何度も言いますが、私は明日親知らずを4本抜くため(笑)入院しています。

この病院は今でも通院している病院で、12年前、私が小6のとき、腎臓移植を行った病院です。
そして、たくさんの思い出がつまっている場所です。
私はここで初めて病気の友達が出来ました。
と言うか、ここでは病気であることが"当たり前"ですからね(^^)/
看護婦さん、病院の先生・・・子どもだったこもあり、皆本当に可愛がってくれました。
入院して間も無く、担当看護婦さんが「2ヶ月後、移植終わって元気になったら、一緒に買い物しに外に行こうね」と言ってくれたのを今でも覚えています。
雑貨買って来てくれたり、お菓子買って来てくれたり。
私のベットの横にはお菓子袋が常にパンパンでした(笑)
手術を終えて一番最初に食べたのは、すき焼き(固形w)とお粥です!担当看護婦さんは「何かの手違いだ・・・」と下げようとしたのですが、それまで食事制限があった私は「食べたい!」と言い、全て食べました(笑)皆に笑われた^^;
担当看護婦さんの一番最初の差し入れは"たこやき"でした。
お医者さんが、「お前、もうそんなもの食べるのか!!」って、これまた笑われた^^;←まだベットから起き上がっちゃいけない頃。
夜中、痛さで眠れなくて、わんわん泣いて、お医者さん呼んで「睡眠薬を飲ませて!」とお願いしたは良いが、薬を持ってきたお医者さんが髪の毛ボサボサでもう完全浮浪者で、怖くなって「やっぱり飲まない!」とまた泣いた。困った顔をしていたその浮浪者は、今の担当医です(笑)
肺の悪い女の子がいて、その子は酸素(鼻からつけるやつ)無いと呼吸するのも苦しいんだけど、マスクして無菌室に来てくれた。
もう、心配でならなくて、嬉しいんだけど、あまりそれを表に出すことは出来なかった。
看護婦さんにお願いして、その子とはそれから2ヶ月間、同じ部屋で過ごした。
看護婦さんやお医者さんが勤務中にお菓子食べに来て、その子と私と看護婦さんとお医者さんと皆で話しながらお菓子食べたり。
その子は肺だから、腎では無いんだけど、自分の担当医よりも腎の先生と仲良くなってました(笑)
一緒に腎の先生をたくさんからかいました(笑)
先生たちは、この子のこと覚えてくれているかしら。
私のせいなんだけど、もう、この子のことは誰も触れない。私の前では絶対に。
移植前の担当の看護婦さんの宣言通り、移植終わって元気になった私を外に連れて行ってくれた。何度も何度も。
休みの日でも病室に来て、私を外に連れていってくれました。

痛い検査や移植手術は本当に辛かったけど、「もしも過去に戻れるなら」と聞かれたら間違いなく移植したこの時を選びます。
病気を語れる友達がいて、毎日が本当に楽しくて、色んな人がたくさんいて。
笑いに包まれている毎日でした(^^)
不安なんて何も無かった。
だから、出来るだけ長く入院していたかったです。
誰ともお別れはしたくありませんでした。

想い出がたくさんたくさんある病院です。
今いる病棟はその時の病棟じゃないんだけど、ついつい過去を思い出して戻りたくなってしまうなぁ。
同じレイアウト、同じ天井、同じカーテン・・・同じものがたくさんあるんだもの。
違うのは鏡に写っている私だけです。
聞こえてこないのは、皆の笑い声です。
無いものは、その子の笑顔です。私を呼ぶ声です。


幸せな想い出がありすぎて辛いなぁ




気持ちが落ち着かないのは、明日への不安だけじゃないんだよねぇ。
想い出がありすぎて、何処に進めばいいのやら、わからなくなりますが、それでも「アニメを作る」と言う想いだけは変わりません。
宮崎駿さんが「アニメを作らなければ、人を楽しませなければ、自分は生きてる意味がないと思うから作り続けているんだ」と言っていました。
私も、そのくらいアニメに"だけ"没頭して、アニメだけを観続けられる人になりたいです。




iPhoneからの投稿
抗生剤は40分でうち終わりました。
すぐ入ったからって、ちょっと調子にのって動いてたら逆流した(笑)
ベットで安静にしたら再び落ちだしたので、良かったよ(‐^▽^‐)

で、今は、私の病気、先天性形成不全腎(正式名称はタイトルのものなのかも?)をネットで調べています。
調べだして、思い出した。
前にも1度調べたことがあるんです。
そうそう、そのときも、出てきました、「犬」とか「猫」(^▽^;)
なんかこれ、犬とか猫に多いらしい???
そもそも、腎臓病自体が犬猫に多いのかしら????

私、最初から腎不全だったんで、あんまりよく腎臓病知らないんですよね(^_^;)子供だったってのもあると思うけど。お母さんはよく知ってるし。
私の周りの子供たちも、私と同じように、「まぎれもなく生まれつきです」って病気の子ばっかりだったので、逆に病気を知る機会が無かったと言うか。
腎炎とかネフローゼとか(場合によっては治る可能性もあるもの)何かいろいろあるようなのですが、正直どれも何一つ何もわからない(x_x;)自分がシンプルすぎて。
「腎臓は体の老廃物をこして奇麗にする臓器なんだけど、あちゃはそれが3ヶ月の赤ちゃんから大きくならなくてこしきれないんですぅ~~~」
「へぇ~~~そーーなんだ~~~~」
で、完結していたので(・・;)とっても単純にまとめましたが。
なんと言えば良いか•••
私は最初から、腎臓という臓器が無かったようなものなので、だからそれを知ることも無かったみたいな感じなのかな(><;)
悪くなるのをただたーーーだ待っていたような感じです。

いろんな人のブログ読んでて、腎不全になった原因が「菌」だったとか。いろいろ。
「え?そんなことあるの?!」って思いました(((( ;°Д°))))
それ凄く怖いです!!!!!風邪怖い!!!!!!菌怖い!!!!!疑う要素があるって怖いです!!!!ひえ、ひえええええ(°Д°;≡°Д°;)

と、考えてたら、

怖くて日常生活送れないじゃん!!!
恐怖ばかりじゃないか!!!!

え~~~どうしたらいいの?!
どうしたら腎臓が菌に犯されないように過ごせるの?!

って!!そんなことばっか気にして生きるなんていやだよう!(´Д`;)
でも、腎臓駄目になるのも嫌だよおおおおおおお


ううううううううう

うううう












































いっか(*゚ー゚*)





今まで通り深くは気にしないことにしよう(●´`●)
うんうん、
そうしよう、それが良い。
楽しく生きよう(・∀・)







となったんで、やっぱりまだまだ謎はたくさん。
難しいですo(TωT )
どうしても、考えることをやめてまいますなぁ。
考えなくても良いのであれば、考えなくたっていいのかな。









点滴のとこがわりと痛い。
腰も痛い。
明日はそれに加え歯まで痛くなるんですか!!!(TωT)
ついに、ついについに、明日親知らずを4本抜きます!!!
3時からすることになってて、「昼も夜も常食食べれるよ♪」って言ってたと思うんだけど。
結局、4時半からで、しかも昼は食べたらだめだって(;^_^A
あれ?あれあれ?あれれ???
そして、看護婦さん曰く夜は「常食は絶対食べれないです!」って。
およよよ?????
前日に恐怖が増します(ノ_-。)

て、言うか、
同じ病室(6人部屋)に咳ゴホゴホしてる人いるんだけど。
おいおい(-。-;)

でも、そんな中で、僅かな希望が。
担当看護婦さんが私と同い年!!!!(*^o^*)これは嬉しい!!!!
いろいろお願いしやすいや♪
てか、もう同い年の人が看護婦さんしてる年齢なのね。。
ほぉ~~~~(ノ゚ο゚)ノ



昨日。
父が10年以上ぶりのドナー検診をした。
クレアチニンは 1.15だったそうです。
私、1.5とかだと思ってたんで、心配してたんだけど、問題ないね(^O^)良かった!!
でも、今朝、父が「血圧高かったんだよね」って言ってきたから見せてもらったら、160って!!!!!!
「先生、なんて言ってたの?」って聞いたら、「先生には見せてない」って。
何で???何で見せなかったの??!!!!
今日、病院ついてから測ってみたら、117でした。
ちょっと高め???
まぁ、許容範囲内???
私は低血圧なもんで、85でした。
父→117/78/77
私→85/44/90
入院してるときって朝目覚めてすぐに血圧測るじゃないですか??
上が70とかですから(笑)看護婦さんびっくりして、5回くらい測るの(^▽^;)
お医者さんは、「60代になったら考えよう」と言っていました。
あと、冗談だと思うけど、「お酒読飲むようになったら血圧あがるよ」って言われてた。
飲みだして、一切上がる気配無しですwwwやっぱ適当に言ったなww
そんな適当な先生が今の私の担当医です(^∇^)


今、親知らず抜いてくれる先生来て、腎の先生の噂をしていたら電話かかってきました!!!
若い薬剤師の人が、「移植後も安定してるし、飲んだらいけないものとかないと思うし、腎の先生と連絡取り合う必要ないと思うけど」ってわけわからんこと言っててちょっと不安だったんだけど、これは彼の勝手な意見だったみたい(-"-;A迷惑な。
麻酔とか、抗生剤とか、腎の先生が指示してくれるみたいで良かった(;´▽`A``
せっかく12年も持ってる丈夫な腎臓なんだから、適当なことしないでよぉぉぉ~~~~~!(´Д`;)まったく!!!!!ヾ(。`Д´。)ノ
適当なことしたら、お前の腎臓2個とも貰うぞ!!!!!(`・ω・´)笑



お父さんと喧嘩するとき、「腎臓返せ!!」って言われるんです(笑)
「取れるもんなら取ってみろ!!」って言ってます(^-^)/




そうそう。
私、初めて知ったんだけど。
今の移植って、傷小さいんだってね((><))
私、腰上あたりから下腹までしっかりとありますよ。
30センチは普通にあると思う。
父に至っては、背中からお腹にかけてざくっと刀傷(ケロイド?)のような傷があります。40センチくらい。
教授が、「ちょっとお父さん、傷見せてもらえます?」って言って、研修医の人に「昔はこんだけ切ってたんだよ。今はね、そんなに切らないんですよ。」って言ってたそうです。
12年前って昔なんですね(^_^;)
ブログで、チラッとは見てたんだ、ドナーの傷跡が20センチくらいって。
「腎臓小さかったのかな?」って勝手に自己完結してましたwwwwちゃうやん!!!!ヽ(;´ω`)ノ
私、移植前の手術説明で「(私は)30センチくらい切って、切ったとこをべろんとめくらせます」って言ってたの覚えてる!!
今は方法が違うのかしら???
凄いね。知らないうちに技術は進歩しているんですね。
素晴らしい。



そんな私は今からお風呂♪
明日入れないかもしれなから、念入りに洗おう!!!!(*^ー^)ノ


今、腎の先生来ました。
顔もしたことない、「誰???」って感じの人だった(;^_^A新人さんですね~~。注射上手に頼むよぉぉ~~
明日抜歯なんだけど、感染予防のため、今日から抗生剤をうつらしいです。お風呂後。
今日から明日、明後日まで。
良かった良かった。
安心です。
3年生になって間もなくして、運動制限が始りました。
いよいよ、皆と同じ生活が出来ないようになってきて、学校も朝の会から帰りの会までちゃんと行っていたか・・・行ってたときもあったし、行けないときもあったし。
私の住んでいたとこでは登校班という仕組みがあって、朝は近所の人で集まり(男女別)一緒に登校します

でも、高学年の人の足の速さについていけなくなりました。
「私が遅いからわざと速くしてるんじゃ!?」ってくらい速くて、時には走られたりして・・・
それも頑張ってついていってたんですけど。
「あちゃちゃんいると遅いから嫌だ」と言われたのかも知れません。一緒に登校するのを断念しました。
で、私は、徒歩10分の距離を車で送り迎えされることになったのですにひひ逆に私の方が速くなった(笑)
まぁ、こんなことはわりかしどうでも良くて。
私が一番辛かったのは、病気であると打ち明けなければならなかったことです。
何よりも、人と違う自分と言うが嫌でした。
皆と一緒でありたい、そう思っていました。
その時の担任だった女性の先生が、学校の配慮もあってだと思いますが、これまた兄ちゃんの担任だった人で・・・昔から私を知っている人でした。
その先生も、慢性的な病気ではないのですが、小さい頃は病弱で学校を休みがちだったらしく、私を誰よりも気にかけてくれていました。
私のことも”ちゃんづけ”で呼んでいました。
でも、それが良く無かったんです。
他の子どもたちが、「特別扱いだ」と言い出してしまいました。そういうのに気付き始める年頃なんですかね汗私は子どもいないのでわからないですが。
「何であちゃさんだけちゃんづけなんですか」「どうして先生はあちゃさんには優しいんですか」「それはいけないことなんじゃないですか」「あちゃさんは体育をずる休みしてる」
その時の私には、クラス全員が私を責め立てているように感じてなりませんでした。
運動制限も始まってきてたし、もう言わなきゃならないんだと思ってはいたのですが・・・・このタイミングではてなマークという違和感もありました。
そもそもの発端は「ちゃんづけ」です。そして、先生がやたらめったら私を気にかけているところからです。
正直、私に否は無いと思いました。
ここで病気を打ち明けるのは、先生自身を正当化してるだけなんじゃないか、と。
「私はあちゃさんを気にかける理由があったんですよ。だからわかってね。」って。
先生を正当化させるために、病気を利用されてると思いました。
1学期は、この先生と仲良く過ごすことが出来ていました。兄ちゃんの担任だったこともあり、私も安心しすぎていた部分あると思います。
一気にそれが崩壊していきました。
でも、仕方がありません。言わなければ、言っても、体育をずる休みしていると言われるだろうし、車での送り迎えだって、「楽してて良いね」です。
結局、そのままの流れで皆に打ち明けることとなりました。
しかも、皆の前に立って、自分の口から。
「私を成長させたいんですね。余計なお世話ですよ。」と、しぶしぶ自分の口から言いました。
その次の日から、皆がよそよそしくて。
優しさなんですけど、私が机を運ぶだけでも「私がするよ!」、何をするにも「大丈夫?」
子どもだから、1ヶ月持たずに元に戻るんですけど、これが苦痛でまらなかった。
それからもう1つ。
この先生はほぼ毎回、体育に参加させてくれませんでした。
実際顔色も悪かったんだろうけど、私としては、1番好きな授業だし今後出来るかわからないものです。出来るうちにさせて欲しいと言う気持ちがありました。
先生に「だめ」って言われるのも気に入らなかったんだと思う。
友達が「今日あちゃ顔色悪いよ?体育休んだら??私先生に言ってこようか?」と言われるとすんなり受け入れられていましたし。
体操着まで着たのに、体育に参加出来ないのが、どうにも情けなくて。
学校に行きたく無くて、「もう行かない」と母に言いました。
母は、先生を信用していただけに、「どうして?!」とびっくりしています。
母と先生と私とで、話し合いをしました。
私は先生に正直に、
自分の気持ちをぶつけました。
「あなたの態度が迷惑だ」
「ちゃんづけもめて欲しい」
「自分のことは自分でする」
「体育も参加する」
「皆と同じように接して欲しい
おおよそのことは認めてくれて、「気付いてあげられなくてごめんね」と泣きながら言ってきてくれました。
この先生を心から拒絶出来なかったのは、本当に一生懸命だと言うことがわかっていたからです。だから、無下に責めることは出来ませんでした。
体育だけは、「それは認められません。でも、もう少し、参加出来るようにしてみます。」でした。
私は本当に、「唯一生まれ持った才能は運動神経だ」と言えるくらい運動神経が良くて、出来ないスポーツはありませんでした
体育の授業も、鉄棒や跳び箱はずば抜けて出来るんで、苦手な子に私が教えていたりもしました。

