噂のアメブロを始めてしまった・・
理由は1つ
私と同じように腎臓移植をした人に出会いたいからです

今やらなきゃ今後しないだろうと思い、使い方もわからないのにざくざくアメンバーの申請を行ってしまいました
もし失礼なことをしてしまっていたらごめんなさい
自己紹介にも書かせてもらったのですが、私は生まれつきの先天性形成不全腎(腎臓だけが3ヶ月の赤ちゃんのまま大きくならない)による腎不全のため、12歳のときに父の腎臓を貰い生体腎移植をしました。
ざくっとこちら
0歳 生まれる(スポーツ万能少女。笑)
4歳 慢性腎不全見つかる。信じなかった親は東京の病院にまで私を連れて検査に行くが結果は同じ。(でもこれが良い病院と出会えるきっかけに
)
5歳 (たぶんこの頃から)移植を受けるまで成長ホルモン剤(毎晩の筋肉注射)を始める。
6歳 普通の市立の小学校に入学。「人は自分が経験したこと以外は理解出来ないから大人も子どもも関係
ない」と自然と自分の境遇を理解していました。
9歳 運動制限始まる。(スポーツ大好きな私はこれが本当に辛かった!!!)
10歳 食事制限始まる。
11歳 腹膜透析始まる。お医者さんに「人生バラ色に変わるよ
」と言われて挑んだ透析。バラ色どころか地獄に堕ちた・・・
12歳(2000年10月5日) 東京の病院で生体腎移植を受ける。直後、副作用による白内障発症。
普通の学校に戻ろうとするも理解を得ることが出来ず泣く泣く養護学校(小学部)へ入学。(今まで頑張ってきたのに
)
13歳 同じ養護学校の中学部へ入学。
16歳 友達の死や養護学校の環境・・・・「私はここにいるべき存在じゃない。もっと多くの物を見なきゃいけない。」と思い普通の学校へ入学。(美術系)
19歳 上京しデザインの専門学校へ通う。
22歳 デザイナーとして働く。
が、専門学校時代からデザイン(特にバリアフリーデザインやユニバーサルデザイン)に対して違和感があったこともあり、「私がしたいのはデザインじゃない。アニメを作って多くの人に色んなことを伝えたい。」「考え続けて生きて行きたい。」と思い路線変更。
でもアニメを作りたいと思った1番の動機は、多くの友達の死を経験したり、進行性の病気の友達と接して行く中で「生きることを知りたい」と思ったから。そして、「私だけが健常者のフリして生きて行くことは出来ない」と思ったから。
23歳 東京にある美術大学編入学。(5美大のどれかです
)
24歳 希望通り、とあるアニメ制作会社(アニメ業界の中では大手の方)内定。現在ここ。
25歳 アニメ映画監督目指してアニメ制作会社で働き始める。
こんな感じです
私自身が、本当にありがたいことに見た目が健常者と一切変わりなく、言わなければ全くわからなくて・・・なので、私の病気を知っている人もごくごく僅かです。健常者にまぎれて生活しています。
でもやはり健常者では無いし、自分自身の障がいと戦いながら生きています。(戦うと言っても、だいたいは病気ではなく”将来の不安”とですが
)
小児で重病患者であったこともあり、部屋は基本的にナースステーション横の個室でしたし、病気の子との出会いも無く、やっと出会えたと思ったら皆次々に亡くなって行きます・・・
病気の知り合いがいなくて、情報交換が出来ず、病気の話をするきっかけも無いのでアメブロ始めてみた、という次第です。
普段は自分が病気であるという発言を一切してなくて、でもこのままじゃいけないと思っています。
勇気を持つためにも、ここで病気のことを色々語れたらなと思っています
こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします

理由は1つ

私と同じように腎臓移植をした人に出会いたいからです


今やらなきゃ今後しないだろうと思い、使い方もわからないのにざくざくアメンバーの申請を行ってしまいました

もし失礼なことをしてしまっていたらごめんなさい

自己紹介にも書かせてもらったのですが、私は生まれつきの先天性形成不全腎(腎臓だけが3ヶ月の赤ちゃんのまま大きくならない)による腎不全のため、12歳のときに父の腎臓を貰い生体腎移植をしました。
ざくっとこちら

0歳 生まれる(スポーツ万能少女。笑)
4歳 慢性腎不全見つかる。信じなかった親は東京の病院にまで私を連れて検査に行くが結果は同じ。(でもこれが良い病院と出会えるきっかけに
)5歳 (たぶんこの頃から)移植を受けるまで成長ホルモン剤(毎晩の筋肉注射)を始める。
6歳 普通の市立の小学校に入学。「人は自分が経験したこと以外は理解出来ないから大人も子どもも関係
ない」と自然と自分の境遇を理解していました。
9歳 運動制限始まる。(スポーツ大好きな私はこれが本当に辛かった!!!)
10歳 食事制限始まる。
11歳 腹膜透析始まる。お医者さんに「人生バラ色に変わるよ
」と言われて挑んだ透析。バラ色どころか地獄に堕ちた・・・
12歳(2000年10月5日) 東京の病院で生体腎移植を受ける。直後、副作用による白内障発症。
普通の学校に戻ろうとするも理解を得ることが出来ず泣く泣く養護学校(小学部)へ入学。(今まで頑張ってきたのに
)13歳 同じ養護学校の中学部へ入学。
16歳 友達の死や養護学校の環境・・・・「私はここにいるべき存在じゃない。もっと多くの物を見なきゃいけない。」と思い普通の学校へ入学。(美術系)
19歳 上京しデザインの専門学校へ通う。
22歳 デザイナーとして働く。
が、専門学校時代からデザイン(特にバリアフリーデザインやユニバーサルデザイン)に対して違和感があったこともあり、「私がしたいのはデザインじゃない。アニメを作って多くの人に色んなことを伝えたい。」「考え続けて生きて行きたい。」と思い路線変更。
でもアニメを作りたいと思った1番の動機は、多くの友達の死を経験したり、進行性の病気の友達と接して行く中で「生きることを知りたい」と思ったから。そして、「私だけが健常者のフリして生きて行くことは出来ない」と思ったから。
23歳 東京にある美術大学編入学。(5美大のどれかです
)24歳 希望通り、とあるアニメ制作会社(アニメ業界の中では大手の方)内定。現在ここ。
25歳 アニメ映画監督目指してアニメ制作会社で働き始める。
こんな感じです

私自身が、本当にありがたいことに見た目が健常者と一切変わりなく、言わなければ全くわからなくて・・・なので、私の病気を知っている人もごくごく僅かです。健常者にまぎれて生活しています。
でもやはり健常者では無いし、自分自身の障がいと戦いながら生きています。(戦うと言っても、だいたいは病気ではなく”将来の不安”とですが
)小児で重病患者であったこともあり、部屋は基本的にナースステーション横の個室でしたし、病気の子との出会いも無く、やっと出会えたと思ったら皆次々に亡くなって行きます・・・
病気の知り合いがいなくて、情報交換が出来ず、病気の話をするきっかけも無いのでアメブロ始めてみた、という次第です。
普段は自分が病気であるという発言を一切してなくて、でもこのままじゃいけないと思っています。
勇気を持つためにも、ここで病気のことを色々語れたらなと思っています

こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします
