何度も言いますが、私は明日親知らずを4本抜くため(笑)入院しています。
この病院は今でも通院している病院で、12年前、私が小6のとき、腎臓移植を行った病院です。
そして、たくさんの思い出がつまっている場所です。
私はここで初めて病気の友達が出来ました。
と言うか、ここでは病気であることが"当たり前"ですからね(^^)/
看護婦さん、病院の先生・・・子どもだったこもあり、皆本当に可愛がってくれました。
入院して間も無く、担当看護婦さんが「2ヶ月後、移植終わって元気になったら、一緒に買い物しに外に行こうね」と言ってくれたのを今でも覚えています。
雑貨買って来てくれたり、お菓子買って来てくれたり。
私のベットの横にはお菓子袋が常にパンパンでした(笑)
手術を終えて一番最初に食べたのは、すき焼き(固形w)とお粥です!担当看護婦さんは「何かの手違いだ・・・」と下げようとしたのですが、それまで食事制限があった私は「食べたい!」と言い、全て食べました(笑)皆に笑われた^^;
担当看護婦さんの一番最初の差し入れは"たこやき"でした。
お医者さんが、「お前、もうそんなもの食べるのか!!」って、これまた笑われた^^;←まだベットから起き上がっちゃいけない頃。
夜中、痛さで眠れなくて、わんわん泣いて、お医者さん呼んで「睡眠薬を飲ませて!」とお願いしたは良いが、薬を持ってきたお医者さんが髪の毛ボサボサでもう完全浮浪者で、怖くなって「やっぱり飲まない!」とまた泣いた。困った顔をしていたその浮浪者は、今の担当医です(笑)
肺の悪い女の子がいて、その子は酸素(鼻からつけるやつ)無いと呼吸するのも苦しいんだけど、マスクして無菌室に来てくれた。
もう、心配でならなくて、嬉しいんだけど、あまりそれを表に出すことは出来なかった。
看護婦さんにお願いして、その子とはそれから2ヶ月間、同じ部屋で過ごした。
看護婦さんやお医者さんが勤務中にお菓子食べに来て、その子と私と看護婦さんとお医者さんと皆で話しながらお菓子食べたり。
その子は肺だから、腎では無いんだけど、自分の担当医よりも腎の先生と仲良くなってました(笑)
一緒に腎の先生をたくさんからかいました(笑)
先生たちは、この子のこと覚えてくれているかしら。
私のせいなんだけど、もう、この子のことは誰も触れない。私の前では絶対に。
移植前の担当の看護婦さんの宣言通り、移植終わって元気になった私を外に連れて行ってくれた。何度も何度も。
休みの日でも病室に来て、私を外に連れていってくれました。
痛い検査や移植手術は本当に辛かったけど、「もしも過去に戻れるなら」と聞かれたら間違いなく移植したこの時を選びます。
病気を語れる友達がいて、毎日が本当に楽しくて、色んな人がたくさんいて。
笑いに包まれている毎日でした(^^)
不安なんて何も無かった。
だから、出来るだけ長く入院していたかったです。
誰ともお別れはしたくありませんでした。
想い出がたくさんたくさんある病院です。
今いる病棟はその時の病棟じゃないんだけど、ついつい過去を思い出して戻りたくなってしまうなぁ。
同じレイアウト、同じ天井、同じカーテン・・・同じものがたくさんあるんだもの。
違うのは鏡に写っている私だけです。
聞こえてこないのは、皆の笑い声です。
無いものは、その子の笑顔です。私を呼ぶ声です。
幸せな想い出がありすぎて辛いなぁ
気持ちが落ち着かないのは、明日への不安だけじゃないんだよねぇ。
想い出がありすぎて、何処に進めばいいのやら、わからなくなりますが、それでも「アニメを作る」と言う想いだけは変わりません。
宮崎駿さんが「アニメを作らなければ、人を楽しませなければ、自分は生きてる意味がないと思うから作り続けているんだ」と言っていました。
私も、そのくらいアニメに"だけ"没頭して、アニメだけを観続けられる人になりたいです。
iPhoneからの投稿
この病院は今でも通院している病院で、12年前、私が小6のとき、腎臓移植を行った病院です。
そして、たくさんの思い出がつまっている場所です。