足も速くて、クラスの皆が運動会のリレーの選手に選んでくれて(選ばれるほどの速さは無いと思うんですけど、これは生徒たちの優しさです)、でもそれを言ったら却下されたんですよね。
最初は先生に却下されて(そこで期待させると逆に可哀想だから)、でもそれを気にした先生が母にそのことを言って、お医者さんに聞いてみたら案の定駄目でした。
なので、その時の私が思っているよりはるかに、病状は良く無かったのかも知れません
運動会への参加は小学校3年生で最後でした。
嬉しいこともありました。
先生が道徳の時間に、何週かに渡って1冊の本を読聞かせしてくれまた。
『天使のいる教室』
と言う本です。
小児がんを患う女の子あきこちゃんと、そのクラスの子どもたちの物語です。(実話を元に書いてるらしい)
結局このあきこちゃんは死んでしまうんですけど。
これは私のために、私がクラスにいるから「あちゃさんと出会ったことで、こういう優しい子どもたちに育って欲しい」と思い読んでくれたそうです。
それを耳にした時、嬉しいとかいう前に、「え!?あきこちゃん死んじゃうじゃん・・・・」って思ったんですけどあせるあせる
でも、この先生は、私に対してそこまでのことを考えていたのかも知れません。
終盤は、先生も涙をポロポロ流しながら、生徒も泣きながら、それを聞いていました。
それからもう1つ。
嬉しいことではなく、大きな疑問も生まれました。
生活の本に出てくる”障害者”という言葉です。
私はまだその時は障害者認定はされていません。が、「これは私のことを言ってるのかな?」と思いました。
それから、その言葉の横にある写真。
皆、車いすだったり、手足が無かったり・・・・「じゃあ私は違うのかな?」って思ったんですけど、文章で「内臓疾患」(内蔵が悪いとか言う表現だったかも)と出てきて「やっぱり私もなのかな?」と思ったり。
それから『五体不満足』が発売されたのもこのくらいの時期だったんじゃないかなぁ~~~・・・はてなマーク
乙武さんは本当に凄い人だと思うんですけど、1つだけどうしても納得出来ないところがあって。
「えはてなマークそこ!?」ってところだと思うんですがかおあせるまぁ、またこれはいずれ。
少しだけ、「目に見える病気だったら、もっと楽に説明出来るのに」って思いながら、”せいかつ”の授業を受けていました。
目に見える病気は、それはそれで辛い部分や困難がたくさんあると思うんですが、小3の私は単純にそう思いました。今はどっちがどうとかは思っていません。
ただ、”自分が思い描いた場所に、自分の足で行けるならば、可能性は無限にある”と思います。
だから諦めちゃだめだ、と。
これは、養護学校で筋ジストロフィーを持つ男の子と出会い、その子と生活する中で気付きました。





今回はここまでビックリマーク
保護者の方も見ているようなので、一番わからないのは子どもが何を感じているかだと思い、その時に私が感じていたことを思い出しながら書いてみました。

そしたらだいぶ長くなってしまったあせるあせる

3年生まではまだまだわりと普通の生活を送れていました。
次は4年生から書こうと思います。
もうこれが、びっくり仰天なことばかりなんです叫び
良いのこんなんが教師で!?って。
教師は教師でも、反面教師得意げ



あ、10年ぶりくらいの父のドナー検診は問題無かったようです音譜
帰ってきたら検査結果を見せてもらおうと思います。
鍋の材料を準備してたのに、「急遽、今日は食べて帰ります」ってさ・・・むっ
買った材料どうすんの!?!?
春菊、2袋!!!!!!もうっっっっっっ!!!!!!



ここまで読んで頂きありがとうございましたクラッカー
今回は、病気が発見されてからの私や私たち家族に起こったことと、私の小学校生活(3年生くらいまで)を書いていこうと思います。
明日から4日ほど親知らずを4本一気に(笑)抜くために入院するんで、今日はちょっと頑張ろうニコニコ

音譜今日はここまで音譜
「目に見える病気だったら、もっと楽に説明出来るのに」






私は非常に敏感な子どもでした。
たぶん、「私は他の人とは違うんだ」というのを知らず知らずのうちに理解していたからというのもあると思います。
特に「命」というものに対して、敏感でした。
ちょっと不思議ちゃんだったので、誰もいないところに話しかけたり、「森は生きているんだ」とやたら森や自然が好きだったり、「自分の帰る場所はここだ」って思ってたりしてましたにひひ汗
動物も大好きで、野良猫、野良犬を何匹家にお持ち帰りしたかわかりません(笑)
小さい頃からアニメが好きだったわけではありません。と言うか、ほとんど観ていません
私はちょうどセーラームーン世代なのですが、初代セーラームーンの最終話を観た時、戦いに敗れ死んでしまったセーラー戦士が次のシーンで生き返ってたのには、「こんなこと絶対にあり得ない!!と違和感を覚え、「しょせんアニメだと思っていた、現実主義者ですあせるあせる小学校に上がる前からこんなこと思ってるんだから、ちょっと怖いですよねむっ
(一応。2年前くらいにセーラームーンを見直し、今では好きな作品の1つです。
でも、トトロを観た時には、もうのめり込んでのめり込んで・・・ライオンキングとトトロはビデオ3本くらい駄目にしてると思いますショック!母に「また観るの!?」と言われるくらい、1日中ずっとトトロを観た、なんてこともあります恋の矢
「トトロはいるんだよ!!と思っていたし、「この世界に行けたら幸せなのに」と思っていました
そして、「トトロを作った人はきっと凄くたくさんの知識を持っているんだ。いつか話してみたい」とも思っていました。(これがアニメ業界を目指すきっかけになったわけではありません笑)


敏感な子どもで・・・・そして、自分の感情表現が下手くそな子どもでした。今でもそうです汗
無表情とかではなくて、その逆で「辛い」と言えない子どもでした。
絵”と出会えたのは、そんな自分を補える道具だったからなのかも知れません。
いつも冷静に物事を判断していました。だからいろんなことの記憶があります。
記憶があるようでないようである、という感じの人間です(笑)
きっと子どもっぽく無かったと思いますかお汗
友達は昔から多い方だと思うのですが、でも皆と同じ行動をすることが出来ませんでした。
出来ないと言うか、それの意味がわからないというか。価値がないことに思えと言うか。
もしかすると「いつか出来なくなるかも知れない」ということの免疫だったのかなぁとも思います。
今もですが、変人だったんですにひひあせる
皆と同じ行動をとっていなくても、キラキラそれがあちゃクオリティーキラキラと何故か受け入れられw疎外されることは無かっです。
昔から、ほんっっっっっっっとうに友達には恵まれています。感謝しています。


病気が見つかってしばらくして、母が、保育園の1人の保護者に、「〇〇さんは凄いね。子どもが病気だっていうのにいつも笑ってて。私だったら○○さんのように笑っていられないわ。」と言われたそうです。
母は、「あの人はどういう意味で言ってるのかしら!私が悲しく無いとでも言いたいの?!泣いてあちゃの病気が治るなら泣くけど、そんなことしたって治らないんだから戦っていくしかないじゃない!!自分だって、私の立場になればわかるわよ!!泣いてなんかいられないのよ!!!」と言っていました。
私の母は、生みのと育ての母が違います。母は3番目の娘で、私も3番目の娘で
「生まれて6ヶ月で母親に捨てられた」とずっと思っていたようですが、私が生まれた時、私があまりにも可愛くて、「絶対に手放したくない」と思ったそうです。
「まだ母親がいなければ生きていけない、こんなに可愛い乳のみ子を置いて行けるわけない。何か原因があったんだ。」と、私が6ヶ月の時、私を連れて故郷である北海道へ行き、30歳の時に初めて本当の母親に会ったそうです。
その娘が病気になったと言うのは、母にとっては色々考える部分があったようで、おそらく自分を責めたんでしょう
またまた記憶は曖昧なのですが・・・「この人の話を聞いて病気が治った人がいるんだってと言う言葉を言っていたと思います。
母に小さな民家に連れて行かれて、「あなた(母)が親不孝だから、この子に全ての災いが降りかったんだ。この子が病気になったのはあなたのせいだ。この子の病気を治したいならまずは親孝行をしなさい。」とか何とか言われていました。
う言われていたのは凄く覚えています。たぶん母は泣いていたと思います。
当の本人はと言うと、「このおばさんは何わけのわかんないこと言ってるんだはてなマークお母さんの行いが悪いからって何で子どもが病気になるんだはてなマークその考え方はおかしい!!自分が病気になればわかる!!」「そんなんで病気が治ればお医者はいらないよ!!」「頭イカれたおばはんだなぁ。そんな生き方してて楽しいか!?、このくらいにしか思っていませんでしたにひひ
たぶん、私、そのおばさんに「あんたの言ってることは変だ!!!」とか、何かを言い返したと思います。

