くらいの付き合いなんで、奥さんってよりもお姉さんって感じ

最近、わんこを飼ったみたいなんです。チワワ

そのチワワを見に行くために、兄宅へ行く、ついでに年も越します(笑)
私は料理が得意なんで、おいしい料理をたくさん作ってきたいと思います


2013年が皆さんにとっていい年になりますように

腎臓を大切に、長生きしましょう


15分だけなんだけどねwその方が、健康的だなと思って


アニメ業界に行った時点で健康的じゃないんですけど(笑)
それは置いといて・・・

この自転車買おうと思ってるんです

ちょっと・・・いや、かなり高いんだけど・・・
お父様におねだりして(笑)いろんな色があるんですよ
迷う
でもピンクが良いかなぁ、やっぱピンクかなぁ

ひょんなことからジブリ出身の監督さん(宮崎駿氏の元で働いてた人)と出会い、一緒に飲んだ時に、ちょっと面白い話を聞いて
アニメ業界(だけに関わらず”東京が”なのかも知れないですけど)って、自転車通勤のん人多いんです。
「朝から満員電車に乗りたく無い」
「自由な時間の中で行動したい」
等々、理由は様々なんですけど。
業界内にサイクリング企画があるくらい、自転車好きが多いんです
私は別に自転車好きってわけではないんだけど
その一緒に飲んだ監督さんは、自転車通勤ではないけど、原チャで通勤してるんです。
監督さんが宮崎さんと飲んだ時、「最近、業界で自転車通勤してる人いるけど、そんなんで通勤してる人たち何なの?バカなの?」と、いやこんな口調ではないけどwようするに、自転車通勤してる輩に否定的な発言を宮崎さんがしたそうなんです。
「俺、チャリじゃないけど原チャで通勤してるし、友達はほとんどチャリだし。
何なんだこいつ!って思ってさ。
どうでもよくね?!みたいな。
それが!しばらく経って、また宮崎さんと自転車の話になったの。
そしたらさ、宮崎さん、”俺だってもっと若ければ自転車で通勤したのに”って言うんだよ!この前と言ってること180度違うじゃねーーかって!!!お前が乗りたかっただけなのか!!って。悔しさまぎれに、チャリ通勤してる人たち否定したのか!ホント、このくそ親父!!って思ったよね(笑)」
ちょっと私の文章力の無さで面白さが伝わらないかもしれないけど、これは本当に面白かった
監督の話が上手かったってのもあるんだけど。
まぁ、そんな、宮崎さんの嫌う(笑)チャリ族に私もなりますww


若いからね




この、トーキョーバイク、150センチからだから、150センチジャストな私にはちょっと大きい気もするんだけど・・。クロスバイクだからこんなもんかなぁ、と。
試乗するとき、恥ずかしかったよ

足、つま先しかつかねぇぇwwみたいな

男性の店員さんが、そんな私を気遣ってか、優しく優しく接客してくれました

あ、ありがとう、ござます・・・・
年明けたら買いに行くんだぁ
3週間くらいかかるって言われたんで、なるはやで

また新宿に見に行こうっと


3月に一回宮崎に帰るんですけど、その時ちょうど私が来年から行くアニメ制作会社が作った劇場作品が全国上映してるんで、父、母、妹、私の4人で観に行くんです


これは我が家初ですよ~~~~


しかも

この劇場作品の監督してる方、面接の時に面接官の人たちに「この人を目指して」って言われた人なんで、余計気合い入っちゃうわよっっっっ

前売り券4枚買ってもらって、ちょうど4種類のおもちゃ(笑)ついてくるからラッキーーー


その上、映画観てくれた人全員に付属のおもちゃ(笑)ついてくるから更にラッキーーー


もちろん、父の分も、母の分も、妹の分のおもちゃまで、全て私が頂く


ケッケッケッ

お姉ちゃんとか関係無いよ
笑宮崎駿監督作品「風立ちぬ」の主題歌情報出てましたね
確定なのかな
「ひこうき雲」
良い曲です。聞き入っちゃう。
これ、特攻隊をモチーフにしたって話ありますけど、ユーミンのお友達が亡くなった時に作ったものらしいです。
凄いな、こう言葉に出来るのは・・・
私もそう出来るようになんなきゃな。
でも、悲しいだけの作品は作らないぞ

どうでも良い情報なんですけど、私、監督になったらしたい夢があって

私が劇場作品の監督になったら、松任谷由実さんの歌を主題歌にしたいんです

理由は・・・特に無いんですけど
有名だからとかそういうわけでも無いんだけど。ユーミンの声がビビっときたんです
これだ!って。もう何年も前から思っていること。
いつか、叶うと良いなぁぁ・・・


1日遅いけど・・・笑と、言っても、あまりお祭り事が得意でない私は、祝う週間は無いのですが・・・

クリスマス、私が何をしていたかと言うと、、、
来年から働く会社の劇場作品を2本観て。(何十作品ってあるから大変
でももうほとんど観てしまった
)卒業制作の絵を描いてました