私はここで初めて病気の友達が出来ました。
と言うか、ここでは病気であることが"当たり前"ですからね(^^)/
看護婦さん、病院の先生・・・子どもだったこもあり、皆本当に可愛がってくれました。
入院して間も無く、担当看護婦さんが「2ヶ月後、移植終わって元気になったら、一緒に買い物しに外に行こうね」と言ってくれたのを今でも覚えています。
雑貨買って来てくれたり、お菓子買って来てくれたり。
私のベットの横にはお菓子袋が常にパンパンでした(笑)
手術を終えて一番最初に食べたのは、すき焼き(固形w)とお粥です!担当看護婦さんは「何かの手違いだ・・・」と下げようとしたのですが、それまで食事制限があった私は「食べたい!」と言い、全て食べました(笑)皆に笑われた^^;
担当看護婦さんの一番最初の差し入れは"たこやき"でした。
お医者さんが、「お前、もうそんなもの食べるのか!!」って、これまた笑われた^^;←まだベットから起き上がっちゃいけない頃。
夜中、痛さで眠れなくて、わんわん泣いて、お医者さん呼んで「睡眠薬を飲ませて!」とお願いしたは良いが、薬を持ってきたお医者さんが髪の毛ボサボサでもう完全浮浪者で、怖くなって「やっぱり飲まない!」とまた泣いた。困った顔をしていたその浮浪者は、今の担当医です(笑)
肺の悪い女の子がいて、その子は酸素(鼻からつけるやつ)無いと呼吸するのも苦しいんだけど、マスクして無菌室に来てくれた。
もう、心配でならなくて、嬉しいんだけど、あまりそれを表に出すことは出来なかった。
看護婦さんにお願いして、その子とはそれから2ヶ月間、同じ部屋で過ごした。
看護婦さんやお医者さんが勤務中にお菓子食べに来て、その子と私と看護婦さんとお医者さんと皆で話しながらお菓子食べたり。
その子は肺だから、腎では無いんだけど、自分の担当医よりも腎の先生と仲良くなってました(笑)
一緒に腎の先生をたくさんからかいました(笑)
先生たちは、この子のこと覚えてくれているかしら。
私のせいなんだけど、もう、この子のことは誰も触れない。私の前では絶対に。
移植前の担当の看護婦さんの宣言通り、移植終わって元気になった私を外に連れて行ってくれた。何度も何度も。
休みの日でも病室に来て、私を外に連れていってくれました。
痛い検査や移植手術は本当に辛かったけど、「もしも過去に戻れるなら」と聞かれたら間違いなく移植したこの時を選びます。
病気を語れる友達がいて、毎日が本当に楽しくて、色んな人がたくさんいて。
笑いに包まれている毎日でした(^^)
不安なんて何も無かった。
だから、出来るだけ長く入院していたかったです。
誰ともお別れはしたくありませんでした。
想い出がたくさんたくさんある病院です。
今いる病棟はその時の病棟じゃないんだけど、ついつい過去を思い出して戻りたくなってしまうなぁ。
同じレイアウト、同じ天井、同じカーテン・・・同じものがたくさんあるんだもの。
違うのは鏡に写っている私だけです。
聞こえてこないのは、皆の笑い声です。
無いものは、その子の笑顔です。私を呼ぶ声です。
幸せな想い出がありすぎて辛いなぁ
気持ちが落ち着かないのは、明日への不安だけじゃないんだよねぇ。
想い出がありすぎて、何処に進めばいいのやら、わからなくなりますが、それでも「アニメを作る」と言う想いだけは変わりません。
宮崎駿さんが「アニメを作らなければ、人を楽しませなければ、自分は生きてる意味がないと思うから作り続けているんだ」と言っていました。
私も、そのくらいアニメに"だけ"没頭して、アニメだけを観続けられる人になりたいです。
iPhoneからの投稿
」ってくらい速くて、時には走られたりして・・・
逆に私の方が速くなった(笑)
私は子どもいないのでわからないですが。
という違和感もありました。









母に「また観るの
それがあちゃクオリティー
買ってたような、買ってなかったような・・・・・私の母なら買ってそうだなぁ・・・・げげげ
校長と教頭は良い先生なんですけど、担任が・・・ね・・・・・
免疫抑制剤です