「でも治るかもしれないから」って、数回(4回くらい?)そこに通った記憶があります。
今思うと、完全にオウム的な何か変な宗教ですよね汗私はまだ4、5歳だったんで、単純に車で遠出(と言っても数十分ですが)出来るのが嬉しかったにひひあせる
何か買ったりしてたのかなぁ~~~・・・
ガーン買ってたような、買ってなかったような・・・・・私の母なら買ってそうだなぁ・・・・げげげ得意げ肩こり酷かったときも、知り合いの知り合いくらいにゲルマニウムおすすめされて、10万円くらいのやつ買ってたからね叫びゲルマニウムは効きません!!(笑)
まぁ、それで自分が満足するなら良いんじゃんはてなマークって感じですけどあせる

小児患者が皆かどうかはわかりませんが、私は腹膜透析をするまで”ひきつけ””おねしょ”悩まされていました得意げ得意げ
腹膜透析をしだした途端、どちらもぴたっと止みましたニコニコ
ひきつけを起こすのは熱が出た時なんですけど、白目になって、泡ぶくぶく口から出るらしく(てんかんのような症状って言ってました)、最初はびっくりして救急車を呼んだそうです。
またある日は、私に熱があったんですけど、親が地域の子供会
行ってて、兄ちゃんと2人で
ゲームの桃太郎電鉄しながらお留守番してたんです。その時に私がひきつけ起こしちゃって・・・・汗
たぶん兄ちゃんは小学校高学年くらいだったんじゃないかなぁ・・・・
今でもトラウマらしいですよ(笑)
「もう死んだと思った」って言ってましたあせる
親がいる公園まで
靴履くのも忘れて裸足で泣きながら走って行ったらしいです。
いや、まぁ・・・いきなり隣で白目むいて口から泡出て「ひーーーーーっっ」って言ってたら(すっごいきつく呼吸を吸ってる感じ?)、トラウマにもなるわなかお汗
ただ、これもまた私には一切記憶無いんで、何とも言えんですあせる
おねしょは腎臓と関係あるんだろうけど、ひきつけはどうなんでしょう・・・関係あるのかなはてなマークはてなマーク
でも透析して治ったってことは、何か関係がったのかも知れません
今でも高熱出すとちょっと怖いですね汗一人暮らしなんで、次は誰が助けてくれるんだろう・・・・シラー
たぶん、子ども特有のものだと思うし、無いと思いますけど。


きっと病気が見つかってから、「辛いのは私だけではない」という想いが強くあったと思います。だから、痛いことをされても泣くことはほとんどありませんでした。
「親を悲しませたく無い」と思っていたんだと思います。
何より辛いのは、私のことで苦しんでいる両親を見ることですからね。
それこそ、親が子どもに「健康に産んであげれれば」と思うのと同じで、子どもは「私が病気じゃなければ」って思って悲しくなるものです。そういう想いは出来ればしたくありません。
生まれつきの病気で良かったと思える理由の1つはそれだと思います。
私には、苦しんでる親の記憶がほとんどありませんので。
そういう親の姿を見ずに済んだのは、良かったなって思います。
だって苦しまれたってどうしようもないですから汗
明確に残る記憶の中には病気に対して一生懸命な両親(特に母親ですが)の姿がいつでもありま。私はそれと一緒に頑張っていくだけで済みました。これは幸運だったと思っています。
治る可能性は0だったし、最初から絶望しかなくて、健康な記憶が1つも無いから、楽でした。
「元気になったら」「皆と同じようになりたい」と、いつもしか見る場所が無かったので、「途中から病気になった人は大変だ」って思っていました。実際にそうだと思います。
ちょっと変かも知れないですけど、「私は生まれつきの病気で良かった」と、安心していましたあせる


小学校は普通の市立の小学校に進学しました。 
そのときから、「人は自分が経験したこと以上のことは理解出来ないから、大人も子どもも関係ない」と言う考えがありました。そして、実際にそうでした。
最初に言っておきます。友達には恵まれていた私ですが、教師はこれでもか!?ってくらいハズレくじばかりでしたしょぼん校長と教頭は良い先生なんですけど、担任が・・・ね・・・・・
大人どころか、同じ人間とは思えないほどで。
「絶対こういう大人にはならない」と心から思えるほど、反面教師として立派な姿を見せてくれていました
1年生のときから、母が担任の先生と私の体調の管理ノートみたいなやりとりをしていたと思います。
このときは病気も別に悪く無かったんで(たぶん)、そんなに気をつけることはありませんでした。
スポーツ少女真っ盛りですにひひ休み時間事にグラウンドに出て、何でもかんでもしてました。
皆にも病気のことを言う必要はなくて、たまに、仲良い子に「病気あるんだよ」って話して「へぇ~そうなんだぁ~」ってくらいだったと思う。
ただ、水泳だけは、(たぶん)体力を使うからって理由で最初から制限されていました。
なので、泳ぐことができませんあせる
プールの授業のときは、一番浅いところで、時には先生と2人で遊びしてました汗
2年生のときも大したことはありませんでした。
1つだけちょっとショックだったことがあってしょぼん病気とは全然関係無いんだけど。
1人の女の子が引っ越して来て、この子が酷いアトピー持ちだったんです。(別の皮膚病もあったのかも知れません)
そのせいで髪の毛も少なくて、学校内でも帽子をかぶっている子でした
また私の
病気とは違うんですけど、ちょっと親近感と言うか・・・辛さを分かち合える子って感じで、私は嬉しかったんです。
クラスの子たちとは仲良かったけど、どっかで”違い”を感じていたのだと思います。
この女の子は私とは対照的で、私は病気はあるんだけど明るかったし元気だったし、誰とでも話していたし、皆と仲良くしてました。
私のいた小学校は、いじめとかも無くて、本当に本当に良い子たちの集まりだったんです。
だけど、その女の子の見た目もあったんだろうし、内気性格だったりキツい物言いだったりも相まって、いじめとまではいかなくても、ちょっと孤立してたんですよね。
そういうのって孤立してる子と仲良くしてたら、自分もその対象になるって言うじゃないですかはてなマーク
あたしが出会う人が皆そういうのを気にしない人間なのか私が気にしなさすぎるのかかお汗
私は気にすること無く、普通に皆ともその女の子とも仲良くしていました。
そんなある日、一緒に下校中に、その女の子が、「あちゃちゃんのこと友達だと思ってるから信用して、聞きたいことあるんだけど」と言ってきました。
小2の子どもなんで、「うん音譜なになにはてなマークはてなマーク」と聞いてみると、


「私の悪口言ってる人、誰?」


こう聞かれました。
いろんな人に悪口言われているのは知っていたし(というかほぼクラスの全員)、その理由もわからんわけではなくて。
でも、それが時には一緒に遊んでる子だったり、良さそうにしてる子だったり・・・・
小さいながらに、「これ言っちゃまずいんじゃないか・・・・」って思って、最初は知らんフリをしたのですが、「どうしても教えて。誰にも言わないから。」と強くせがまれ、「誰にも言わない」ってことであればと、教えました。今であればそれでも言わないと思いますが、小2ですから汗
これがいけなかったんですね汗汗
次の日、帰りの会の後、先生に「あちゃちゃんちょっと」って呼ばれました。(以前、兄ちゃんの担任だったこともあり、私のことはちゃん付けで呼ぶ先生でした)
ようは、昨日その女の子が家に帰ってお母さんに泣きながら、「あちゃちゃんが、私が誰々(複数人)に悪口言われてるって言ってた」と言い、それをお母さんが私の名前を出して先生に言って来た、ということです。
先生も頭ごなしにって感じではなく、「どうしてそんなことしたの?」と優しい感じではあったのですが
それよりも何よりも、ショックでガーン
もうあんた(先生)の言ってることなんてどうでも良いんだよ、あたしゃショックなんだよ、ほっといてくれって感じですあせるあせる
友達だからって、信用してるからって言ってたじゃん。誰にも言わないって言ってたじゃん、と。
もう頭の中ぐるんぐるんです叫び叫び叫び
「裏切られるってこういうことかーーーーーーー!?!?!?」って。
私だって小さいくせに、「まだ8歳なのに何てずる賢い・・・!!」と自分を利用された気分でしたしょぼん
結果、それを先生に言われて何も答えないまま、私は泣き出し沈黙です。
うんともすんとも、動こうともしません。
すっごい悔しかったんですよね、たぶん。
勝手に、「わかり合える相手だ」と思っていたから尚更。