描き始めるまでに1週間以上かかったよぉぉぉぉ
やっと、絵を描く気になって、今せっせと描いてます

(めんどくさくてw)下絵も描かずに始めたこの絵・・・・果たしてちゃんと完成するのでしょうか
不安ですwwこんな私でも去年は彼氏がいたので、クリスマス&お正月を2人で過ごしたのだけれども・・・・
ただちょっとわたくし、無性愛者とまではいかなくてもその毛がありまして
恋愛が(よくわからなくて)苦痛でならないのです
「好き」って感情がいまいち理解出来ないんですよね・・・
あまりその必要性も感じないと言うか。
私にピアノを教えてくれた先生の旦那さんがたまたま精神科医の方で、個人的に先生家族と食事をする機会があったとき、旦那さんに質問してみました
「あちゃちゃんは小さい頃から病気だったり、同じ年代の人の死に遭遇したり、おおよそ周りの人が経験しないことをしていて、そういうので感情のバランスが少し崩れてるのかも知れない。あちゃちゃんがそれで”苦しい”って思うなら精神科に行けば良いし、行ったら診断されるレベルのものだと思うよ。その診断があちゃちゃんにとって必要かそうでないか、だよ。でも、理解してくれる人はいると思うから、焦らなくて良いよ。」と言われました
うん、まぁ、焦ってないから良いかって感じです
別れた彼にも言われたんです。
「あちゃにとっての幸せって何
」って。
私は「アニメを作ること」と即答しました。これが私の本心です。
彼は、「そうだね。ずっとそう言ってたもんね。そのためによそ見しないで頑張らないと。あちゃなら出来るよ。」と言っていました。
残念ながら、彼と一緒にいることが私の幸せに繋がることは無い。今はまだストレスです
これでも、だいぶ前には進めたんだけど・・・
アニメを作ること、満足の行く絵が描けるようになること、
これが私にとって一番の幸せです

それにしてはまだまだ画力が足りないのですが。
頑張るしか無いですね

今日は起きてまだご飯を食べてないんで、(絵を描いていたから)これからもうちっと絵を描いてご飯食べるぞ
今夜はありもので作るロコモコ丼じゃっっ

彼らの存在があるから私は頑張れる。頑張る理由がある。
でも、時々は、それでも頑張れないときもあって。
そんな時、私を駆り立てるもの。
それは、一通の手紙です

手紙をくれた子は私より4歳上の女の子で、小6のときに腸のがんになり、そのときに心臓も悪くした・・・そんな感じだったと思います。
12年前に移植した時に出会いました。
その女の子は、10年前に18歳で亡くなってしまいました。
なので、10年前に貰った手紙です。
実は、この手紙は危篤状態からさめた時にくれた手紙なんです。
落ち込んだ時、悲しい時、今でもこの手紙を見ます。
そして、
「そうだ、私にも未来があるんだ」
って、頑張ろうと思えます。
大切な、大切な、宝物です。
心臓移植って書いてるけど、これはお医者さんがついた嘘なんです。
「あちゃちゃん、ごめんね、救ってあげることは出来ないんだよ。」
「あちゃちゃんは僕たちのしてることを”酷い”って思うかも知れないけど、希望が無かったら人はすぐに死んでしまう。それが嘘でも、希望があれば生きようって思える。医者なのに、それだけしか出来ないんだけど、それも、医療行為の一つなんだよ。」
東京の病院の教授がそう言っていました。(腎臓が悪くなってたから、教授に診てもらってたの)
「絶望のまま死なせたくは無い」とも。
最初は酷いって思った。
今でもどっちかは言えないけど、責める気持ちは無い。
私はこの子のこの手紙に何度も救われているのは事実。
そうそう、人生”負けるもんか”

生きてれば辛いこともたくさんあるさ
生きてるから、たくさんあるよ。人はいつか死んでいくものなんだけど、だからこそ、残せるものがあるなら残していこう。
こんな素敵な友達に負けないように、私も一生懸命頑張るぞ

お腹すいた

大好きな柿を食べて、作品作りに励もう

皆さんは信じますか

”前世”ってやつ。
実は、私、前世の記憶があるんです。
でも信じてないんだけど

私が1、2歳の頃の記憶だと思います。
家のテレビを見ている女の子を、5歳くらいの私は上空から見ていました。
その女の子は小学校まで通えることが瞬時にわかりました。
「次は生きられるんだ」
そう思い、その女の子の中に入っていったのが、私の最初の記憶です。
時代も薄々ですけどわかるんです。
江戸時代より前だったと思う。
親がいなくなって、とても貧乏な女の子でした。友達もいなくていつも一人で遊んでいました。
お兄ちゃんが一人だけいて、そのお兄ちゃんが今の二人の兄です。
死んだときの記憶もあります。
ずっと病気だと思っていたんですけど、そうではなく感染症のようなものの気がします。
死ぬときは親もお兄ちゃんもいなくて、でも、一人ではありませんでした。誰かが側にいてくれていました。
不思議と不安感は無く、満足して死んでいった気がします。
このことは家族も知っていて、普通、信じないor笑い話にするんだと思うんですけど、小さい頃相当の不思議ちゃんだったようで