それ以降、私もその女の子と関わらなくなったように思います得意げ何かもう怖くて・・・
それ以降のことはあんまり記憶に無いんですけど、しばらくして引っ越して行ったと思います
う~~~~ん・・・・・・怖い女の子だったガーンガーン
2年生の時の思い出はこんなですにひひあせる
この頃から自分のことはだいぶ明確に理解していて、自分と似たような境遇の人を探していました。

自己紹介にも書いていますが、私は来年から某有名アニメを制作してるアニメ制作会社で働きますビックリマーク
「有名アニメ」と言うくらいなので、誰もが知ってるものだし、それなりに大手です。
と言っても、アニメ業界自体が小さいので、一般的な認識からすると中小企業です。あのジブリだって、中小企業ですあせる
多少耳にしたことはあると思うのですが、アニメ業界は労働的にも金銭的にも、多くの問題を抱えています。
基本的に正社員制度が無いので、”契約社員”又は”フリーランス”と言う位置づけです。
完全出来高制なんて割と当たり前のところです。なので、給料が10万円以下というところはざらにあります。
ただ、皆が皆そういうわけではなく、貰ってる人は凄く貰っています。が、それでも、(名前の出る職業であるにもかかわらず)サラリーマンの給料にちっとだけおこずかいがついた程度です。
もっともっとすっっっっごい有名になれば話は違いますが、良く言われる話ですけど、宮崎駿さんや鈴木プロデューサー(ジブリのプロデューサー)がベンツに乗って豪遊してるかって言ったらそうじゃないですねあせる「社内で一番汚い格好で働いてるんじゃないかな」と。
お金に興味の無い人が多い業界なので(自分もそうだし汗)、「お金やるから遊んでこいよ」と言われても、たぶんすることはおいしいご飯食べに行くとか、上野動物園行くとか、「今日は家にいたい気分だから」って家でごろごろしたり、中には「じゃあ海外行こうかな」と言う人もいるかもしれませんが、行きたいところはNYとかではなく、モンゴルとかインドとか、発展途上国だと思います。(理由は人類学に繋がるのですが、私もこういう発展途上国に行ってみたいです。でも感染とか食事が怖くて、まだ勇気がでません。)
「役者だって、かなり売れなければ飯も食っていけない。サラリーマンやってるわけじゃないんだから、格差があるのは当たり前」と、まぁ確かにそうなんですけどねかお汗

でも私は、改善しなければならない問題は多くあれど、この業界が好きです !!!!
アニメが好きって言うのもあるんだけど、こういう地味wなとこ、人が見落としてしまうような幸せだったり楽しみを見続けている人がいるこの感じが好きですニコニコ

日常生活を送る中で、尊敬もしてない人間に媚びたり、上辺だけ取り繕ったり、裏でどーでも良い悪口言ってたり、どこか生き辛さを感じていました しょぼん

「尊敬されたいならそういう人間になれよ!!
私の考え方はこうですかお
「嫌」って言ってるだけなら誰にでも出来る。嫌なら行動を起こせば良い。
生きにくいって思うなら、自分が生きやすい場所に行けば良いんです。それだけの話です。
それが私にとっては”アニメ業界”でした。

「そんな場所無い」って?それは努力が足りない。
アニメ業界を好きな理由の1つです。

頑張ってることも努力することもごくごく当たり前なんです。それを認めてくれって言うのはおかしいと思う。
頑張って、努力して、その上で自分が何が出来るか。何を残していけるか。
本当は、今を生きてる人皆がこうであってほしいと思っています。
それは健常者、障がい者関係なく。全員にです。

私は、自分の病気を「どうして私だけが」と悲観的に思ったことがありません。
生まれつきだったこともあり、私にとっては透析することも移植することも当たり前の出来事でした。
あえて言えば、
「皆、生きてく中で、いろんな壁にぶち当たるんだろうけど、私はその壁が人よりも分厚くて高いだけ」といった感じです。
だから、「あちゃちゃんは偉いね」とか「頑張り屋さんだね」とか言われるこに対して違和感を持っていましたかお汗
「だって生きていくためだもの。
生きるか死ぬかだったら、生きる方を選ぶでしょう。」ただこれだけです。
そういう淡々としているところが余計「頑張りやさんだ」と思わせる要因だったのかもしれませんがあせるあせる
本当に、自分だけが不幸だとか、自分だけが大変だとか思って生きたことが無いのです
生きてく中で障壁があるのは当たり前だったので。そして、その障壁と戦うのも仕方の無いことでした。






ちょっと前置きが長くなってしまいました得意げ汗
タイトル通り、内定を貰った会社でのこと。




私、自分が障がい者であることを伏せて行ったんです。
元々自分の病気のことを隠して生きて来たので、話すのが得意じゃないと言うか。
上記でも述べているように、別に病気は持って生まれたもんだから仕方ないし、健常者になりたいとか思ってるわけでもなく、障がいを受け入れて生きてはいるのですが・・・・
何だろう・・・・”障がい者”って言葉のインパクトが強すぎて、”自分”って人間の前に”障がい者”が来てしまったり、そういうのが嫌なんです。
何やっても、「病気を背負っているのにいつも笑ってて偉いね」とか「この笑顔の裏には」とか、そう思われるんじゃないかって。
皆が一歩私から距離を置くんじゃないかな、と得意げ

アニメ制作は人に想いを伝えるお仕事です。
”障がい”ってのを過大視して、「障がいを持ってるから人には無いことを出来る!」と、病気で採用されるのも嫌でした。逆に、”障がい者”って言葉のイメージで「普通の生活が出来ない」と誤解され、落とされるのも嫌でした。
私と言う人間だけで見て欲しかったんです。その上で採用して欲しかったんです。

そこにはちょっとした想いもあって。
また詳しく書きますが、養護学校に行くことになったきっかけにあります。
半分くらいは諦めていましたが、移植後(小6)、普通の学校に行きたいと言う想いも少しありました。
しかし、その時の担任(普通の小学校)に「迷惑だ」とその想いを切られてしまいました。
「どうして僕だけがこんな重い病気の人間を背負わないといけないんだ。これであちゃさんの体調が悪くなったら僕の責任になるんでしょう?」
「他のクラスの先生は良いですよね、あちゃさんのような病気の生徒がいないんだから。」
「あちゃさんも教師を選べなかったように、教師も生徒を選べないんです。」
「あちゃさんがいるのは迷惑だ。」
でも、こう言われて、私は言い返すことは出来ませんでした。
この人の言ってることは”人として”おかしいし、私は一生忘れない。恨み続ける。
でも、言ってることは間違ってはいないと思いました。
「皆と同じ生活が出来るか」と言われれば、出来なかったです。階段も3階まで歩くことは出来ませんでした。病気と薬の副作用もあり体力も無かったです。電車で席を譲られるほど、見た目もまさに”障がい者”だった。
何もかもが、自分の想い通りにはなりませんでした。
だから、こう言われて、反抗することはありませんでした。
「そうですね」としか言えませんでした。
結果、養護学校に行かざるを得ませんでした。
わかっていた結果ですが、「病気を持っていたら義務教育すらも受けさせてもらえないのか」と、やっぱりショックでした。人として否定された気分です。

でも、今は違います。
私は自信を持って、「私は皆と同じ生活が出来るよ」と言えます。
病気云々ではなく、皆と同じ基準で採用して欲しいと思いました。
でも、最初に述べてるように、アニメ業界は本当に過酷な場所で・・・
なので、ある程度大手で会社としての基盤もしっかりしていており、この先10年は潰れない(笑)会社であること、その上で給料面でも安定しているところを選びました。(ごく僅かですがそういう会社が無いわけではないんですT^T笑)

それが、会社にとっても私にとっても安心出来る最低限の要素だと思ったので、そこを基準に会社を選んで行きました。これが私が会社に出来る最大の配慮だと思います。
「皆と同じ生活が出来るよ」とは言え、健常者では無いですからね。
幸い、(病気を伏せて)3、4社ほど内定を貰い、行きたかった会社からも内定を貰えたので良かったのです・・・・・・・がショック!

本当に、伏せて行ったので、結局、内定を貰った後に再度連絡して「採用担当の方、出来れば社長さんとお話がしたい」と言い、後日病気を打ち明けに行きました。
社長さんと採用担当者の方がお時間を作ってくださいましたガーンゴメンナサイ・・・
そこで、生まれつきの慢性腎不全で腎臓移植をしていること。学校には半分くらいしか通えず、養護学校に通っていたこと。でも、高校は普通の高校に通ったこと。3ヶ月に1回ほど病院に通っていること。日常生活にも何の支障もないこと。障がい者であることを打ち明けました。
「臓器移植をしています」と言ったときは「 (・_・) 」こんな顔をしてましたかおあせる
ですよね~~~にひひ汗


私、楽観的になってて、「障がい者!?びっくりしたけど、そんなの問題無いよ!!」と、言ってもらえるもんだと思っていたんですが・・・・・思ったよりも、深刻な感じで汗(事前にメールで障がい者であることは伝えていました。)

「う~~~~ん・・・・・・まぁ、内定出した後じゃなく面接の段階でそれを言って欲しかったけどねぇ・・・・・。
でも、どうしても”障がい者”って言葉のイメージがあるから、そのときに言われてたらどういう判断をしたかは今となってはわからないけど・・・。

僕たちはどうしても、障がい者って言ったらさ、肢体不自由で普通の生活が出来ないんじゃないかって想像してしまうんだけど、あちゃさんは本当見た目には全然わからないし、だからこそ逆に不安と言うか・・・。

僕たちにとっては、移植って言ったらTVの中の世界で、遠い話と言うか・・・それが今目の前にあるって感じなんですけど・・・。
一生その身体と言うわけでは無いんでしょう?

重いもの運んだり、そいう肉体労働は無いけど、どうしても仕事が深夜や朝方にまで及んだり、生活リズムが不規則になったりしてしまう現場です。そういうのには耐えられるんですか?

国の法律で、56人以上の正社員がいる会社は1人以上の障がい者を雇わなければならないって言うのがあるんです。
それが今まで、こっちが拒んだわけではないんですけど、障がいを持った人が来たことが無くて、あちゃさんが初めての例になります。あちゃさんが来てくれたことによって、これで法律を満たすと言えばそうなんですけどね。
なにせ初めての例なので、今色々調べているところです。
まだ確定してる段階ではないので、ちょっと言葉にするのは難しいんですけど、もしかしたらあちゃさんには他の人とは別に誓約書を書いてもらうことになるかもしれません。
それは大丈夫ですか?

あちゃさんの配属される部署の、部長クラスの人にはあちゃさんの病気のことは会社側から伝えます。それは了解頂けますか?」

たぶん、1時間くらいに渡ってお話したと思います。
とにかく私は、「アニメを作りたいんです。働かせてください。」とこんな感じでしたあせる
「一生その身体と言うわけでは無いんでしょう?」という問いに関しては、
「健常者の人だって、明日事故にあって障がい者になるかもしれませんよ?この違いは凄く大きいと思いますが、私達は今から将来のことを考えています。そこには不安もたくさんあります。今からそれを考えるか、その時になって考えるかの違いです。と答えました。
「生活リズムが不規則な現場」に関しては、
「身体のこと”だけ”を考えて生きて行くんであれば、大手の障がい者採用が良いんだと思います。私のように障がいを持っているのに普通に働ける人間は、向こうにとっても嬉しいと思いますし
でも、
じゃあ、そこで規則正しい生活をしたからと言って、100%長持ちするかと言ったらそんな保証何処にもありません。その保証があっても、私はアニメ業界を選んだと思います。
移植して、毎日慎重に生きてもすぐ駄目になる人も、大して気を使った生活してないのに私のように長持ちする人もいる。最終的には””なんです。
私達のような病気に、これをすれば絶対なんてものは無いんです。
私も障がい者採用を何度か見たことありますが、クリエーター系はほとんどありません。だいたいが事務か一般職です。
やりたいことがあるのに、病気のせいで諦めて、障がい者採用枠で
望んでもない仕事をしたところで、それは精神的な負担になると思います。精神的な負担から身体にくれば結局同じじゃないですか
私は、いろんなことを我慢して生きて行く10年よりも、いろんな世界を見ていろんな経験をして生きる5年を選びます。
皆、いろんな希望を持って移植を選びます。でも、望んでいたような生活になれない人がほんとんどです。そんな中で、私は運が良かったんです。
私は運良くそれを出来る身体を手に入れることが出来たんだから、
それを最大に活用するだけです。
何か文句あっか!!、と、このくらいの勢いで(笑)
あと、
「いろんな考えの先生がいると思うんですが、私の病院では、私のような小児患者に対して”皆と同じように生まれてきたんだから1度くらいは健常者の生活をさせてあげよう”という方針があります。」

ってのも付け加えた。
だからやらせろよ!!、と(笑)
1度ならず、もう10年近く(移植後3年くらいは大変だった汗)元気ですがキラキラキラキラ

誓約書に関して、言い辛そうだったので、私の方からずばっと聞きました。
ここで働いて、もしも、私の身体に何かあっても会社としては責任を負えません言う内容ですか?
と。
「あちゃさんの病気をたった今聞かされたところですし、障がい者制度についてもまだ調べていることなんではっきりとは言えないんですが、そういった内容になると思います。
ここで働いて、もしあちゃさんの腎臓に何かあったとき、会社としては責任を負えない・・・・と言うことになるのかなぁ・・・。そういうリスクが無いわけでは無いですし。
まだ本当にわからないです。誓約書が必要になるかも知れないし、そうじゃないかも知れないし。
わかるところもあれば、わからないところもある。
会社の福利厚生がどうなってるかわからないけど・・・(というかいまいちそのシステムも理解していないんだけど
健常者だって腎臓が悪くなる可能性はあるわけでしょう!?
しかも病院になんてほとんど行かないでしょう・・?
もしかしたら、今は腎臓病になっていなくても、気付かなかっただけで腎臓が弱い人とかもいるわけじゃん。
そういう人より、
2、3ヶ月に1回行って、ちゃんと詳しい検査をしているあたしの方が安心で無いかはてなマーク
これは私のご都合主義でしょうか・・・はてなマークはてなマーク

この会社側からの文章読んで、どう捉えられるかはわからないんだけど・・・
意地悪しようとか、そういう感じではないんです。本当に不安なんだと思う。
兄ちゃんの奥さん(突然登場ですがw)が言ってたんだけど、

「ぶっちゃけさ、あちゃが障がい者って言いに行った時に、会社としてはあちゃを内定取り消しに出来ないわけでは無かったと思うんだよね。それを出来る要素は十分にあると思う。
まぁ、大手だから簡単にそんなことしないと思うけど、1つの会社としてはって話ね。
でも、そうじゃなく、あちゃがメールで障がい者ですって言った瞬間から、色々調べてくれてるわけでしょ?
会社としては、出会ったことも無い障がい者を雇うって不安だと思うよ。それでもあちゃを欲しいと思ったわけだよ。逆にプラスなんじゃない?
障がい者1人あたり国から100万くらいのお金が出るんだけど、それを貰った上で、”貴方の病気が悪くなっても会社として責任負えない”って言うんだったら、ちょっと待て!!!って思うけど
って。
社長や採用担当者の方と一通り話しが終わった後にも、
「何よりも、あちゃさんのアニメに対する熱い想いが印象的でした。アニメが凄く好きな子なんだって、この子が欲しいと思いました。
障がい者って言うのは正直驚きましたけど、元気になれて本当に良かったですね。これからも出来るだけ長くそのままでいれれば良いですね。お父さんも大変でしたね。
何も無いと思うけど、来年も元気で!笑顔で!!出社してきてくださいね。」