信じざるを得ないというか・・・
今も昔も変な子だったんです

小さい頃、夫婦喧嘩が多くて、お母さんが何度も家を飛び出していったことがあるんです。
母の口癖は、「あちゃの腎臓さえ貰えれば、あちゃが元気になれば、いつだって離婚出来る」でした。
その時は、私が小学3年生、1番上の兄が中学3年生でした。
もう、ド不良でした。
盗みをして、警察に捕まって、おばあちゃんに母が責められました。私は寝たフリをしていました。
「あんたの育て方が悪いから」と母を叱咤するおばあちゃんに、父は何も言わないんです。
母は、「この人が子育てに参加してくれないんです!あの子(兄)は、私には何でも話してくれます!」と言い返すと、おばあちゃんは「その態度は何?!私の息子をあんたは悪く言うの?!」と怒鳴りました。
家に帰って、どたばたと荷造りをして「ちょっと考えさせてください」と母は出て行ってしまいました。
「お母さんが北海道に帰っちゃう」
まだ暗い朝方、突然目が覚めて、私はパジャマのまま家を出ました。
母の居場所がわかったんです。「わかった」というか、何かに導かれてと言うか。あるいは、脳に母の居場所が鮮明に思い浮かんでと言うか。
誰かが私をそこに連れて行ってくれました。
1時間くらい歩いたと思います。
1台の車が角を曲がってきました。それが母でした。
この時、どう行ったのか、今でも不思議。でも、「ここだ」って言う絶対的な自信があったんです。
私が出て行ってしばらくして、私がいないことに気付いた父は、慌てて家を出て、ちょうど母と車で家に戻る途中でばったり遭遇しました。
それからもしばらくは夫婦喧嘩は耐えませんでしたが、私が移植したことを機に、ぱったり無くなりました。
近しい人間が亡くなる前に(無くなった瞬間)に変な頭痛がしたり、亡くなった後に数ヶ月間(酷いときは1年)毎日のように夢に出てきて金縛りにあったり・・・・金縛りもおかしいくらいにきつんです。精神的なものだと思うんだけど。
そういうのがある人間なんですよね。
でも、やっぱり目に見えるもの以外は信じないんだけど


記憶あるのに信じないっていうと不思議がられるけど、前世の記憶はただあるだけだから、それを証明するものは無いし。でも、そのときの感情まで明確に覚えているもんだから、否定するのは可哀想と言うか・・・。
そういう微妙な心境です

2日前、宮崎のおじいちゃん(父が20歳の時に亡くなってるんで会ったこと無いけど)の妹さんが亡くなりました。85歳です。
宮崎にいた頃、私が2時間かけて通っていた病院の近くに住んでいたおばさんで、病院に行くたびに寄っていました。
私が状況する5年前から寝たきりになり、老人ホームで生活していました。
物腰柔らかで、可愛らしいおばさんで、私が透析手術で病院に入院していたときもしょっちゅうお見舞いに来てくれていました。
腎臓が専門の病院なんで、老人だらけの病棟で、一人だけ小学生がいるもんだから、お見舞いにきた人たちが「どうしたの?」って聞くんです。
おばさんが理由を説明すると、皆は「可哀想に、頑張ってるんだねぇ」と言います。
おばさんは、「いえいえ、出来の悪い姪で」(言葉違ったかも知れないけどこんな感じのこと)と言いました。
でもその後に、「今のは嘘だからね。身内には、皆ああやって言うもんなんだよ。あちゃちゃんのことを”出来が悪い”なんて思ったことなんてないよ。頑張り屋さんで、それはおばちゃんよくわかってるからね。自慢の子だよ。」と言ってくれました。
旦那さんは15年前に亡くなって、子どものいなかったおばさんは、母を本当の嫁のように、父を本当の息子のように、私たちを本当の孫のように可愛がってくれました。
母も、親戚の中で1番おばさんのことが好きで、宮崎に来たときから1番おばさんになついていたそうです。
おばさんの作る高菜の漬け物が大好きで、透析の入院中、よくリュックに高菜の漬け物を入れてお見舞いに来てくれていました。
おばさん宅に行くたびに、高菜の漬け物を用意してくれて、食べさせてくれました。
寝たきりになってからも、「あちゃちゃんに高菜の漬け物作ってあげられなくなちゃって」と残念そうに言ってた。
就職前の3月に宮崎に帰る予定だから、そしたら希望通りの場所に就職が決まったことを報告しようと思っていたんだけど、願い叶わず。
半年くらい前だったと思います。
「かたみだと思って持っていて欲しい」と、宝石を貰いました。
本当にかたみになってしまった。
85歳・・・・
人生を全うしたと言えばそうで。
戦争体験者でもあって、戦争中は満州に行っていたそうで、ときどきその話を聞いていたんだけど、
何と言うか・・
1つの時代が終わったな、と感じます。
終わる前に、ちゃんと知らないといけないなって。
美大に編入して、忙しくて宮崎帰れなくって・・・。最後に会ったのは去年の夏だったかそうじゃないか・・・。
写真を探すけど、ファイル整理してなさすぎて見つからない。