と言われましたし
身を引いてくれよ、とかそんなで無いことは確か・・・・だと思うんだけど汗
引けって言われても引かないけどさ(笑)
私は会社のためじゃなく、可愛い子ども達のためにアニメ作るんだよ!!!!ってにひひ
ただ、私としては、この誓約書ってのがどうも引っかかる。
今考えても仕方ないし、出社してみないとわからないんだけどさあせる

他にも、今までバイト先でも病気のこと話したこと無いんで・・・得意げ会社勤めしている方々は、どんな感じなんでしょうか!?
私は、病院の教授が「あちゃちゃんほど何も問題の無い子は見たこと無いよ」と言うくらい元気なんで、働きだせばわかってもらえると思うんですあせる
今は、「言葉で言っても仕方ないし、働きだして自分で証明していくしかないビックリマーク”障がい者”って言葉のイメージをこの会社から変えてやろう!!」って思ってますが、いざ誓約書で、私にだけ不利な内容が書かれていたら、私はどう戦っていけば良いのでしょうか・・・しょぼんしょぼん誰に相談すれば・・・。
誓約書が無ければ、もうそれで問題無いんですけどねキラキラキラキラ


いろんな熱い想いや、理想はあれど、現実はなかなか厳しいショック!
まぁ、越えなきゃならん壁だったら越えてくんだと思いますがかおあせる


あ、ちょっとびっくりしたのが、飲んでる薬について心配されました汗
仕事内容に車を運転することもあって、「飲んでる薬は運転に支障ないんですか?」と。
「そこ心配するんか~~~~~あせるあせるあせる」ってかなり不意打ちかお汗あるい意味勉強になった。
「問題ありませんドキドキ免疫抑制剤ですドキドキ名前の通り、免疫を、抑制するお薬でドキドキ」と言っておきました(笑)
親知らずが4本ありまして・・・・ショック!
22日に静脈内鎮静法という方法で親知らずを4本抜きますしょぼんあせる
普段は大丈夫なんですけど、寝不足だったり体調悪いと、ご飯食べるのも辛いくらい痛いんです得意げ爆弾

ぴえ~~~~こえぇぇ~~~~~ガーンガーンガーン

移植に耐えたんだから大丈夫でしょう!!!!
って、それとこれとは別ですぜ!!!!ガーン

初診の時に書かされる紙に、「全身麻酔でお願いしますドキドキって記入しました(笑)
でも、幸い、親知らず4本ともが垂直に生えていたこともあり、「これ30分くらいしかかからないと思うんだよね」ってことで、身体への負担も考えてこの静脈内鎮静法にすることになりました

私・・・・基本的に局所麻酔って信じてないんです。
効いたためしがない!!!!!!ショック!

最初に局所麻酔をしたのは・・・・あ、これは話すと長くなるからめておこう(笑)腎臓とは全く関係ないです、これは。
次に局所麻酔をしたのは・・・・思い出すだけでも「ひえ~~~~~~叫び」ってなるんですが、腹膜透析してる時に、移植する1ヶ月前に体調が急激に悪くなって私緊急入院したんです。(おかげで誕生日は病院で過ごしました汗
透析液が入らないのと、入れるとカテーテル部分から血と一緒に液が漏れ出るんです・・・
それが痛かった思い出はないんですけどねあせるでも、カテーテルを入れてる場所は常に汁が出てじゅくじゅくに膿んでましたガーン
「移植するまでの2週間だけ血液透析にするか」と言う話も出たんですけど、「女の子だし、そのためだけに目に見える傷を作るのはやめよう」ってことになって、カテーテル挿入部分を切開することになったんです。
この時に局所麻酔したんですけど、これが痛くて痛くて・・・・
膿んでるとこに注射するんですからね、痛いですよショック!
それから2週間は肉出っぱなしで日々を過ごしました。
肉出っぱなしと言うことはつまり、汁も出っぱなし、でもガーゼするじゃないですかはてなマーク
くっつきますよねはてなマーク
消毒のときに取るじゃないですかはてなマーク
めっちゃ痛いですよねはてなマーク
その後はもちろん消毒するじゃないですかはてなマーク
肉に直接ですよはてなマーク
めっちゃめっちゃ痛いっていうかもうそれ通り越して、目の前白いと言うか・・・「戦争中に負傷した兵隊はこんな痛みだったんだろうか・・・」って、研修医に痛さで暴れる私を馬乗りで押さえつけられながら、ぽんやりする頭で思ってましたしょぼん
この研修医の人とは仲良しでしたがにひひよく私の病室に来て、私の遊び相手をしてくれてました(笑)一緒にお菓子食べたりビックリマーク

これがあってか、局所麻酔効きにくいんですよね。
腎生検も局所麻酔ですが、全然痛いし。
たぶん、”恐怖”の方が強いんだと思いますショック!


でも、働きだしたらなかなか出来ないし、それこそ感染症とか。
今だったら、入院する時間もあるし、口腔外科の先生も「腎の先生と話しながら、田原さんが安心するまで入院して良いよ」って言ってくれたんで、働くための身体のメンテナンスですかおあせる


別に1人でも大丈夫だったんですけど、お父さんが来るって言うんで、ついでに腎の方でドナー検診することになりました。
教授に見てもらいます。
クレアチニンはやはり高いようで。1.5とかそんなだったはず。
もう10年以上診てもらってないから(健康診断は毎年受けてるけど)、良い機会だったかもニコニコ
何ともなければ良いけども・・・
こっちの方がちょっと不安かもショック!


そろそろ入院の準備しなきゃなぁショック!ショック!


静脈内鎮静法経験者の方っていないですか!?
どうなかんじなんでしょうか・・・・得意げ
皆さんのブログを読んでいると「同じ病気でも色んな違いがあるんだなぁ」と思って、私はこんなだったよビックリマークってのを書いてみることにしました。
おそらく、ほとんどの人が生まれつきではなく途中から腎臓病になった方々だと思うので、小児はこんななんだぁほうほうって思ってもらえたら良いと思いますかお
「病気と共に」というブログタイトルで、病気のこと、
病院のこと、家族のこと、友達のこと、学校のこと(これが1番大変でした・・)を書いていきます。

音譜今日はここまで音譜
「たまの腎臓じゃだめなの?」




まず私がこれだけは”良かった”と思えること。
それは、病気になることは間違いなく不幸なことなんだけれども、その中でも私は”生まれつき”であったこと。これは病気になった中でも幸運なことだったと、小さい頃から思っていました。

私は小さい頃から非常に活発な子どもでした。
一番得意なことは・・・運動だったら何でもできるんですけど、あえて言うと、鉄棒と、跳び箱と、そくてんと、逆立ち・・・ですかねにひひビックリマーク
病気が発見された4歳の時には既に、
逆上がりや前周りを連続でぐるんぐるん回ってました(笑)

の病気が発見されたのは、3歳くらいのときに行われた保育園の尿検査がきっかけです。
と、言うまでもなく、私にその記憶は一切ありませんあせるあせる
母親から聞いたり、小耳に挟んだり(笑)したことを頼りに書いていきます。

尿検査でひっかかって、再尿でもひっかかるのですが、宮崎市内にある病院に行き血液検査をして看てもらうと血液検査の結果は正常なんです。
発見されるまでに3ヶ月くらいかかった(1ヶ月だったかな!?)そうです。
そこで、腹部エコーを撮ることになりました。
エコーを撮り始めてしばらくして、お医者さんから出た言葉は、


「あれ?腎臓が無い・・・」

腎臓だけが3ヶ月の赤ちゃんのまま大きくなりませんでした
原因不明です。
・・・・まぁ、おおよそのことは”原因不明”ですよねにひひあせる

病名は


先天性形成不全腎

慢性腎不全です。

良いのか悪いのか、親的には「いきなりそんな話されても・・・」って感じだったそうですが、このときのお医者さんが物事をかなりはっきり言う人で、「この子に未来は無い。透析をしても長くはないだろうし、将来は腎移植するしか生きていく道はない。お父さんと血液型が同じなので、お父さんの腎臓を貰うことになると思います。」そう言われたそうです

両親的には、
先天性形成不全・・・・・・??????慢性腎不全???????え  え   え      えっっっ???!!!!!ちょっとまって、透析????!!!!!はっ???!!!!移植?????!!!!!!!!!!!!え、話についていけないんだけど!!!!!!!!!

だったそうです汗「この医者は何を言っているんだろう」と。

見た目は至って普通の4歳の女の子。
でも、この子の身体の中には今まで耳にすることもなかった病気がある。
その日、病院の食堂で父と母は泣きながらご飯を食べたそうです。(注文したけど喉を通らなかったんだっけな?それか食べる気起きないから注文しなかったんだっけな??←)
お母さんはともかく、普段泣かないお父さんが泣いている。
泣いてるお父さんに向かって、
私は、

「お父さん、どうしたの?何で泣いてるの?どっか痛いの?」

と、けらけらと聞いたそうです。
子どもって・・・・・・凄いですよねかお汗


ここで、ちっとばかし両親の説明をすると。
私の両親はとってもアクティブな人たちなんですアップ
スポーツマンとかじゃないんですけど、追求心があるというか。
私は宮崎生まれ宮崎育ちなんですが、母は北海道出身なんです雪
かなり短縮して説明すると、母の家庭環境が複雑で、北海道から出来るだけ遠くに行きたくて、たまたま宮崎出身の父と出会い、行ったことも無い、知り合いも誰もいない宮崎と言う土地で結婚した、という人です。
父は、元自衛隊、その後、新聞社のカメラマン(もうこの辺がかなりぶっとんでるw)、ロサンゼルスでTVカメラマン、宮崎の民放局のTVカメラマン(何気に宮崎の都市伝説を生んだ番組を作ってたりするにひひ)、現在不動産という・・・・・・非常にぶっ飛んでやがってる人で、間違いなく私もこの血を受け継いでます。まぁ・・・・腎臓も受け継ぎましたがキラキラにひひキラキラ


こんな感じで、ある意味日本や世界を股にかけて生きてきた両親なんで、「宮崎の病院が言うことなんか信じられない!!いきなりそんな重い病気にかかることなんて無い!!!」と先生の言葉信じなかったし、私の病気を受け入れることもしませんでした。
でもこれが、良い病気生活(?)を送れることになったきっかけです。

病院の先生に、「他の専門の病院でも看てもらいたい」と言い、東京にある腎臓で有名な小児病院を紹介してもらいました。
このときのことは、少しだけぼんやりと記憶に残っていて、東京に行くんだけど、全然楽しみじゃなく、むしろ不安だったのを覚えています。

この小児病院で看てもらった
結果は同じで、やはり慢性腎不全でした。
もうこれは受け入れざるを得ないですよね。

でも、この病院の先生が、「わざわざこんなところに来なくても」って宮崎にいる腎臓専門の先生を紹介してくれたんです。
宮崎市内からは遠く2時間くらいかかる場所にいる先生なんですけど、小児移植を専門に行っていたDr.です。
「宮崎で有名な先生だから、発見したお医者さんも知らないわけないと思うけど」と言われたようです。
後から聞いた話なんですけど、私の病気を発見したお医者さんは、同じく慢性腎不全の子どもがいたらしく、そのお子さんは亡くなっているそうです。だからか、私を自分の元で看たかったんでしょう。後は、医者としてのプライドもあったと思います。
「俺の言ってることが信用出来ないなら、東京の病院行ってみろよ。どうせ同じこと言われる。」と。
別に悪い先生ではないですよ。母は苦手だったようですがあせる
一生懸命な証だと思います。

まぁ、そんなこんなあって、この宮崎市内から2時間離れた田舎にある病院のDr.との出会いが、良い移植を行える要因となりました。
でも、2時間もかかる場所です。そう毎回は通えません。
悪くなるまでは発見された宮崎市内の病院で看てもらうことになりました。

「将来どうなるかわからないから、やりたいと思ったことを出来るうちにめいいっぱいやらせてあげよう。運動もいずれ出来なくなっていきます。今のうちにいっぱいさせてあげてください。」

これが宮崎市内のお医者さんの治療方針でした。
自分で言ってしまいますが、私はかなりわがままに育てられましたあせる
小児で病気にかかった子どもはだいたい甘やかされてますけどねあせるあせる
欲しいものは何でも買ってもらえたし、もう本当・・・大草原で育った箱入り娘です(笑)
尽くるだけ尽くされました
でも小さいながらに、「病気だから」って言うのはわかっていたので、そういう親を拒否することは無かったです。

医療ミスってわけでは無いんですけど、病気発見前か発見後か、いつかもわからないんだけど、「これ飲んで良くなった子がいる」って宮崎市内のお医者さんに利尿剤を出されたそうです。
でもわたし、ちょっと特殊なタイプの腎臓でして、今まで出会ったことが無いんだけど、”水が出るタイプ”の腎臓なんです。
なので、水分制限も無かったし、むしろ「水は飲め!!」「塩分取れ!!」でした。たんぱく質は駄目でしたが。
のようなタイプの子は、それが赤ちゃんでった場合、哺乳瓶(ミルク)に塩を入れて飲ませるそうですかおナイフとフォーク
・・・・・・で、結果は言わずもながなんですが汗
利尿剤を飲ませた結果
、極度の脱水症状に陥り、意識もうろう、歩けなくなったそうですあせる
ちょうどそれが保育園の遠足(と言っても徒歩5分以内の公園とかですが)のときで、先生におぶられて帰った記憶が僅かにあります。
おんぶしてくれたのが若くて奇麗な女性の先生で、私その先生が好きだったんですラブラブ
身体きついし、先生たちあたふたしてるし、でも嬉しかった思い出もあります(笑)
もしかしたら、おんぶしてくれたの別の先生だったかも知れないのですけど。
そしたらちょっと悲しいですねしょぼん



私は4人兄弟の3番目で、6歳上と4歳上の兄がいます。(病気発見時はまだ妹は生まれてなくて、5人家族と”たまちゃん”と言うメス猫1匹でした
病気がわかってから、兄2人に私の病気を伝えました。
治らない病気であること、だんだんと普通の生活が出来なくなっていくこと、透析のこと、将来はお父さんの腎臓をもらうことになること。
それを聞いた、1番上の兄(当時10歳)が母にこう言ったそうです。

「たまの腎臓じゃだめなの?」

その発想は無かった!!!!(笑)
子どもは純粋で癒しですね。
私の母はだいぶ天然入ってる感じなんで・・・

「それじゃ足りない・・・」

と答えたそうです。
まぁ、足りないですね(笑)


私には病気が発見されたときの記憶が無く、それで苦しんでる親の姿も知らないです。
私が知ってるのは、いつでも必死で頑張っていた強い母の姿だけなので。
その時、兄は10歳と8歳だったので、兄は当時の状況を覚えてはいると思うんですけど。
いつか機会があったら聞いてみたいと思っています。
でも、聞いたら泣いちゃいそうですねしょぼん




今日はここまでビックリマーク
最後の「たまの腎臓じゃだめなの?」は、私がアニメを作る上でキーポイントになる言葉です。
またアニメに対する想いは別で書こうと思いますが、辛いもの、悲しいものをただただその通りに演出するのが私は嫌いなので(そんなこと誰にでも出来ると言うか・・)、こういうユーモアを入れたアニメを作りたいな、と思ってますニコニコ

次は私の小学校生活を中心に2回(もっと多くなるかも!?)くらいにわけて書いていこうと思います。
完全に教育問題、人権問題です・・・
子どもたちはわかってくれるのに、大人たちはわかってくれない!!!!
病気を持っているだけで、学校に通うことすらもこんなに大変な思いをしないといけないのかと。
結果、養護学校に行くことになりましたし。
その辺りを書いていきます。



読んで頂きありがとうございました音譜ニコニコ音譜